7 再び踊る猪亭
傭兵ラルムは、ひどく後悔していた。
確かに、食事を奢るといった。
ジェンとカイルの1人と1頭に。
ロヴとかいう少年が増えたぐらいはどうという事はない。
そう、思った。
女性と少年、それに「猫」だけだから、たいした出費にはならないと思ったのだ。
「ラルム、酒も頼んでいいのか?」
そう可愛らしく微笑むジェンの様子に、ラルムは二つ返事で了解した。
温泉を堪能して旅の汚れを落とし、ゆったりした胴着とズボン姿でくつろいだ彼女の姿は、皮鎧姿の時と違ってとても魅力的だ。
彼女の肩には、銀色の「猫」がちんまりと座っている。
ラルムは「猫」に見惚れて、ジェンの様子に気がつかなかった。
可愛らしい微笑みは、にんまりとした不敵な笑みに変化していたのだ。
「ありがとう!久しぶりにただ酒が飲める!」
「なに、どうってことはない。こうして知りあったのも母なるバーリのお導きだ」
こう答えたことを、ラルムはほんとうに後悔していた。
ジェンの食欲は、とても女性とは思えなかった。
野菜と米を中につめて、香辛料をまぶしてローストした山鳥。
厚めに切った、鹿のあぶり肉。
根菜を蒸し焼きにして、肉汁をかけた盛り合わせ。
川魚ときのこを香草でじっくり煮込んだスープ。
焼きたての皮の固いパン。
エールに葡萄酒。
飲むと喉がかっとする蒸留酒。
テーブルに所狭しと並ぶご馳走を、ジェンは片端から平らげてゆく。
その速度は、まだ若いラルムのさらに上をいく。
酒を飲む速度は、完全にラルムの完敗だ。
ジェンは大きな女性ではない。
普通の女性よりは大柄だが、まだ普通の範疇にはいる。
なのに、軽くラルムの2倍は食べ、かつ飲んでいるのだ。
そして「猫」のカイルも、ジェンと同じぐらいの鹿肉を食べている。
まさしく、何処にこれだけの量が入っていくのか、魔法以外のなにものでもない。
せいぜい、5人前の食事代で済むと踏んでいたラルムは、軽く10人前は食べそうなジェンたちの様子に深く後悔したのだ。
(あ~あ、よう食べたなあ~)
大好物の鹿のあぶり肉と、山鳥の丸焼きを堪能したカイルは、眠そうな声でつぶやいた。
(ラルムはええやっちゃ!こんなにご馳走してくれるんやからなあ)
「今頃、後悔しきりじゃないか?これだけ食べたら、懐がさむいだろうよ」
気にするふうでもなく、ジェンは小声で答える。
正面に座るラルムは、心ここにあらずの状態で固まっている。
「好奇心は猫をも殺すだ。少しは肝に命じたらいいのさ」
ジェンの食べっぷりに恐れをなしたのか、ロヴはいたって大人しく自分の食事を続けていた。
目の前の惨状を見なかったことにしたらしい。
「ま、ロヴの態度は賢明だ」
ジェンは満足げにつぶやいた、
「ただ飯とただ酒ほどうまいものはない」
※
砂海の周辺諸国には、「バーリの冠」と呼ばれる一重咲きの野薔薇が群生している。
血の様に紅い花びらの、香り高い花だ。
砂海周辺に住む人々は、ことのほかこの花を愛でた。
この花を精製して作られる香水は、この地方の主な交易品だ。
乾燥した花びらを茶葉に混ぜて香りを楽しむ花茶は、砂海周辺諸国で広く親しまれている。
アルバの都でも、この習慣は古くから続いていた。
それは、踊る猪亭でも例外ではなかった。
人の良い亭主自ら入れた香り高い花茶を、給仕の娘がジェンたちのテーブルに運んできた。
爽やかな芳香に、ジェンは目を細めて花茶の杯を受け取った。
「この香りも久しぶりだ」
ロヴも自分の杯を受け取り、隣に座る女傭兵の横顔を見上げた。
カンテラの灯りに照らされた彼女の横顔は、少女のようにも、もっと年ふりた女性のようにも見えた。
「…ジェンさん、あなたはおいくつなんですか?」
心に浮かんだ素朴な疑問が、するりとロヴの口から流れだした。
ジェンはロヴの顔を見下ろし、面白そうに微笑んだ。
濃い影を落とす灰色の瞳が、赤毛の少年をみすえる。
「…女性に年を聞くんじゃない、えらい目をみるぞ」
それから、今度はにっこりと笑顔になり言葉を続けた。
「お前より年寄りなのは確かだ」
(ロヴは勇気のあるやっちゃなあ~)
彼女の肩に座している銀色の猫が、ゆらゆらと尻尾をゆらし金色の目で少年を見つめた。
まるで心の中を覗かれているような気がして、ロヴはあわてて視線を逸らした。
あまりの衝撃と後悔で固まっていた傭兵ラルムが、やっと現実世界に戻ってきた。
花茶の芳香が、彼の目覚めを誘ったようだ。
いつの間にかテーブル上の食べ物や飲み物は跡形もなくなり、花茶でくつろいでいるジェンと「猫」、花茶を大人しく啜っている赤毛の少年だけになっていた。
「…俺は飲んでないぞ…」
ラルムはぼそりとつぶやいた。
テーブルに並んでいた酒は、ほとんど飲んだ気がしなかった。
なんだかペテンにあったような、狐につままれたような気がしてラルムは釈然としない。
その思いを吹っ切るべく、大きく頭をふった。
その様子を見ていたカイルはジェンの肩から飛び降りて、ラルムのそばまで歩いていった。
ラルムが驚いてみつめるそばまで近寄り、彼の腕に顔を擦り付けた。
(うんまい飯、ありがとうやで~ラルムちゃん♪)
カイルのあんまりな言葉に、ジェンはぶほっと花茶を吹き出した。
一方のラルムは・・・。
ジェンの「猫」が、伝説の魔法生物、共生獣だとラルムは察している。
その共生獣が、いま自分の腕に顔を擦り付けている。
その幸運に、ラルムは感動した。
共生獣は、ラルムにとって幼いころからの憧れだ。
彼が育った村の年老いた語り部は、若いころに共生獣を伴った戦士と肩を並べて戦ったことを自分の誇りとしていた。
語り部の老人は、共生獣の話をねだる幼いラルムに、喜んでその話を繰り返した。
普段は猫やいたちのような小さな獣なのに、大いなる敵と戦う時は巨大な翼のある獣の姿となって、相棒の戦士と組んでそれは見事に戦うのだ。
どれほどワクワクして、この光景を想像しただろうか。
彼が家を飛び出して、傭兵として働きだしたのも共生獣に憧れがあったせいもある。
いつか、自分も共生獣に出会えるだろうか。
その思いを胸に秘めて、今まで生きてきた。
『疾風のジェン』の噂を聞いたのは、ラルムが傭兵になってから4年目のことだ。
共生獣と組んで傭兵をしている女戦士がいる。
その通り名が『疾風のジェン』だった。
アルバの都でその噂を耳にした時、ラルムは予感した。
きっと『疾風のジェン』と出会えるのではないかと。
今日の昼間に、踊る猪亭の扉を開けて入ってきたジェンと「猫」のカイルを見たとき、ラルムは自分の幸運に感謝した。
ついに共生獣に巡り会えたのだから。
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