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北の少年   作者: 隼 光
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序章

…ごとり。


重く乾いた音とともに、少年は最後の石を積み終えた。

ザザザー。

草原を渡る風が、少年の汗ばんだ頬を優しく撫で、赤い髪をなびかせた。

少年の目の前には、人一人が寝かせるほどの新しく掘り返した地面と少年の背丈ほどの石塚がある。

先ほどつみ終えた石は、この石塚のものだった。


「じいちゃん」


石塚に向かって少年は語りかけた。


「俺、ここを出て行こうと思うんだ。

 じいちゃんと2人、ずっとここで暮らしてきたけどさ・・・」


 少年は石塚から目をはなし、地平線の方へ視線を泳がせた。

その視線の先には、どこまでも草の海が広がっている。

白や灰色がかった雲が、ゆったりと風に運ばれ大空を渡っていった。

地平線には頂上に雪をかぶった険しい山々が、その雄大な姿を誇るかのように連なり世界を囲っているようだ。

振り返って後ろをみれば、少年が暮らしていた小屋があった。

木の皮がついたままの材木を組んだ、小さな丸太小屋。

他には狭い畑と、薪などを置いている物置小屋があるだけだ。


 少年の世界にはこの小屋と、亡くなった祖父がいるだけだった。

祖父と少年、2人だけの自給自足の生活に不満はなかった。

祖父は自分の持つあらゆる知識と技を、少年に教えてくれた。

長い冬の夜には、いろいろな物語を話してくれた。

それでも、時折、少年の心には漠然とした不安が湧いてきた。

もし、1人になったらどうしよう。

いつまでも、祖父と自分だけの生活が続くはずはない。

その『時』が来たら、一体どうしたらいいのか。


 少年は祖父以外の人間と、ほとんど会った事がなかった。

祖父はごくまれに、遠くの村まで必要なものを買いだしに出かけていたが、少年が同行することを許さなかった。

少年は、人の目を避けるように育てられた。

そうした生活が続くうちに、とうとう少年の恐れていた『時』がやってきた。

祖父が急な病で亡くなったのだ。

意識を失って倒れてから、わずか数時間の急な死の訪ないだった。

少年に何の言葉も残さず、祖父は旅立ってしまった。

黙々と、祖父を弔うためのの穴を掘り、その亡骸を大地の母へと還し、石塚を築き…。

今、少年は決心を固めた。

ここから広い世界へ旅にでてみようと。


少年の名は、ロヴ。

旅立ちを決意したのは、14歳の春だった。





 旅にでる。

そう決心したロヴだが、すぐに旅立てるわけではなかった。

突然亡くなった祖父の持ち物を整理しなければいけないし、長くなるであろう旅の用意もしなければならない。

場合によっては、もう二度とこの小屋に戻れないかもしれないのだ。

幸い、畑の方はまだ種まきも何もしていなかったから、このまま放置しておけばよかった

乳を取るため飼っていた山羊も、この前祖父が村で売り払った。

しなければいけないのは祖父の遺品整理と、旅の用意だけ。

石塚の前で物思いにふけっていた少年は、何かを思い切るように大きく首をふって小屋の方へ歩いていった。

後に残ったのは、真新しい石塚と手向けられた野の花束、ふきつける風の音だけだった。


 祖父の遺品は驚くほど少ない。

何冊かの書物と、衣服に下着と寝具、靴、生活に必要な道具たち。

ロヴはゆっくりと、祖父の持ち物を片付け始めた。

羊皮紙の本は、湿気を防ぐため丁寧に布に包み通気の良い衣装箱にしまいこんだ。

その上に多くはない衣服を丁寧に畳んでおいていく。

小袋につめた防虫用の香草をいくつも入れて、思い切るように蓋をしめた。

その横に磨き上げた長靴をそっとおいた。

長靴の中にも、防虫用の香草をたくさん詰めた。

ロヴにとってはただの気休めに過ぎない。

だが、しばらくの間でも祖父の持ち物が虫に食われる事なく存在すると思えば、なんだか随分と慰めになった。


 ロヴが祖父からの手紙を見つけたのは、寝台を片付け始めた時だ。

敷物を取り払った寝台の枕部分が、小さな物入れになっていたのだ。

何が入っているのか不思議に思い蓋を開けてみると、羊皮紙を折畳んだ手紙と古びてはいるが金糸や銀糸で刺繍された豪華な布の細い包みがい入っていた。

つつましい生活に不似合いなその包みが気になって、ロヴはそれを先に広げてみた。

包まれていたものは、繊細な金細工といくつもの宝石で飾られた短剣。


(どうしてこんな物をじいちゃんが?)


