35話 これは、最悪だ……
この世界基準で午後3時くらいの町の大広場。
広場の中心の噴水の周りには大量の冒険者たちが集まっていて、周囲のモブ一般人の注意を引いていた。冒険者というのは一応この世界の価値観では一般人の(畏怖も含めて)憧れでもある立場ではあるのだが、ここに来ている人達は皆周りを気にして落ち着かない。今日という日から、百戦錬磨の戦士も中身はただの一般人になっているのだから。
俺は後から来たサイトさん達とも合流し、集会の運営側の準備をしていた。具体的に言えば関係者の誘導とか。寧ろ部外者を遠ざける仕事の方が多かったが。だって総勢100人近いもんなぁ。こんな真昼間から何事だと野次馬が集まるのも無理はない。
「シエルさんお疲れ様。はいこれ、差し入れよ」
この艶のある女性の声はにぃにぃさんだ。彼女は紙コップのような容器に入った飲み物を差し出してくれた。中身は……桜桃色の液体。一体何のジュースだろう。
「甘酸っぱくて結構いい感じよ。アセロラ?みたいな感じ」
側面に付いているストローを取り(もう突っ込まない事にする)、軽く氷をかき混ぜながら飲んでみる。うん、何も聞かされずに飲むと表現に困るが、濃いめのアセロラドリンクという言葉が結構的を得ていると思う。この酸っぱさが先程からモヤモヤしている頭の中をいい感じにリフレッシュしてくれる。流石はリアル女性のにぃにぃさん。
「いや~美味しいです。ありがとうございます」
「どういたしまして」
少し前の方で喧騒が大きくなる。どうやら集会の発案者のれんちぇふさんが前に立ったみたいだ。その他古参掲示板メンバー何人かで人数と名前の確認を取っており、数えやすいようにきちんと整列まで促している。何だか中高の時の体育を思い出すな。
「そういえばシエルさんもあの話聞いたんだよね……」
集団行動をぼんやり見ている横からにぃにぃさんが語りかけて来る。彼女の視線も同じく前を向いている。アバターは美人だが、美人って何となく感情が読みとり難い気がする。
「Aseliaさんの言ってたあの殺…死体を見つけたって話ですか?」
「ええ、本当に酷かったわ……Aseliaの知り合いもそうだったけど、近くに倒れていた男の子なんて……女だから血を見るのは大丈夫だと思ってたけど、あの惨殺体はもう無理。未だに目に焼き付いてこの夢が覚めても頭の中から離れないの……」
いや、多分それは俺も無理だと思います。少年の惨殺体とか実際に見たらトラウマものだわ。それを会話に出せるだけ凄いと思いますよ。
「私さ……現実では俗に言う『喪女』ってやつだから、こっちに来てからこんな美女になって、男の人から一杯声をかけてもらって、それを軽くあしらったりして……前にも言ってたけど少し楽しんじゃってたのよ。如月さんも死んだっていうのに……」
まぁ俺だってこの体でオナヌーやってたくらいだし。外に出ると危険、町の中にいると安全、そう思えば現実の自分とは違うこの体で色々やってみたくなる気持ちは分かる。
「ここはやっぱり現実とは違う所だから」
「そう。でもこの世界に入り込もうとすればするほど現実を思い知らされるのよね……」
取り込まれたのが一人、もしくはほんの少数ならそこはファンタジーとなる。だが、同じような境遇が何人も出てくると、たちまちそこには現実世界のルールが持ち込まれる。生まれて育った世界の文化、習慣、思想を急に変えることは出来ない。ずっとこのままでいられるなら話は別だが、毎日、しかも強制的に行き来しなければならない。頭の中から現実が消えることは絶対にない。
「俺も、やっぱり女の子にはなれないなって思いますよ。どうせだったらラノベ主人公のようなイケメンのアバターのほうが、こっちの女性にモテモテでもっと楽しめたかなーって思うくらいです」
「それだとこっちの世界では楽しめるけど、朝起きて鏡の前の自分の顔を見た時の絶望感といったら」
「う……」
なるほど、これがこの人の言っている現実を思い知らされるって奴か。変身願望はあくまでも願望で留まるべきなのだ。コスプレとかくらいで。一日の半分ずつを別の肉体、さらに都合良く変えた人格で過ごすとなると、どっちが本当の自分だか分からないようになる。もちろん、普通の人間なら劣っている方の自分を次第に認められなくなっていくだろう。そして自分の理想を詰め込んだキャラクターと同化していく。しかし、そこは決して現実では無い。
「結局、男の人が好きなのは『にぃにぃ』というキャラであって、私自身じゃないのよねー」
