56話 ちょいと無謀ではあったかな
周囲に絶叫が響き渡り、それがそのまま戦闘の終わりを告げる。
漆黒の君の周りを覆う超高電圧の電撃の火花が近くまで届き、Aseliaは思わず目を瞑る。
「おーい、じいさん。こいつも満身創痍だからよ。少しは手加減してやってくれー」
Aseliaの頼みどおり電撃が弱められると、漆黒の君は剣を落とし、その場に崩れ落ちた。
「まったく……人に散々無茶な注文をさせおってからに……。しかも、予定と全然違わんかのう? サイトくん?」
ギルドマスターの老人が呆れているかのような顔で現れ、2人に近づいた。
「いやぁ……途中までは順調だったんですけどね……予想以上に敵が弱くて。なのにこいつだけは洒落にならんくらい強くて……」
「これに懲りたら人をそう簡単に動かせるものと思わんことじゃ。30年は早い」
「……肝に銘じときます」
漆黒の君は仰向けになったまま体を全く動かせずにいた。ブラッディポーションの効果も切れ、脳内物質の分泌も止まったのか痛覚も戻り、遅れて来る痛みに悶絶する。
「これ、何を今更痛がっとるか。お前さんに殺された人の痛みはこんなもんじゃないぞ?」
老人が彼女の傷口を杖で突くと、更に痛々しい悲鳴が辺りに漏れる。
「まったく……もうほとんど終わっとるじゃないか。折角これだけの数を集めたのにのう」
「か、かず……?」
老人が杖で漆黒の君の頭を上げてやる。その視界の先を見て彼女は茫然とした。
溢れんばかりの人間。
何十、いや、何百。下手すればもっと……。
それだけの人間、冒険者が今の彼女を取り囲んでいた。
「は……はは……! こ、ここまでやるの!?」
「そうじゃ、今後のためにな」
ギルドマスターが周囲の冒険者に向かって杖を振り上げ、高らかと声を上げる。
「よいか! この男は我がギルドの中でも最強の戦士……じゃった! しかし、今ここに討ちとられている! しかも最後の仕上げはお前達がやったのだ! これが何を意味するか分かるか!?」
老人は再び息を大きく吸い込む。
「これが、本来の役目を忘れ、己の私欲、狂気に走ったものの末路じゃ!我らが力を合わせれば以下に力が強い相手でもこのように討ちとれる!そして、今後同じような考えを持ったものが現れたら、このような目に会うのじゃ!各人、よぉーっく覚えておくがよい!」
冒険者たちが一斉に歓喜と少しの恐怖が入り混じった歓声を上げる。
「な……何なのよ、あいつらは……?」
「冒険者ギルドに登録している奴らを片っ端から集めたのさ。精神の取り込まれているかどうかの有無は考えないとしてな。レベルが一ケタの奴だっている」
「説得するのに結構手間がかかったようだけどな。本当なら、あそこの小屋に取り囲んで、一斉にさっきの電撃を喰らわせるつもりだったのによ…… 無駄足になっちまったかな」
プリースト達の回復魔法を受け、サイトとAseliaはようやく立ち上がる。
「この世界の人間を……味方につけたっていうの……? そして、見せしめのために……」
「ああ、でも味方にできたのはお前らのおかげだ」
「な、なんですって……?」
遠くの方で土砂が掘り起こされ、中に生き埋めになっていた3人が命からがら救出されていた。さらに林の奥に吹っ飛ばされていたタミも、よろよろ歩きながらこちらに向かって来る。
「さっきお前が言ったことも尤もだった。この世界に来たプレイヤーが自分にとって邪魔な人間を殺そうとする気持ちだって分からないこともない。そしてこの状態を止めるなんてことはあまり望まれていないことも」
「そりゃあ、何百人と入って来て、俺達の味方はその内の数十人だからな。みんなそんな考えなんだろうなーとは思うけどさ」
サイトが周囲の冒険者達を見渡しながら言う。
「でもさ、それは結局『俺達の』都合であって、こっちの世界の人達はそんなの全然関係ないんだよ。傍から見ると気の狂った集団が暴れているだけにしか見えない」
「だって俺達の現実世界なんて全然知ったこっちゃないんだからな。もし俺達の世界で目的もはっきり示さず、手当たり次第に殺人を犯している奴らがいたら、みんな普通にキレるだろ? 軍とかも持ち出してさ。そんな感じだ」
「……ここに住む住人にもまた別に個々の意識があり、それを認めろ、と?」
「そういうことだな。じゃないと、こんな作戦取れないし。お前らが真に怒らせたのは俺達じゃない、こっちの世界の人間だ。ここを完全な異世界ととるか、単なるゲームの中の世界だととらえるか……その違いだ」
漆黒の君は苦々しい顔をしながら目を閉じ、頭を地に下した。
