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その1:オープニングは船の上 (上)

 βテスト開始当日。

 開始十五分前から【ブレイン・コネクター】を頭に被り、俺は時計を凝視していた。

 三分前から、VRMMORPG【ロスト】のログイン画面を表示させ、プレイヤーIDとパスワードを入力し、あとは決定ボタンを押せばいい、という状態で待っていた。

 そして、正午と同時にIDとパスワードを送信。

 どんだけ楽しみにしてるんだよ、と我が事ながら思わずにはいられなかった。



 ログインと同時に視界は暗転する。

 やがて、真っ暗な暗闇の中に、ぼんやりと光りが灯った。ぼやけた輪郭は次第にはっきりとしていき、それが惑星だと判別する。

 くるくると自転する地球に似ているそれは、月のような衛生が五つも巡っており、地表には海とおぼしき青、森林地帯とおぼしき緑、極寒の地とおぼしき白、他には赤や紫など、何が地表を覆ったらそんな色になるんだ、というような色とりどりの姿を見せている。

 やがて、惑星の回転が減速していき、雲に覆われている地域にフォーカスが合った。

 ゴウッ

 耳にうるさい風切り音がした。宇宙空間に風なんか無いし、いや、そもそも生身で宇宙遊泳なんて、と考えている間に、一気に惑星までの距離が縮まる。

 距離が縮まるというか、これは――――

 ぶつかる……っ!?

 そんなことがあるはずがない。即座に否定しながらも、耳もとで鳴る風音や、ぐんぐんと近づいてくる地表との相対速度に、それが映像と知っていても体が緊張するのと止められない。

 やがて視界一杯に惑星が広がるようになって、雲海の中を突き抜けて、海を進む大きな帆船に落下する直前、俺は思わず目を閉じてしまっていた。

 そして、ようやく。

 うるさいほどだった風音がやんだ。

「……お、おお」

 気がつくと、俺はベッドの上に寝ているのだった。



 ヘッドマウントディスプレイとしても使える【ブレイン・コネクター】は、頭から首までをすっぽりと覆うヘルメット型をしており、視力と聴力を遮断する構造になっている。

 視覚と聴覚を、映像と音楽でVRのダイレクトセンシズをリンクさせ、神経に負担がかからないように【ブレイン・コネクター】と神経接続をする工夫なのだそうだ。

「まあ、手品のトリックみたいなものだよな」

 右手に注意を惹きつけて、左手でタネを仕込んでおく、みたいな。

 頭を触り、【ブレイン・コネクター】を装着していないことを確認して、すでにVR空間内にいることを実感する。

 ベッドに横たえていた体を起こし、周囲を確認。狭い板張りの部屋だ。窓はない。二畳もない狭い空間で、部屋とも呼べないような個室。あるのは、俺が乗っているベッドと小さな文机、それに棚。ベッドの陰も見てみると、鍵付きの貴重品入れを発見した。

 次に、俺は自分の体に注意が向ける。服装は薄い半袖にハーフパンツ姿で、ペラペラの布製の靴を履いていた。なぜか靴を脱がずにベッドの上で寝ていたみたいだ。

 えーっと。

 それで、ここはどこだ?

 コンコン

「はい?」

 ノックの音に、反射的に返事をする。

 鍵はかかっていなかったのか、来訪者がドアを開いて顔を見せた。帽子、ジャケット、スラックスとワインレッドで統一された制服らしき服装の、二十代前半とおぼしき男性。目鼻立ちが整っていて、なかなか見れる顔だった。

 第一印象で、俺はちょっと嫌いになった。イケメンは敵だ。

「こんにちは。船旅は楽しんで居られますか?」

「船?」

 聞き返して、すぐにゲームのストーリーを思い出す。

「ああ、新大陸へ向かう船の中なんだっけ?」

「そうですとも。はは、当船は海神様に守護されておりますから、例え嵐の中であろうと、船酔いするお客さまが出るようなことはありません。あまりに静かな船旅で、ここが海の真ん中だと忘れてしまうほどでしょう?」

 単に現状が把握できていなかっただけの言葉に、男は勝手に納得し、乗船に対する自負を覗かせた言葉を聞かせてくれた。

「それで、俺にどんな用なんでしょうか?」

 なんとなく、年上に対しては自然と敬語を使ってしまう。

「はい。私、客室乗務員のエイリヤ・ロシーと申します。ただ今、乗船券の確認のために客室を回らせてもらっております。お客さまの乗船券を拝見させていただいてもよろしいでしょうか?」

「乗船券……?」

 あれ、もうゲーム始まってる?