こんな自虐的な嘲笑すらも絵になる彼女の整った顔が今日は酷く歪んで見えるような気がした。……いや、歪んでなんかいない。これが本来の人間という生き物の顔だ。美しいとか、可愛いとか、惚れるとか、そんな物を超越した暖かみ・安心感というか……。これが本来のあるべき姿なのかもしれないとも思い知らされる。
「え~、すいませ~ん!ちょっと静かにお願いしまーす!」
辺りにツンデレ委員長風の良く通る声が響いた。黒髪ロングの姫カットの少女、あれはくろね子さんだっけか?こっちで見たのは初めてだ。彼女の声と共に、辺りの喧騒は一斉に収まる。5列横隊に整然と並んだ姿恰好も様々な冒険者の姿。後方から見ているこちらにとっては偉く滑稽に見える。みんな日本人なんだなぁ。
その後噴水の淵の上にれんちぇふさんが昇り、一段高い所から集まった人達をぐるりと見渡す。やや緊張した面持ちながら、よく通る声で新しく集った人達に現状と、この掲示板同盟(仮)のことについて話し始めた。もちろん、この世界と現実世界の繋がりに関しても。その時は更に真剣味が増しているようであった。
「……ですので、皆さんはくれぐれもこの仕組みを使って、妙な考えを起こさないようにしてください。少なくともこれは決して完全犯罪と呼べるものではありません。この事態を引き起こした何者かによって、私達の行動が監視されている可能性もあるのですから」
子供たちに念を押すかの如く、れんちぇふさんは何度も悪事には一切手を貸さずにまずこの状況を何とかする方法を考えていこうと繰り返した。新入りの人達も表情こそこの位置からでは見えないが、特に私語もないので割と真剣に聞いているのだろう。
「……はい、私からは以上ですが、何か質問などはございませんか?」
説明が一通り終わり、れんちぇふさんも一息ついていた所で、聴衆の中からすっと手が挙がるのが見えた。今の俺の身長が低いせいもあるのか、容姿は他の人に隠れてわからない。
「はい、なんでしょうか」
「俺達の行動が監視されてるかもしれないって言ってたけど、それだったらこの集会とかも見られてたりする可能性もあるんじゃないか?確認しとくけど、みんなで手を組めば絶対に安全が保障されるんだよな?」
男の人の声だったけど、少し語尾が震えているようにも思えた。
「はい、少なくとも今のところは。だけど絶対に安全とは保証できません。現実でも絶対に交通事故に遭わないってことは言いきれないでしょ?気を付ければある程度の安全は保障されますが」
「事故で死ぬくらいのリスクも当然あるわけですね?」
他の人が言葉の先を言う。それに対してれんちぇふさんも黙って頷く。
すると今度は挙手もせずに他の所から声が上がる。
「でも、実際に人を殺しまくっている奴もいるんだろ?そいつらに命を狙われたりとかしねーのかよ?口封じとか言ってさ」
「それを防ぐために、大勢で同盟を組むわけです。向こうが何人いるか知りませんが、これだけの数がいれば迂闊に手出しできない。そういう状態を作りたいんです」
れんちぇふさんは毅然とした態度で応じる。まぁ言ってることも正しい。手出し出来ない、というのが自分達と同じ境遇である人にしか適応されないのが痛いが。
「でも逆に組んだせいで、闇討ちとかされたりしないの?」
「その可能性は……否定できません。しかし少人数で勝手な行動を取るよりは安全だと思いますが…… 現に今まで被害者もいないわけですし」
隣でにぃにぃさんが声を洩らしながら複雑な表情をする。……あぁ、れんちぇふさんにはまだ言って無かったんだな。彼女達のパーティー限定か。大勢で組めば危険は減るだろうが、口封じで殺される可能性は大いにある。この事を言ってよいものかが悩みどころだ。
御新規さん達の中でややざわめきが起こってはいるが、手を組むことに否定的な声は聞こえない。彼らにとってはまだ右も左も分からない状況なので、とりあえずはみんなと一緒にいる方が安全だと結論付けたのだろう。俺が同じ状況だったら絶対にそうする。
そんな中でまた一つ手が挙がる。
「この状況を何とかする方法を考えるって言ってたけど、何か見込みとかあんの?」
「現在の所、製作者側にこのゲームを止めさせようって話は出ていますが……」
「それで本当に解決出来んのかよ?」
最後に手を挙げた男はやや反発気味というか、周りの人たちをあまり信用できないでいるような感じがした。少し口調も乱暴な感じだ。
「大体こういう状態を引き起こしているのが本当に製作者だとしたら、こんな大勢に決起されたら困るんじゃねーのか?俺だったら、そうなる前に普通何とかしてあんたらのような連中を黙らせると思うけどな」
男はさらに語句を強める。
「それによう、あんたらこんな集会なんて開く手間があったら何でそうなる前に俺達がゲームをやるのを止めなかったんだよ」
