55話 夢の代償は
アジトの小屋からどれくらい離れたところだろうか。彼らは山から下りるように進んでいたが、まだ辺りは鬱蒼とした木々が続いていた。
「ちぃっ! しつこいっ!」
漆黒の君の剣から放たれた黒いオーラが獣の顔の形となり、周囲の空間にある物を文字通り尽く食い荒らす。周囲の木々は自分の隠れ蓑としては便利だが、相手を捉え辛くなるのは互いに同じだ。ならば樹木ごと吹っ飛ばそうとして放ったはいいのもの、この技は直線的な軌道を描くため、すばしっこく動き回る相手を仕留めきれずにいる。
「さらに懐がお留守だぁっ!」
いつの間にか彼を追い抜いていたタミが、左脇腹を目がけて切り上げて来る。反射が追いついて何とか防御するものの、彼は再び離れ周囲の背景に同化してしまい姿を見失う。
元々は潜入用のギリースーツであったが、山中の戦闘では予想以上の効果を発揮していた。
周囲の木々を全て倒せば、視界は開ける。しかし、それだと相手は距離を取って来るだろう。アーチャーもまだ一人いる。そいつを狙うとファイターの2人が飛び込んでくる。漆黒の君の魔法剣は剣先のオーラで射程を伸ばすことが出来るが、その際には小回りが利かなくなる。
先程の戦闘では彼らは用心してあまり近づいて来なかったが、次第に感覚を掴んできているのか、数が少ないにも関わらず攻め手が増えてきている。加えて約1名が効果の高い迷彩装備。
(だが、決して無理には突っ込んで来ない……こちらを上手い具合に足止めするだけに留めている……)
そう、あくまでも後の援軍を期待しての動き、物量は相手側の方が圧倒的に上なのだ。仲間が追いついてくる可能性がある、明らかにそれを期待した動き。いくら1人では何もできない臆病者、卑怯者と罵った所で、奴らは物量作戦を止めないだろう。しかも、奴らの仲間がこれだけとは限らない。アルクがヘマをやらかしたせいで調べ損ねたが、山の麓にも仲間がいるかもしれない。じゃあ、どこに逃げる?ノツィミカーラの町も封鎖されている。
じゃあ、別の町……いや、町の門を突破して押し入るか? そして市民どもを人質にとれば……いや、それだと今日は凌げても、翌日から全く動けなくなる。しかも、この世界は一日ごとに自分のいる場所がリセットされてしまうのだ。すなわち、遠くに逃げ続けることが出来ない。リスポン地点を割り出され、そこで本格的に待ち構えられたらさらに状況が悪くなる。その日を凌げても次の日、そしてまた翌日……毎晩、毎晩、奴らが自分を捕えようと追いかけてくるのである。
毎晩、毎晩……鬼ごっこの鬼をやらされ、そして捕まったら自分の人生は終了……。
全国指名手配された凶悪犯の如く。
そう、逃げ続ける犯罪者の如く。
漆黒の君は、消耗していた。
「なぜ……俺ばかりが……」
使えない仲間……相手を一人くらいは殺してくれると思ったが、早々に倒され、中には降参する者もいた。どこまでも、どこまでも使えない仲間。足を引っ張ってばかりの存在。発破をかけて一度はやる気を見せたはいいものの、すぐに相手に気圧される始末。
「くそ……くそ……!」
使えない友人……いつもは本物の友情がどうのこうのとか鼻がむずがゆくなる台詞を吐く癖に、こちらが本当に困っている時は簡単に見捨ててくる。
使えない家族……折角小さい頃からこっちが必死に勉強してやって、あんたらの鼻を立ててやったのに。昔は将来は医者か弁護士かとか散々宣ってたくせに、いざ大学受験となった最中に交通事故で子供を引き殺した父。そのせいで母親は逃げ、自分も示談金の支払いと遺族への体面から大学に行くことを諦めざるを得なかった。
使えない上司……時代に恵まれて成功しただけなのに、それを自分の実力と勘違いしている奴ら。『社会の厳しさ』なんてのはあいつらが自分のちっぽけなプライドを満足させるために作っている物。
そして……使えない自分。
そんな屑どもに負け、今では薬無しではまともな生活すら送れなくなっているこの心と体。
