5 襲撃者の正体
『走れ!』
ジェンの一言は、ロヴの全身を雷のように打ち付けた。
状況の変化についていけなかった彼にとって、それは最も解りやすい言葉だ。
体はすぐに反応し、後ろを振り返ることすらせずその言葉に従った。
男達がなにやら騒いでいたが、『走れ!』の言葉以外、ロヴの耳には届かなかった。
行き交う人々が、必死に走る少年を何事かと見つめてくる。
そんな視線を気にすることなく、ロヴは言霊に従った。
全速力でたどりついた踊る猪亭の扉を開けると同時に、彼はそのままへたりこんでしまった。
食堂に残っていたのは傭兵風の男と、食器をかたづけている宿の亭主。
そして、ジェンが食べかけていた鹿肉を平らげている最中のカイル、の2人と1頭だけだ。
宿の亭主は驚いたように、ロヴのそばに近づいてきた。
「ロヴ、いったいどうしたんだね?」
「ああ、あ、あの、女性の傭、へ、兵さん…がっ」
カイルは、卓上から身軽に飛び降りた。
ロヴの脇をすり抜けて、矢のように駆けて行く。
しっかり鹿肉をくわえこんでいたが。
最後に動いたのが、傭兵風の男だった。
座り込んで動けないロヴをたたせ、自分が飲みかけていた葡萄酒の杯を彼の口にあてがった。
「飲め、小僧。そしてちゃんと話すんだ」
ロヴはいわれるままに、彼にとってはきつい酒を飲み干した。
少し咳き込んだ後、亭主と傭兵に事情を説明しはじめた。
※
共生獣のカイルが事件のあった裏道にたどり着いた時、ジェンは2人の男を縛り上げていた。
(なんや、心配して損したな~)
「肉をくわえて、心配もなにもあるか」
(それとこれは別やがな)
「どうせ、私の肉だろうが!この大ぐらいめ」
軽口をたたきつつ、ジェンは2人の身を改めていく。
あまりの手際の良さに、見る人がみたら専門の盗賊と思ったかもしれない。
幸いな事に、誰も目撃者はいなかったが。
銀貨や金貨の詰まったなめし皮の財布。
上質の、それも最高級とわかる仕立ての良い衣服。
薄汚れた上着の下は、明らかに生活に困らない身分だとしれるものばかり身につけていた。
年かさの男の上着から、意外なものを発見した。
「カイル、これをみろ」
(なんや?)
それは旅先で、身分を証明するメダルだった。
ジェンも所属する傭兵ギルドのメダルをもっている。
男の持っていたメダルには、下限の細い三日月に十字型の星、それを取り囲む蔦の文様が刻まれていた。
(これは、北の大地ガルナのロウ・ゼオン王国の紋章やな)
「なぜこんなとこにそんな国のやつらがいるんだ?
それも少年の命をねらうなんて、訳がわからん」
(おもいあたるんは、あの魔法のかかった短剣と、ロヴやったかいな?
あのボーズの赤毛くらいか?)
「う・・・ん、まあこいつらは、アルバの衛兵にひきわたせばいいだけだ」
ジェンはメダルを元のようになおして、男の体から手を離した。
「しかし、参ったなあ。街中で剣を抜いたから、罰金を支払わないと」
(こいつらのせいやから、財布から必要分もろたらどーや?)
「ばーか、そんな戦場荒しのような真似ができるか」
(正当な報酬やと思うけどなあ?人間はこのへんがわからん)
「私はお前のそんな下世話なとこが共生獣とは思えない」
(うるさいわ~)
脳内漫才をしているうちに、アルバの衛兵たちを伴った踊る猪亭の亭主とあの傭兵風の客が駆けつけてきた。
「おお、ご無事でしたか、戦士殿!」
アルバの衛兵小隊と傭兵の客とともに駆けつけた亭主は、相好をくずしてジェンの手をとった。
彼の瞳には安堵と感謝の念が溢れている。
なんとまあ人の好い亭主なんだと、ジェンの胸は温かな気持ちに満たされた。
命のやりとりをした後は、このような思いがありがたく感じられた。
「戦士殿はやめてくれ。私はジェンだ」
カイルを右肩に乗せ、ジェンは亭主に問いかけた。
「あの少年は、ロヴは無事か?」
「大丈夫ですとも。今はわしの息子がそばについとります。
この街の衛兵をしとりますから、腕は確かでさあ」
ここで亭主は顔をくもらせて、衛兵達に引きずり起された2人組を見やった。
「それにしても、どうしてロヴを狙ったのか」
意識が朦朧とした2人を引っ立てるべく、衛兵達はテキパキと仕事を進めている。
彼らに指示を出していた、小隊長がジェンに近寄ってきた。
「あなたが戦士ジェンか?あとで事情を聞きたいので、踊る猪亭のロヴいっしょに衛兵詰所まできてほしい」
「承知した。街中で剣を抜いたから、罰金も払わなくてはならないし」
「いえ」
小隊長は器用に片眉だけ動かしてみせた。
「貴方が振りまわしたのは、そこの薪でしょう」
「目撃証言はそうでしたよ」
「確かにそう言ってました」
他の衛兵達も口々に、答えてゆく。
目撃者なぞ存在しないのに、だ。
アルバの衛兵たちは、かなりくだけた連中らしい。
「14、5の子供を殺そうなんて輩は、ろくな者じゃない」
小隊長ははき捨てるようにつぶやいて、それではと一礼してから男達を引き連れていった。
「いいのかねえ」
(りんきおうえんていうやっちゃなあ)
「臨機応変だ、おうえんじゃない」
(ボケたっただけやろ~)
カイルはすまして、喉を鳴らし始めた。
衛兵達を手伝っていた傭兵の客が、ジェンの方に近寄ってきた。
敵意がないこと示すため、利き腕の右手を差し出している。
「失礼、俺はラルムだ。アルバの傭兵ギルド所属で、ケニス・キャラバンの護衛をしている」
ジェンは礼儀にのっとって、傭兵ラルムの右手を握り返した。
「私はジェン。トーナ国エルザの傭兵ギルド所属だ」
「あんたが、あのジェンか」
ラルムは人の悪い笑みを浮かべてそう問いかけた。
「あのじぇん?とは、どのジェンのことかな?」
「『疾風のジェン』のジェンだよ。有名だぜ。あんたに会えたのは幸運だな」
ラルムは羨望の眼差しで、猫の姿をしたカイルをみつめている。
肩に乗っているカイルは、おやッという風に目を細めてラルムという傭兵をみつめた。
(ジェン、こいつも俺の正体しっとるなあ。ばればれか~)
「だな」
二つ名がついて有名になるのも楽じゃない…。
ジェンは内心で、おおきなため息をついた。