「私達は色んな所でこのゲームを止めるように言っています。しかし、実際は警察沙汰にもなったりして上手く伝える事が出来なくて……。当人にでもならない限りゲームの中に入るなんて話信じてくれませんから」
「俺はよくこのゲームの雑談掲示板とか利用するけどそんな話見たことなかったぞ?お前ら本当に伝える気あんのかよ?色んなページで拡散とか、町中でデモったりとか、もっと色々出来るじゃないか」
「それがゲームに対するいわれの無い誹謗中傷として片っぱしから処理されてしまうのが現状なんです。だからそのためにも大勢で協力することが必要なんです。大勢でゲーム差し止めの声を上げれば、世間も無視することは出来ないでしょう?」
「今の時点で世間に狂ってるって言われるのをビビってるやつらが、会社に抗議とか本当に出来んのかよ?人数ってせいぜい数十人から百人程度に増えるだけじゃないか。大して変わんねぇよ」
不毛なやり取りはしばらく続いた。周りも茫然としてその様子を眺めている。
「何かあいつ感じわるー」
隣でにぃにぃさんが呆れたように呟く。
「一部正論も交じってはいますけど、ただ単に煽ってるだけですもんね。ここで言う必要も無いし」
「現実だと絶対荒らしとかやってる奴よ」
煽りを入れている奴は文句を言っている割には新たな解決策を提示しようとする気配は無い。単に自分が物事に巻き込まれた事に対する腹いせをぶつけているだけのような気がする。れんちぇふさんの皆を纏めるという行為は解決策にはなっていないかもしれないが、対応策としては簡単に批判出来るものではない。
「……私達に協力するかどうかはあなたの勝手です。強制する気はありません。ただ、皆さんの不安を無闇に煽らないでください」
「あんたらの言ってることとやってる事が一々矛盾してるからそれを指摘してやってるだけじゃねぇか。それによう……」
男は一息おいて吐き捨てるように言った。
「あんたらの中、いや、この中にゲームの製作者が交じってる可能性とかもあるんじゃないのか?レベルが上がればこっちに来れるんだろ?当然作り手もテストプレイとかやってるだろうしな、いない方が不思議だ。まさかそんな事も考えていなかったなんて言わないよな?」
「そ、それは……!」
俺の位置から見える古参組の表情が一気に曇るのが見えた。
駄目だ。これ以上言わせたら不味い。危機管理と人の不安を無闇に掻きたてることはまた別物。そういう事はある程度信頼関係が出来てからでないと……。
気が付けば聴衆のざわめきは消えていた。新規の人達は一様に困ったような表情をしながら口をつぐんでいる。他の古参の人達も事態を収拾しようと動きを見せようとしていた。
(……?)
一瞬、俺の頭上から風を切る音がした。俺が上に気を取られていた瞬間、隣から聞こえたにぃにぃさんの擦れた悲鳴で我に帰る。その直後、大きな水音が周囲に響く。
辺りは騒然となっていた。そして、れんちぇふさんの姿も見えなくなっていた。
「みんなっ!伏せろぉぉぉーーーーっ!」
Aseliaさんの怒号が飛び、全員が一斉に身を屈める。俺の頭上からさらに風を切る音が何本も聞こえてくる。身を地に付けた瞬間、目の前ほんの3mという所の石畳を抉るように何かが突き刺さる。
これは……矢?どこから飛んできた?後ろ?
「プロテクションフィールドッ!」
プリーストの誰かが、俺の少し後方に物理防壁を展開する。俺はすぐさまその魔法の「壁」で矢が弾かれる様を目の当たりにする。
「畜生っ!どこから撃って来やがった!?」
Aseliaさんとその他何人は武器を構え、戦闘態勢に入っていた。俺も物理防壁を信頼し、ウィザードロッドを構える。距離が分からないなら一応フレイムレーザーか?
……だが、次の矢はいくら待っても飛んでこない。こちらが位置を割り出す前に逃げられたのだろうか。
「テルミさん! 一応まだ防壁は貼り続けてくれ! いつ飛んでくるか分からない!」
「れんちぇふは!? 回復魔法で治せないのか?」
「……駄目です、効きません。即死……だと思います」
「蘇生魔法とかねぇのかよ!くそっ!」
俺はおぼつかない足取りで噴水まで向かう。怯える人を掻きわけて行くと、その場で茫然と立ち尽くすサイトさんを見つける。彼の足下にはマントのような布を上半身に掛けられたれんちぇふさんと思われる人物が横たわっていた。
「サイトさん…… れんちぇふさんは……」
「鼻から、上が……」
彼はそれ以上言わなかった。でもそれだけで俺は十二分に理解出来た。
噴水の水の一部が赤く染まっている。更に水面に浮かぶ肉片のような物がその惨状を物語っていた。