「サイトぉー!まだ生きてるかぁぁぁ!?」
また新しい女の声。とうとう奴らの仲間に追いつかれた。
「Aseliaか!テルミは大丈夫か!?」
「おう! 向こうのことはシエルに任せた! そっちも無事だな!?」
「あともう一息だ!だが、最後まで気を抜くな!」
シエル…… あの糞ガキ……よりによって大学行ってます自慢……自分の一番嫌いなタイプだ。単に奴の生まれが恵まれていただけなのに……何の目的も無く、どうせただ遊ぶために大学に行っているだけだろうに……そんな奴に、自分の計画を邪魔された。
まずは雨宮が邪魔だった。自分達を単なる悪者にした存在。先日の集会も放置しておけと言っておいたはずなのに、先走って行動に出た正真正銘の狂人……いや、ガキだ。自分の命も狙われていたかもしれない。しかもそいつはこちらの目の届かぬ所で、自分たちのリーダーの事を自慢げに言いふらして回っていたのだ。どの道自分の存在は明るみに出ていた。
そこで奴を始末する事を決めた。
だが、ただ奴の首を持って行くだけでは奴らはこちらに疑いをもったまま、牢屋にぶち込まれるだけだ。先日のモンスター襲撃事件で相手を下手に結束させてしまった。まずはその結束を壊して奴らの信頼関係を再び白紙に戻す必要があった。
そんな最中、サイトがリスポンしてすぐに一人でギルドの中に入っていったという情報をアルクから聞かされた。向こうの仲間内でも評価の高い奴に化けて暴れ回ってやれば、奴らは再び疑心暗鬼になって一時的に散り散りになる。もちろん奴らの当時の溜まり場であった宿屋には、他の仲間も全員待機させ、自分と同じように動かせるようにした。暴れている途中でこっそり変装を解き、後は漆黒の君として残りの味方を口封じに殺害すれば一般住民にもいい感じで目撃され、物的証拠と共に奴らの信頼を得ることが出来る。こうすれば悪い噂もすぐに治まる。
あとはそのまま町のヒーローとなってもよし、奴らが邪魔になってきたらそのまま始末するのもよしと、煮るなり焼くなり好きに出来た。……はずだった。
だが……あのシエルというガキがそれを全てぶち壊した。
完璧だったはずのアサシンスーツの変装を見破り(そもそもアサシンスーツを使うという発想も無かったはず)、自分の悪名を物的証拠を持って白日の元に晒してしまったのだ。
「くそ……くそぉ……!」
「スパークウェブ!」
周囲一体ににぃにぃが放った電撃の網が広がる。漆黒の君は魔法剣で振り払おうとするが、その網は斬り裂かれる前に蜘蛛の糸の如く剣に、体に絡みつき、チクチクと体力を削ってくる。
「くっ、このっ……!」
「おぉ~、何か嫌がってるぜ!」
「あんまし威力は無いから止めはお願い!」
すぐさまグンジョーの矢が飛ぶが、漆黒の君はそれを剣で受け止める。さらに体に纏わりつく網を払うと、追撃に来たファイター3人の攻撃を一手に受ける。
「どうだ!?」
「まだ浅い! ……が」
最も威力の高いサイトの大剣に意識が偏ったため、その脇のAseliaの一撃を完璧に捌き切ることが出来なかった。白銀の鎧の脇腹辺りが切り裂かれ、そこから赤黒い血が流れ出す。
ついに漆黒の君が傷口を押さえながら、片膝をついた。
「ぐぅ……ぅ……!」
「その状態で動き回ると腸が飛び出るかもな!下手に動き回らない方がいいぜ!」
鎧で覆っているのでそう簡単にそんな状態にはならないのだが、Aseliaが相手の戦意を削ごうともっともらしい脅しをかける。しかし、現実でも腹をこのようにパックリ斬られた経験の無い(それが普通だが)漆黒の君は、その脅しを真に受けてしまっていた。
さらに6人は視界に入る程度に広がりつつも、彼を徐々に追い詰める。
「もう、いい加減に剣を捨てて降参しろ」
サイトが彼に最後の情けを与えるかの如く語りかける。
「降参すれば……その後はどうなる……?」
「……とりあえず、命だけは助かる」
実際はどうなるか分からない。でも、ここはそう答えるしかなかった。