短剣の柄頭には、細い下限の三日月と十字型の星が蔦の葉文様で囲まれた紋章が象眼されていた。

質素な生活をしていた祖父と、この繊細な装飾の短剣はどうにも結びつかない。

その謎を解明できるかもしれないと、ロヴは手紙を読みだした。



ロヴへ


 今、お前は悲しんでいるだろうね。


この手紙を読んでいるとしたら、私はもうこの世にはいないだろうから。

お前はまっすぐで素直な子だ。私の荷物に勝手に触れたりはしない。

そのお前がこの手紙を読んでいるとしたら、私が死んで荷物を片付けているはずだから。

だからこの手紙と、お前のものであるこの短剣を残しておこう。


お前の名はロヴではあるが、もう一つ真の名があるのだ。

世間からお前を切り離すような生活を、お前も不思議に思っていただろう。

そのわけは、真の名とこの短剣のせいなのだ。


お前の真の名はロウ・ヴェインという。


この名は決して他の人に明かしてはいけない。

なぜなら・・・



 ここまで読んで、ロヴの目は涙が溢れて止まらなくなった。

もう先が読めない。いくつもの涙が手紙に零れ落ちた。

何も言い残すことなく亡くなった祖父の。


これは遺言だ。


突然の祖父の死に泣く事もできなかったロヴの心は、やっと悲しみを押し出すことができた。


 泣いて、泣き続けて、やっとロヴは泣き止んだ。

あまりに長く泣いた事を、気恥ずかしく思った。

こんなに泣いたのは、小さいころに飼っていた小鳥が死んで以来だ。

頬をぬらす涙を手の甲でごしごしとこすり、手紙の続きを読もうとして、もう陽が暮れようとしているのに気がついた

窓から差し込む光は、部屋中を紅く染めていた。

これでは、手紙の続きが読めない。

ロヴはあわてて火口箱と、獣脂ろうそくを探し出して火をつけた。

火打石と火金を打ち合わせて火花を散らし、おが屑に火花を落として火口に火をつけ、ろうそくに火をともすまでは一苦労だ。

ろうそくの明かりがともったころには、部屋の中は真っ暗になっていた。

ジジジと音をたてて燃えるろうそくの明かりをたよりに、ロヴは手紙の続きを読み始めた。



・・・なぜなら、ロウ・ヴェインの名は、北の大陸ガルナにある魔法使いの国、ロウ・ゼオンの王子の名前だからだ。

ロヴ、もうこの手紙と一緒にしまっておいた短剣は見ただろう。

柄頭の模様はロウ・ゼオンの王家の紋章だ。

お前の両親がその誕生を祝って作らせた、お前の短剣だよ。

この短剣は、お前がロウ・ゼオンの王族だというただ一つの身の証でもある。

両親の形見ともなってしまったな。


ロヴ、お前の両親はあの国の王と王妃であった。

今、かの国の王座についているのは、お前の両親を惨殺して王位についた実の伯父だ。

いきなり、このようなことを読んだとしても信じられないだろうが。

これはあらゆる神に誓って、嘘や偽りでないと明言しよう。

人の目から隠すように育てたのは、追手の目を逃れるためだ。

ほんとうなら、魔法の使い手であるお前に、魔法の手ほどきをしなかったのもそのためだ。

魔法は大いなる力だが、力を使えば、その痕跡をたどられるかも知れない。

生き延びるためには、そうするしかなかったのだ。

寂しい思いをさせて、ほんとうにすまなく思う。

これだけは、許してもらえないかもしれないな。

そのかわりに、あらゆる知識と技を伝えたつもりだ。

私の娘、つまり王妃は平民の娘であったが、国王に見初められて幸せな結婚をした。

お前は両親と国民から望まれ、愛され、祝福されてこの世に生まれてきた。

それだけは間違いない。

それだけは、忘れないでほしい。


これからお前がどうするのか、それはお前の自由だ。

ロウ・ゼオンの正当な王として名乗りを上げるか。

それともこのまま平民として安穏に暮らしていくのか。

できるなら、正当な王として名乗りを上げて欲しいが…。

最後に、お前の両親の名を記しておこう。


父はロウ・ゼオンの6代目の王、ロウ・ヴェック。

偉大な魔法の使い手であった。