 いやちょっと待とうよ!

 普通、まずキャラクター作成からだろ。まだ名前も決めてないぞ俺。いきなりどうしろっていうのさ?

 俺が慌てていると、

「お客様。所持品を確認する場合は、《アイテム一覧表示》と言うか、手を振ってメニュー画面を表示し、アイテムと書いてある項目に指で触れるか頭の中で決定と念じるのですよ」

 エイリヤは、客室乗務員らしい丁寧さで教えてくれた。

「……ひょっとして、チュートリアルに入ってます?」

「いいえ。このゲームにチュートリアルは存在しません。ゲームを遊ぶために必要な基本情報は、わからなければ私のように対話しているNPCがその場で察して、お教えするようになっています。ですので、ゲームの世界で過ごすうちに、自然と覚えられるように作られております。ああ、これは忠告ですが、ゲーム世界観を壊すような質問――例えばシステム面のあら探し――などを過度に繰り返すと、【名声値】が下がりますのでご注意ください。それでもいいというのなら、私個人としては話を合わせるのに否やはありませんが」

 愛嬌のある顔でウィンクしてみせるエイリヤことNPCことAIに、俺は感心するしかなかった。

 これくらいの人間味溢れる会話ができるAIは、珍しくはあるが無いわけじゃない。しかし、これを一から作り上げたと自慢していた『教授』は、なるほど確かに言うだけのものがあるようだ。

「わかりました。じゃ、普段の会話では、なるべく気をつけるとしますか。ああ、乗船券ですね。《アイテム一覧表示》」

 コマンドワードを告げると、俺の顔から三十センチほどの位置に、半透明の情報ウィンドウが表示された。

 たった一つしかない所持品に、その名前はあった。


 ● 乗船券(イシリア海の鷲号)

   お金を払って船に乗っている証明となる券。

   無くした場合、密航者として捕まる可能性もある。


 乗船券に注目すると、補足説明が表示された。

「インベントリ内からアイテムを出す場合、テイクと告げ、出したいアイテム名を呼んでください。複数個出したい場合は、アイテム名の後に個数を指定してください。個数が指定されない場合、一つだけ出ることになります。ウィンドウを使う場合、取り出したいアイテムの名称に指で触れるか、アイテムの名と個数を念じれば、取り出すことができます」

 俺がアイテムの取り出し方に悩む前に説明してもらえた。

「ふうん。それじゃあ、今度は念じる方法を使ってみるか」

 乗船券出ろ!

 強く念じてみたのだが、乗船券は出てこなかった。

「ああ、正確には念じるだけではいけません。出そうとするアイテムを取るつもりで手を動かしてください。この場合は指で摘むように、ですね。ほとんどのアイテムは、手のひらを上にして待ちかまえていれば問題ありません」

 言われるまま、俺は手のひらに乗船券が乗るように念じてみた。

 すると、手のひらの上に、硬い厚紙が乗っているのに気付いた。

「これでいいわけか」

 VRゲームでは、当たり前のことながら、ゲームタイトルによって細かい仕様は変わってくる。なまじ体感してゲームシステムを学習するだけに、プレイ中に別のゲームでの癖が出ることなど日常茶飯事だ。

 しかし、一分一秒が命取りになることもあるアクション要素の強いゲームでは、どれだけ面倒でも地道な確認と反復練習こそがミスを減らす近道なのだった。

 ぼちぼち練習しないとな、と心のメモに書き留めて、乗船券をエイリヤに渡す。

「はい」

「ありがとうございます、確認させて頂きます」

 エイリヤは胸ポケットから手帖を取り出して開き、どこかのページと乗船券を見比べている。

「お客様。確認のためにご本名と人種を教えて頂けませんか?」

「名前? ん、ひょっとして、ここでのやり取りってキャラメイクも兼ねてます? これから言う名前が、正式決定ってことでいいんですか?」

 これくらいなら名声値に影響しないだろう、と割り切って俺は質問する。

「はい。ですが、決められるのは名前と人種だけです。キャラクターの外観はランダムで決定されますし、初期パラメーターは各種族毎に固定されています。正式サービス開始後に、外観変更アイテムは有料販売される予定です」