「現実だと……こうも上手くいくものか……!」
「だろうな」
「結局はファンタジーだし」
サイトとAseliaは笑った。全てをやり遂げた、と思いたい所だが、本当の戦い(現実)はこれからだという感じの少し乾いた笑いだった。そこへ、タミ、にぃにぃ、くろね子、グンジョーが加わり、互いの無事を祝い合う。
山は先程の戦闘ですっかりはげ散らかしてしまっていた。そして、彼らから少し離れた所を通り、続々と殺人犯が連行されていた。
「ん……あれだけ?一人足りなくないか?」
「……アルクだ!そうだ、結局奴はどこにいたんだ!?」
Aseliaは思い出したかのように後ろに戻り、地面に寝そべったまま手足を縛られた漆黒の君の頭を乱暴に蹴る。
「おい、寝てんな!」
「……何だ?」
「アルクの奴は結局どこにいたんだよ?」
漆黒の君はそんなことかと気だるそうに答える。
「ふん、あの小屋の中だよ。お前らが思ったより早く来たせいで、元々あの爆薬は使う予定はなかった」
「てっめ……!仲間が残ってるのに、あれを爆発させたのかよ……」
「何事ものらりくらりとかわしている得体の知れない奴だった。しかも常に顔を隠していたからな。都合が悪くなると真っ先に裏切るのは目に見えていた」
「だからってありゃあ普通に死ぬだろ……ん?テルミさんだ」
山の上から回復したテルミが何やら慌てたように駆け下りて来る。
「よう、テルミさん。こっちはもう片付いたぜ。ほら、漆黒の君もこの通り……」
「だったらお前らも急いでくれ!アルクに逃げられた!」
「な、にぃ~!?」
「へぇ……あれだけの火薬の中心にいたのにどうやって……」
漆黒の君も意外そうな声を上げる。
「おい、てめぇ。他に何か知ってんじゃねぇのか?」
「あいつの事はホムンクルスを使った偵察が出来ること以外知らない。戦った姿も一度も見たこと無いしね。でも、お前らの物量作戦なら別に問題ないんじゃないの?」
Aseliaは舌打ちしながらもう一度彼女の頭を軽く蹴る。
「そいつの足取りは?」
「この山の奥に大きな崖があって、向こう岸を繋ぐ吊り橋があったんだが、奴が通った後それを切り落としやがった。だから今迂回して向かっている」
サイトは僅かに赤みがかって来た空を見て眉を顰める。
「日没まであまり時間が無い。急ごう」
「暗くなったらゲームオーバーだな。いけるのか……?」
アルクが逃げに最も適した能力を持つことは、彼らも重々承知していた。
「頼みの綱はシエルだ……あいつがただ一人崖を越えた」
「マジか!やるな、あいつも……!」
「あの中で一番体が軽かったから、力自慢のファイター(おまけに現実でのハンマー投げ経験者)に投げさせて、崖を飛び越えさせたんだと。本人は最後まで渋ってたしいけど」
その様子がメンバー全員の脳裏にありありと浮かぶ。
「……とりあえず、彼を信じて俺達も急ごう」
サイト達はその場を一斉に離れ、仲間の元へ駆けだす。
その場に取り残された漆黒の君が周囲からとっとと起き上がるように促されるが、聞こえない振りをしていた。ギルドの役人が仕方なく担架を用意し、ぶつくさ文句を言いながら彼女をその上に乗せる。先程の戦いで全く体を動かせないほど消耗していたのは事実なのだが。
担架で運ばれぼんやりと空を眺めると、鳥の群れが人間が去るの待っているかのように辺りをぐるぐる飛び回っていた。この最強の戦士の体では無くて、あの鳥たちに精神が移っていたらどうなっていただろうか…… 彼女はそんなことを考えていた。
「結局……強さってどんな意味を持つんだろう……」
どんなに体を鍛えようとも。
どんなに頭がよかろうとも。
どんなに金と権力を手に入れようとも。
人はナイフで心臓を刺されたら死ぬ。
銃で頭を撃ち抜かれたら死ぬ。
病気にかかれば散々苦しんで死ぬ。
死なないためにあらゆる手段を尽くす人達。
安全であることの愉悦を享受する人達。
だが、この世界はそれすらも超えて人を殺すことが出来る。
この世の理から外れるかの如く。
いや、これこそがこの世の理なのかもしれない。
安全故の傲慢。
地球上の、この世界の一生物としての分をわきまえずにいる者を調整するための世界。
この世界の存在が人の手によるものだろうと、神の手によるものだろうと。
「やっぱり……多くの人がそれを望んだから出来たんじゃないの?」
漆黒の君は小さく呟き、そのまま静かに目を閉じて深い眠りに落ちた。
◇ ◇ ◇ ◇
もうすぐ、日が暮れようとしている。
