1 女傭兵ジェン
(ぃ…ぃ…い、お…い、オイ!!えーかげんに目をさまさんかい!)
頭の中に響く割れ鐘のような大きな声。
その大きな声に起こされ、ジェンは文字通り飛び起きた。
そして、自分の周りをテントのようにすっぽり取り囲む、銀色の毛皮に驚いた。
薄暗い中で銀の燐光を発する毛並みは、とても神秘的だ。
上半身を起したままの姿勢で、その美しい毛皮の壁にジェンは心を奪われた。
美しいものに目がないジェンは、今どんな状況なのかも忘れうっとりとした表情で毛皮を撫で回す。
(こらぁ!何遍ゆーたらわかるんじゃ!内から撫で回すな!こしょばいやろーが)
「いいじゃない、カイル。減るものじゃなし、気持ちいいんだから」
頭の中の声に、肉声でこたえさらに撫で回す。
すべすべの毛並みはたいそう触りごごちが良く、思わずにんまりしてしまう。
挙句の果てには、両方の手で毛皮を鷲づかみにしてもみ始める始末だ。
(やめんかい~ウヒャヒャヒャ~×●△~~)
頭の中の声は、とうとう我慢の限界を越えたらしく大笑いのあと急に消えうせた、
それと同時にジェンの周りを囲んでいた銀の毛皮も消えた。
変わりに、彼女の座る足元に1頭の小さな猫が現れた。
怒ったように尻尾の毛を逆立てて、大きく揺らしている。
全身銀色の毛皮に覆われ、爛々と輝く金の目は燃え盛る炎のようで、ジェンを見上げる視線は怖いぐらいだ。
「ありゃあ、カイル、怒った?」
(やめろとゆーたやろうが!)
「ごめん、あんまり綺麗で気持ちよかったからさ」
(せっかく、雨からかぼたったのに、この仕打ちかい!)
猫のカイルはプイッと顔を背けて、毛づくろいを始めた。
ジェンは少しだけ。
ほんとうに少しだけ反省して、自分の寝床を片付け始めた。
ジェンとカイルがいるのは、深い森の中だ。
細い街道のそばに広がる、鬱蒼とした広葉樹の森。
旅の途中のジェンは、この街道を抜けた先にあるアルバの都を目指していた。
だが、この森の中で大雨に降られ、やむなく野宿する羽目になってしまった。
自分と相棒のカイルだけなら雨に降られようと先を急いだろうが、今は乗用馬のルーダも一緒だ。
草原産のルーダは、丈夫で我慢強く粗食にも耐える良い馬だ。
が、雨にあたらせたら風邪をひいてしまうかもしれない。
それを避けるため、街道から森の中へ分け入って、大きな楠の根元で一夜の宿をとったのだ。
本来女性の一人旅であるジェンが、森でたった一人で野営するなんて危険この上ない行為である。
ジェンは独り立ちの傭兵としてお金を稼ぎ、今まで旅を続けてきた。
腕にそれなりの覚えもあるし、野宿にも慣れている。
それに相棒、カイルの存在も大きかった。
カイルは共生獣と呼ばれる存在だ。
魔法が日常として存在するこの南の大地ノエラでも、最も不思議な魔法的存在といわれている。
普段は猫やいたちのような獣の姿をしているが、ある大きさまでの生物ならどんな姿にでも変身できる。
ごく希に、心と心で会話できるジェンのような人間に懐いて、行動をともにすることがあった。
ジェンが傭兵として活躍できるのは、この共生獣カイルの力も大きかった。
※
昔々、まだ神々が大地の上を歩んでいたころ。
北の大地ガルナと南の大地ノエラは同じ大陸であったという。
神々は、この広大な大陸の支配を争って、自分を信仰する人々を操り際限のない戦を繰り返していた。
「地なる母バーリ」はこの戦によって、深く傷つき悲しんだ。
その悲しみの涙は、わが身たる大地の周りを取り囲み、海になったという。
「天なる父バール」は、大地が傷つくのを怒り、争い続ける神々に天より怒りの業火を投げつけた。