 有料アイテムかよ……。

「宣伝ですね、わかります」

「お客様。お名前を教えてください」

「スルーされた!?」

 ま、ふざけるのはこの辺りにして、名前を考えないと。

 俺は事前に名前候補を用意したりせず、キャラメイク時に名前を考えるタイプなのだ。

 さて、名前か……。

「漢字はありですか?」

「はい」

 漢字使えるのか……。いや、どうせ世界観は西洋風なんだし、ここはやっぱり無難なカタカナ表記にしよう。欧米化万歳。

「決定。俺の名前は、アルヴィン=ヤツシロ。ヤツシロが姓です。で、次は人種か」

 なんとなく響きの良さそうな名前、ということであまり考えずに決定し、人種を選ぶことにする。

 【ロスト】で選べるキャラクターは、大きく分けて三種族に分けられ、そこから更に複数の一族に枝分かれする。

 大種族は以下の三つ。

 人間種。

 人獣種。

 妖精種。

 人間種は、あらゆる能力が平均的であり、他の種族との混血が産まれる唯一の人種である。種族は、人間、混血の二種類を選べるが、混血を選ぶと、他の種族の能力の傾向や才能を若干引き継ぐことが出来る。ただし、どの種族との混血になるかまでは選べない。

 人獣種は、身体能力が高く、魔法に対する適正が低い種族だ。姿や能力に動物の特徴があり、犬族、猫族、鳥族、蜥蜴族が四大獣族と呼ばれている。他にも数多くの少数民族が存在しているが、キャラクターに選べるのはこの四種族だけだ。

 妖精種は、地水火風の四大属性にそれぞれ依存した四つの人種の相称だ。地はエルフ族、水はマー族、火はドワーフ族、風はフェアリー族。共通する特徴として、魔法の才能が高く、特に依存した属性魔法は群を抜く威力を誇る。種族によって信仰できない神が存在し、各種族毎にしてはいけない【禁忌】と呼ばれる行動が存在する。

 メリットが多い種族ほど、デメリットが存在するというわけだ。

 この辺りの知識は、公式サイトからしっかり情報収集していた。

 このゲームをどう遊ぶか、で種族選びはとても重要になってくる。前衛職でバリバリ戦いたいのなら獣族だろうし、魔法使いで特に風に特化したいならフェアリー族を選ぶのがいい。

 さて、俺は何がしたいのだろうか。

 戦闘はもちろんしたい。レベル上げとか大好物です。

 生産職だって頑張りたい。素材を一から集め、鍛冶スキルを上げて自分が装備する武器防具を全部自作するとか大好きです。

 色んな武器を使いたい。色んな魔法を使いたい。不器用な俺だから、器用貧乏でも、何でもできる自分になれる。

 それなら、選べる種族は一つだけだな。

 俺が選ぶのは短所のない人間種だ。ただ、ちょっと秀でた才能があればいいなあ、という欲もある。なので混血を選んでみることにした。

「種族は人間種の混血にします」

「はい、人間族混血種のアルヴィン=ヤツシロ様ですね。確認します……はい、乗船名簿にありました。ありがとうございました、乗船券をお返しします」

「どうも」

 乗車券を受け取った瞬間、俺の全身から光が発した。

 眩しくはないのだが、何も見えなくなるほど目映いという、矛盾した光。

 その光が消えると、

「うぉあ!?」

 手が小さくなっていた。

 腕が短くなっていた。

 視点が低くなっていた。

「なっ、なんだっ!? 何が起きた!」

「お客様。種族の決定により、正式決定された外観に変更されました。先ほどの発光現象は、そのエフェクト光です」

 つまり、今まで自分の体だと思っていたのが一時的なものだったと。

 これから他人に見られるであろう、自分の姿が気になる。

「えっと……、鏡とか持ってます?」

「はい、ありますよ。どうぞ」

 胸の内ポケットから小さな手鏡を手渡されて、恐る恐る覗き込む。

「うっ……わぁ」

 銀盤の小さな窓からこちらを見つめるのは、美しい少年だった。

 漆黒の直毛は肩よりも長く、瞳は同じく黒。男のくせにまつげは長く、切れ長で細い目の形。顔は小さくて、顎のラインがほっそりとしているのが、やたらと華奢に見える。鼻筋が通っているが彫りは浅く、はっきりとした印象を与えながらもくどさがない。唇は紅を指したように赤く、色白な肌のおかげで一層鮮やかに生えていた。

 美少年というか……美少女?