実際に森の中は既に真っ暗で、夜目を利かせないと前に進むのも難しくなっていた。ここにもどういうわけかモンスターはおらず、小さな野生動物の鳴き声だけが木霊していた。
―もう少し、あと、もう少し。
そこに息を切らしながら前へ進む一つの影があった。全身、口元をコートのような服で覆い、目の部分のみが僅かに露出している。その足取りは拙く、時折木の根元に腰かけては休憩をはさんでいた。
―この晩を逃げ切れば。
腰のあたりまで伸びた下草を掻き分けながら、必死に前に進む。随分長い間、全力疾走していたのだ。この世界の彼の体は元の世界の自分の体力とどっこい。正直化け物相手とやり合うのは分が悪い。男はその事を重々承知していた。
自分は弱い。
だが、現実ではどうだ? 弱い人間でもなんとかやっていけるではないか。必死に知恵さえ絞れば、脳味噌に汗を流して自分の立ち回りを考えればやれないことはないさ。寧ろ生き残ることを長く考えている分、他の奴よりもずっと上手くいったりする。
そして彼は茂みを抜け、地面が整備された(森の中よりマシという程度だが)広場に出る。そして目の前にある建物……彼は最後の力を振り絞るかのように入口まで近づき、ほとんど体重だけでその扉を開く。その中も灯り一つ灯っていなかった。
彼は広い室内を真っ直ぐ進み、しばらくした所で足を止める。すると急にしゃがみ始め何やら家具の下をまさぐり始めた。
「あった……!」
黒っぽい布の袋。その口を開き、まずはガラスのボトルを取り出す。そして何の迷いもなく、蓋を開けその中身を口に入れて行く。
「あぁ……生き返る……単なる回復アイテムなのに……」
更に袋をまさぐって乾パンのような物を取り出し、それを口に放り込んで租借する。
「ふぅ……もしもの時を考え、備えておいて正解だったな」
ここは以前、ホムンクルスを使って見つけた建物だ。ここの存在は誰にも教えていない。彼は道具袋が置いてあった場所……椅子のような物に腰掛けて、自分の脚を揉みほぐす。
「それにしても漆黒の奴……やっぱり俺の命なんてその程度にしか思っていなかったか。こいつがなかったら危なかった……」
彼は懐から一冊の本を取り出す。高校レベルの英和辞典くらいのサイズと厚さで、見た目は何の変哲もない本だが、彼にとっては生命線のようなものであった。
あの場から逃げ出せたのはまさに運に天が味方したと言ってもよいくらいに、命からがらの出来事であった。あの時の小屋の中で、彼自身もあの状況からどうやって脱するか、歯を震わせながら考えていたのである。
だが、ここまでくればなんとかなったも同然。いくらこの世界の強力なファイターでも、あの崖は超えられまい。アジトのある場所からは吊り橋を使わないとそれだけで大幅なタイムロスになる。そもそも自分は最短距離でこの建物まで来たのだ。人一人を探しながらならばさらに時間を食うはず。その頃にはもうすでにタイムアウトだ。位置はリセットされ自分は再び町に戻る。もちろん奴らが厳しい見張りをつけているだろうが、顔は誰にも見られていないし、大人しくしておけばまずバレることは無い。
常に最悪の状況を想定してきた自分の勝ちだ。敵の増援を見抜けなったのは置いといて。いや、あれは自分のというより、あいつらのミスだ。自分一人ならそもそもあんな状況にならない。
……とにかく自分は最大の危機から脱したのだ。
この場所に留まり続けてもいいし、さらに念を押して山の奥に進んだっていい。
いずれにせよもう少しここで休憩しよう。
「ったく、どいつもこいつも自己主張の激しい奴らばかりだ……ちょっと力が強くなったからってすぐに調子に乗りやがって……そんなに現実の鬱憤が溜まってるのかね……」
彼は立ち上がり今度は全身のストレッチを始めた。
「ま、何にしてもやましい事はこっそりとやるもんさ。臆病なくらいがちょうどいい」
「ほんとだよ」
「馬鹿な奴ほど、自分が選ばれた存在って勘違いしちまうからな」
「まったく、それには同感」
「だろ? お前もわかる……」
……か?
「よう、お疲れ」
三角帽を被った少女が建物のドアに寄りかかりながら、その容姿に全く似合わない男口調で語りかけて来る。
「な……ぁ……!?どう……やって……!」
「いやいや、それはもう酷い目に会いました。おかげさまで室伏に投げられるハンマーの気持ちを理解できてしまうという、貴重な体験が出来ちゃったよ」
アルクは絶句する。
「さぁて、鬼ごっこはもう勘弁してくれ。この体を酷使するのはもう嫌なんだよ」
そう言うと、少女は赤いクリスタルのついたロッドをかざした。