漆黒の君は苦悶の表情に歪みながらも、口元だけは笑わせていた。
「とりあえず、助かってどうなる……」
「まだ現実があるだろ。そっちには俺達も手出し出来ねーからよ」
命さえ助かれば現実では普通の日常が送れる。毎晩苦しい夢を見続ける羽目にはなるが。
「とりあえず生きてたところで何になる!現実も……!」
そう激昂すると漆黒の君は片手で剣を持ち、刀身を自分の首元に当てた。
「あ!おい!よせ!」
「止めろ!」
剣は……引かれなかった。
「……かかったな」
「……!?」
漆黒の君の左手には黒いボトルのような物が握られていた。サイト達がそれをどうこうする前に、瞬時に蓋を開けその中身を飲み干した。
「あっ!傷薬か?まだやる気か!?」
「いや違う……あれは……」
その瞬間、漆黒の君の目が見開かれ、体からは赤黒いオーラが噴出される。
「くく……」
「まさか……ブラッディポーションか!?」
ブラッディポーション……何やら凄く邪悪な悪魔の血を精製して作られたとかいう薬。
飲むと一定時間自分のライフが減り続けるが……。
「その間…… 全ステータスが2倍になる!」
「そ、の、とぉぉーりぃぃーーっ!」
魔法剣から凄まじい太さの白いオーラが放たれる。射程は剣だけの状態の時の約3倍。しかも、凄まじい速さでそれが振られていく。
「みんな離れろ!」
「言われなくても逃げるっつーの!」
山の斜面がトンネルを掘ろうとして失敗したかのように乱雑に抉られ、辺りの木々が次々に倒れていく。メンバー6人はひとまず剣の射程外まで後退した。だが、その威力よりも、その剣の持ち主を見て絶句していた。
「お、おい……あんたこのままじゃ死ぬぞ……?多分……」
漆黒の君の脇腹からは血が止めどなく流れ、口からもブラッディポーションなのか本物の血なのかよく分からない赤黒い液体が垂れ流しになっていた。
目つきは言うまでも無くまともな人間のそれではない。
「人間……死ぬ気になりゃ、なんでも出来んのよ……!」
「死ぬ気になるのはともかく、力をぶつける方向が違うだろ!」
「私に説教するなぁっ!」
魔法剣を今度は真っすぐに叩き下すが、サイト達はかろうじてそれを回避する。
「くっそお……あんなもんに当たったら……」
「いい加減にしろ!俺達を倒した所でお前が捕まることには……!」
「つかまらなぁい!近づいて来る奴は全員ころぉす!」
漆黒の君はサイト1人に狙いを定める。圧倒的な射程の上に信じられないほどの速さで振り下ろされる剣に、サイトも最終的には剣で防御するしかなかったが……。
「あっ……」
「死ぃねぇっ!」
サイトの大剣に亀裂が走り、そして最後の一撃で、その場に砕け散った。
「しまった……!」
「あはは、まずはあんたらさえ殺せればそれでいいのよぉっ!他はどうせほとんど雑魚だろうし、闇討ちでも掛けてやれば結構ぉっ!」
慌ててタミがフォローに入るが、彼の剣では魔法剣の攻撃をまともに受けることが出来ず、振り向きざまの一撃で林の奥へ吹っ飛ばされる。
「あっ……! タミさん!」
「アタシとあんたらの違い…… それは覚悟よ。死ぬことに対する覚悟。それさえ乗り越えられれば人間ってなーんでも出来ちゃうの。そしてその覚悟が無い奴を簡単に殺せちゃうのよ!」
「……お、お前、女だったのか!?」
急に女口調になった漆黒の君にまた動揺しつつも、サイトは地面の砂を掴んで投げ、その場を跳んで逃げ出す。
「くっ、現実だってそうよ……今まで私を苦しめていた奴ら……あれだけ、とてつもなく高い壁のようなものに思えていたけど……本当に……あっけなく殺せちゃったわ!」
「こっちの世界からか!」
「いーや、現実でよ!完全犯罪なんてありえませーんなんてドラマよくやってるけど、何て事ないじゃない!あまりにも余裕だったのよ! この世界を使うまでも無い! バカな警察は1ミリも私の事を疑ってないわ!そりゃそうよ!命を掛ける覚悟なんて誰も持ってないからねぇ!あーっはっはっは!」