 童顔なのか、それとも単純に幼いのか。顔立ちが整いすぎて、髪型次第で男とも女とも見える外見だ。

 今は、髪が長いので、どう見ても。

「女顔だ……」

 ブサイクとか格好悪いとかよりはいいけどさ! いいんだけどさ! 現実の俺のツラがさ!

 オヤジ顔とか!

 親方とか!

 日本一角刈りの似合う高校生NO.1とか!

 お前の映ってる集合写真、いっつも教師が二人映ってるよな、とか!

 老けていてゴツい顔にコンプレックス感じていた俺にとって、童顔女顔とか、コンプレックス刺激されまくりだぞ。

 ……正直、美形なのは嬉しいけれど。

「鏡、ありがとうございました」

 俺はエイリヤに鏡を返して、気を取り直すことにした。

 いいか悪いかで言えば、俺の外観は大当たりだ。それを嘆くだけでは、もったいなさすぎる。贅沢を言うのはやめて、【ロスト】の世界では前向きにイケメン生活を楽しむとしよう。

 気分が落ち着くと、手の中にある違和感に気付く。

 乗車券が握りしめられていた。

 ……そういえば、さっき返して貰ってからずっと乗車券を握りしめたままだった。外観変更に気を取られすぎていた。

 俺が外観の変更に際して百面相をしている間も、客室乗務員然とした態度を崩さなかったエイリヤに視線で問うと、期待通りの答えをくれた。

「手に持ったアイテムをインベントリに格納する場合、イントゥと告げ、その後に入れたいアイテムの名前を呼んでください。これまでと同じように、念じて仕舞うことが可能です。この場合、手に持っているアイテムのみが対象となります」

「《イントゥ》乗車券」

 手の中にあった紙の感触が消えた。情報ウィンドウを呼び出してアイテム欄をチェックすると、きちんと格納されてあるのを確認できた。

「それでは、失礼します。航海は順調でしたので、さきほど目的地である新大陸が目視確認されました。この時間、前部甲板はお客様に開放されておりますので、天気もいいことですし、船上から眺めを楽しむのもいいかもしれませんよ」

 今日で船旅も最後ですし、と締めくくり、エイリヤは退室した。



 個室で独りになった俺は、まずこの中にある物を一通り調べることにした。RPGと言えば隠された宝箱やアイテムを探すのは常道だ。自室の物だったらきっと備品も貰っても大丈夫! 多分。

 部屋の隅から隅まで探した結果、何もないことを把握し、肩すかしをくらった俺はがっかりしながら部屋から出ることにした。

 目指す場所は甲板。せっかく船に乗っているのなら、大海原を見なけりゃもったいない。

 途中、NPC船員とプレイヤーキャラらしき俺と同じ服装の人たちと何度もすれ違いながら、廊下の案内板を頼りに船内を歩く。

 外の光が入ってくる階段を昇りきり、俺はようやく甲板に立った。

 外の眩しさに目が眩み。

 閉じた目を開いた瞬間、視界に映ったのは一面のアオだった。

「うおーっ! すげーっ!」

 思わず駆けだして、階段から出てすぐ横の手すりから身を乗り出す。

 透き通るような青い空と、深く澄み切った蒼い海。その二色が交わらずに描く水平線。その光景はあまりに壮大で、俺の胸は大きく高鳴った。

 ただあるだけの自然な風景なのに、俺はどうしようもなく興奮してしまう。

 ああもう。

 こんな最高な景色を見せてくれたら、それだけでこのゲーム大好きになった。

 手すりに掴まりながら下を見ると、海面はずいぶん遠くに感じた。およそ五階くらいの高さだろうか。案内板には、艦橋の屋根部分が展望台として開放されていると書いてあったので、後で行くことにしよう。

 ようやく海と空から意識が離れた俺は、自分が乗っている船に意識が向き、そこでまた驚かされることになった。

 まず、甲板。ちょっとした公園よりよっぽど広い。

 続いて帆。塔のような帆柱が五本立っており、真っ白な帆は風を受けて大きく膨らみ、青空を背景にしてまるで入道雲が迫ってくるような迫力があった。

 そんなスケールの大きな船の艦橋は、当然ながらその規格に合った物で、まるで商業ビルのような容積を持った建物だった。

 現実ではあり得ない巨大帆船の存在に、俺は思わず笑ってしまった。やり過ぎだ、いいぞもっとやれ。

 甲板を見回すと、多くのプレイヤーの姿があった。見晴らしのいい前方には鈴生りになっており、甲板から展望台へと続く階段には、行列ができているようだった。

 客室に続く階段は艦橋の壁際にあり、人の通行は激しいのだが俺が立っている場所は、人の流れ的に袋小路、あるいはエアポケットとなっていた。それなら、と俺はこの場所でゆっくりと景色の楽しむことにした。