母はその王妃リベカ・マク・ハラン。


どうか、2人の名を忘れないでおくれ、ロヴ。

お前の祖父ハランより、愛をこめて

お前の人生に光があらんことを。




 手紙を読み終えたロヴは、しばらく身動きひとつできなかった。

祖父のハランが書いた手紙の内容が、あまりに信じられなくて何も考えることができない。

魔法王国ロウ・ゼオンの伝説は、世間にうといロヴですら知っている。


北の大地ガルナの最も北の地に天降りた神「全き者」ロぜオン。

「全き者」ロゼオンと、癒しの女神イーサが結ばれロウ・ゼオンの国を興したという建国伝説は、魔法の技とともにこの南の大地ノエラにも伝わっている。


そのロウ・ゼオンの王子だって?

この俺が?


これは祖父の冗談なのか、妄想なのか、それとも・・・本当のことなのか。

今のロヴに判断などつけられない。

つけられるはずがなかった。

ただ、短剣は間違いなく本物だ。

そして祖父ハランが嘘をついたり、妄想を抱くような性格でないことも解っている。

それだけが、ロヴの知っている真実だ。


 この短剣とハランの手紙をどうしたものか?

このまま、この小屋に残していくのは絶対にしてはならない。

かといって、あての無い旅にでる自分が持ち歩くには、どちらも危険すぎるものだ。

手紙は焼いてしまえばもう悩む必要だけはなくなるが、祖父の遺言を焼いてしまうなんてことは、ロヴにはできるはずもなかった。

手紙を元のように折畳み、ロヴは短剣を両手にとった。

繊細な金の装飾が、ろうそくの火にきらめいた。

鞘の部分に嵌め込まれた宝石は、一つだけ売ったとしても、一生遊んで暮らせる金額になるのではないか。

なめし皮のズボンに、袖なしの皮胴着、麻のシャツという質素な衣服の自分とどう見たってつり合わない。


「俺にはこんな短剣、絶対に似合わない・・・」


ため息をついて、彼は短剣を鞘から抜いてみた。

短剣の柄は、しっくりとロヴの手になじんだ。

まるで、長年使い続けた大切な道具のように。


「せめて、この短剣がありふれたものだったら」


しっくりなじむ感触に感心して、そんなことをつぶやいた。

銀色の刃には、何かの文字が刻まれていた。


「なんて、書いてあるんだろう?」


不思議に思って、ろうそくの火に近づけ文字を読んでみる。


『我は汝が言葉に従うものなり』


刻まれた文字は「全き者」ロゼオンが伝えたとされる、魔法を使うときの力ある言葉だ。

ロブはこの文字をしらない。

知らないはずなのに、内容がわかってしまう。

そして、無意識のうちに声を出してその言葉を読みはじめた。


「我は汝、ロウ・ヴェインが言葉に従うものなり。汝がのぞめば、我は従う」


ロヴが言葉を読み終わったとき、短剣の姿が闇に溶け込むように消えうせ、変わりにありふれた皮の鞘に入った、何の変哲もない短剣が現れた。


「え?!いったい何がどうして!?」


いきなりの変化にとまどって、ロヴはひどく取り乱した。

握りしめた姿を変えた短剣を、じっと眺める。

繊細な装飾と宝石の飾りは消えうせたが、刃に刻まれた文字と、柄頭の文様だけは変わっていなかった。


「・・・俺が望んだから?」


さっき、無意識に唱えた言葉は、今でもはっきり覚えている。


「俺の言葉に従ったてことなのか」


この短剣なら、誰の目にさらしても問題はない。

柄頭の模様は、なにかで隠してしまえばいいんだから。

祖父ハランの手紙は、旅の荷物にしまいこんでおけばいいのだ。


「なにがどうしたのかわからないけど、これで旅にでられる」


やっと、希望が見えたような気がして、ロヴの心は少しだけ明るくなった。


 翌朝、旅の荷物を整えた少年は、丸太小屋の戸をしめ最初の一歩を踏み出した。

長い旅を祝福するかのように、夜明けの太陽が世界を黄金色に染め上げた。








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