この業火により、幾柱もの神が姿を消した。
傷ついた「地なる母」は、我が子たる神々の消滅を悲しみ、残された神々をその身をもって天の業火から守った。
怒りに囚われた「天なる父」は、妻たるバーリの体を焼き尽くしてしまった。
「地なる母」の亡骸は、広大なる砂の海へと変じた。
こうして、「地なる母バーリ」の大陸は「砂海」と呼ばれる広大な砂漠によって、北と南の大地に分かたれた。
残された神々は、母たる存在を犠牲にしてしまった己の罪深さを後悔し、大地を人間に譲って異なる世界へと去っていった。
それでも神々の力は、大地や大気、海や川や湖、生きとし生けるもの全てに宿り、時として奇跡のような力を発揮した。
これが、魔法と呼ばれるものである。
※
ジェンが目指すアルバの都は、「砂海」のほとりにある交易都市だ。
死の砂漠と名高い「砂海」だが、死だけが支配する世界ではない。
古代から冒険者や隊商が見つけ出したオアシスが点在しており、北と南の大地を結ぶ陸の交易路として繁栄している。
この交易路の出発点として、また様々な人や情報、荷物が集まる拠点として発展してきたのがアルバの都だ。
ジェンがこの都を目指したのは、隊商の護衛としての仕事を探すためだ。
南の大地ノエラには、いくつもの国が存在する。
どの国の王もそれなりの名君ぞろいで、今は争いが起こりそうな気配はなかった。
独り立ちの傭兵が仕事を探すには、少々不利な状況といえた。
春を迎えて交易が盛んになるこの季節は、護衛の仕事なら選び放題になる。
女戦士と共生獣の組み合わせは、非常に便利だ。
隊商の主は同行している自分の奥方を安心して任せられる護衛が雇えるし、共生獣の特殊な力は危険な砂漠を旅する時の貴重な道導ともなる。
交易期間の間は、買い手に困らない。
ジェンはそう判断して、このアルバの都を旅の目的地とした。
一夜を過ごした森を出て街道に戻ったジェンは、ルーダの背にまたがってゆっくりと歩を進めた。
誇りっぽかった道は、大雨のおかげでしっとりと湿り気を帯びて歩きやすくなっていた。
空気も澄みわたり、心地よい風がジェンの頬をなでていく。
目指すアルバの都まで、気持ちの良い旅ができそうだった。
(ええ、風やなあ)
カイルは目を細め、風を感じとっていた。
今はジェンの肩に乗り、器用にバランスをとっている。
いつのまにか機嫌が直ったらしい。
「ああ、まったくだ」
ジェンは片手で手綱をあやつり、空いた手でカイルの目と目の間をなでつつ遠くに見えるアルバの都をながめやった。
「少し走るか?」
(お、ええなあ!)
「そうだね。ルーダ、頼むよ」
ルーダの首筋を軽く撫でてやると、彼女は大きく首を反らせてからゆっくりと走り出した。
南の大地の中原には、広い草原地帯が広がっている。
そこで暮らしているのは、羊や牛、馬を追って旅をする遊牧民だ。
ルーダを育てたのもそんな遊牧民の一族だ。
ひょんなことからある一族を助ける事になったジェンは、そのお礼と友情の証としてこの若い雌の草原馬を贈られた。
遊牧民にとり、子供が生める雌の若馬は貴重な財産である。
それを贈り物として与えられた事にジェンは深く感謝して、この馬をことのほか大切に扱った。
傭兵にとして自分専用の馬を持っているのは、仕事を得る上で大きな力となる。
それ以上に、流れ者の傭兵に過ぎない自分に、彼らが最高の贈り物を贈ってくれた事が嬉しくもあった。
一人と二頭の旅は、早足と並足の繰り返しで午後まで続き、アルバの都にたどり着いたのは昼下がりのころになった。