予想の斜め上を行く答えに、その場にいた全員の顔が蒼白する。
「現実でもこうなのよぉ……?だったら、こっちの世界だったら? 最強の力を持ったこの漆黒の君の体だったら……?何でもやれちゃうのよ……何だってぇぇーっ!」
アーチャー2人とソーサラーの遠距離攻撃で漆黒の君の視界が一旦塞がれる。しかし、何とも無いと言わんばかりに、剣すら使わずにそれらを払いのけ再び狙いを定める。
「本当に余裕じゃなぁい!最初からこうすればよかったわぁ!あんた達がとことん私の邪魔をするってんなら、ぜぇんぶ殺してぇっ!ギルドも私が支配してぇっ!この世界の全てを掌握してやる!そして、現実で私をコケにした奴らを、私をコケにした社会、この国を! みんなまとめて馬鹿にしてやる!精神をメタメタにしてクスリ無しで生きられない体にしてやる!ちょっとうざったい奴らが現れたらこっちの世界から捻ってやりゃぁいいのよぉっ!」
彼女の言う通り、本当に死の覚悟を乗り越えたものだからか、それともブラッディポーションの影響からか、台詞のスケールがとてつもなく膨らんで行く。
「この世界を……お前の思い通りに使えると思っているのか!?この現象だって誰か別の人間が仕組んだことなのかもれないんだぞ!」
「知るかぁ!だったら、そいつごと殺してアタシが全部好きなようにしてやるっ!」
既に武器を持たないサイトの体を目がけて、魔法剣のオーラが再び獣の形に変化し襲いかかって来る。しかも今度は速さも倍、サイトの脚は追いつかずその背後を捕えた。
「しぃねぇぇぇっ!」
「うぉぉあぁあぁぁっ!」
しかし、サイトの前にAseliaが剣を構えて立つ。当然、魔法剣が衝突した瞬間、一気に彼の剣に亀裂が走りあえなく砕け散る。さらに勢いの止まらないオーラの牙はそのまま彼の胸元にめり込むように衝突した。衝撃で体が浮き上がり、2人纏めて背後にあった大木に激突した。
「……がっ!げ、げほっ!」
サイトは背中からもろに大木に叩きつけられしばらく呼吸がまともに出来ずにいた。
「……わり、クッションがわりにしちまった」
「あ、Aselia……生きてるか……?」
「……あぁ。今朝、鎧買い変えてなかったら即死だったかもな……」
まだ息のありそうな2人の様子を見て、漆黒の君は不機嫌そうに血痰を吐く。
しかし、すぐさま横からの気配を感じ、魔法剣を使って周囲の地面を払い上げる。
「うわぁぁーーっ!?」
砂を掛ける、というレベルでは無かった。
残りの遠距離攻撃役の3人に、文字通りその場の地面が岩盤ごと持ちあがり、土砂崩れの如く襲いかかったのである。アーチャーは瞬時の対応に弱いし、ソーサラーでもそう簡単には防ぐ事はできなかった。
けたたましい地響きの後、再び辺りに静寂が戻った。
「さ、サイトぉ……やっぱりお前の作戦、どうしようもなく穴だらけだぜ……普通に犠牲出るだろこれ……」
「だから初めに言っただろうが……流石にあいつのチートっぷりは予想外だったけど……」
既に2人は体を動かせる状態ではなかった。いや、動かせた所で武器も無いのだが。
漆黒の君がよろよろ近づき、あざ笑うかのように2人に剣を突き付ける。だが、白銀の鎧は血に染まり、その表情には既に余裕の色は見えなかった。目の焦点も定まっていない。
「ぁ……はは……ぃひははっ!お前らの負けだぁっ!」
「……そうだな。でも、そんな状態で残りの仲間に勝てると思ってるのか?」
漆黒の君は血痰をがぼがぼ言わせながら、大きく宣言する。
「あとは23人……!今日無理に戦わなくてもいい……ひぃ、ひぃ、この山の中を逃げれば、今から追ってこれる増援だって……!」
「もっといるかもよ?」
「雑魚がいくら増えようと同じ事ぉっ!……はぁ、はぁ。こ、この体があれば……」
「……そうかい。じゃあ、残りの雑魚と戦って貰いましょう?」
Aseliaが左手をけだるそうに上げる。
「電磁結界照射ぁっ!」
男の野太い声と共に漆黒の君の体が光に包まれた。