 景色を眺めているうちに、頭の中は空っぽになり、五感の情報だけに意識が傾いていく。聴覚や視覚、触覚に嗅覚。例えば、温い潮風とザアザアと波を切る音。あるいは、強い日差しが肌を焼くジリジリとした熱。眩しい太陽、海と空のアオ。生温い潮風。

 俺は一瞬、仮想空間にいるという事実を忘れていた。

「すっげーなー。こういうのが作れる時代になったんだなあ」

 【ロスト】世界の五感再現率の高さに感心していると。

「きゃー! ステキだわ!」

 新たに階段を昇ってきたと思われるプレイヤーが、俺のすぐ横の手すりに飛びついて歓声を上げた。

 うんうん、良い景色だよな、と俺の感動に共感している人を見てなんとなく嬉しくなっていると、

「ねえ、凄いわよね?」

 いきなり俺に話しかけてきた。

「ああ。凄いな」

 騒がしいのは苦手だけど、心が浮き立っている今は嫌な気にもならない。気分そのままに笑顔で応える。

「これはしばらく入り浸って楽しまないといけないわ」

「まるで義務みたいな言い方だな」

「義務というか……使命? ゲーマーとしての。いえ、遊び人としての!」

 彼女は、不敵な笑みを浮かべ、グッ、と拳を握った。

 彼女の頭から生えている三角形の耳と腰のあたりから伸びる尻尾は、彼女の興奮を表現するかのようにせわしなく動いている。

 初期装備である服装は性別に関係なく全員同じもののようで、半袖とハーフパンツから覗く手足は、肘と膝の先から動物の毛皮を纏っているかのようだ。黄色に黒い斑点が散らされているところから見て、獣族、それも豹の特性を引く猫族なのだろう。

「獣人種?」

「いえーす。体を動かしたい気分だったからね、戦闘で動き回れるのが楽しみだわ。ところで猫族なあたしは語尾にニャとかつけた方がいいのかな?」

「いらん」

「じゃあ笑おう、猫っぽく。にゃはははは」

「意味わかんないぞオイ」

 切れ目がちで凛々しい顔立ちなのに、さっきから笑ってばかりで愛嬌ばかりが目立つ奴だった。

 獣人種の顔をはじめて間近に見たが、瞳の虹彩が動物そのものであること以外、人との違いはなさそうに見える。

 ……ああ、耳がけもの耳だったな。人間と同じ場所にある耳は、毛がふさふさしてる。

 なんとなく、人との違いが知りたくなって、彼女の体を観察してみる。

 身長は俺より高く、体つきはただ立っているだけで柔軟さを感じさせる曲線が見えた。胸は薄いようだが、スマートな体つきは女性らしさよりも野生を強く感じさせて、まるで動くために不必要な部分を削いだみたいだ。

 肘先と膝先からが獣毛に覆われているが、まるでそういうデザインの長手袋とブーツで着飾っているようで、野性味溢れる彼女の魅力と抜群にマッチしている。

 彼女は熱心に海面を眺めていて、俺の視線には気付いていないようだった。

「ね、ね、ここから海に飛び込んだらどうなるのかな」

「はあ?」

 突拍子もない発言に、俺は笑い飛ばそうとしたが、好奇心が刺激されて真面目に考えることにした。

「ん……。そうだな、禁止行動に指定されていて、そういうこと出来ないようになってるんじゃないか? それか、進入禁止エリアに指定されていて、見えない壁にぶつかるだけとか」

 VRゲーム全般に言えることだが、プレイヤーが行動できる空間が広ければ広いほど、システムに負担はかかる。それがオンラインならば、回線とサーバーへの負担も加わる。よって、オンラインVRゲームでは、そういうゲーム性に関わらない部分は、無駄として削除されることが多い。

 冒険の舞台である新大陸でなら、全地域が行動可能フィールド化されていそうだが、いくらなんでもオープニングイベントであろうこの船上で、そんな自由が許されているとは思えなかった。

「もしも飛び降りたとしたら、やっぱり死んじゃうのかな? 死んだとしたら、どこで復活するのかな? ここの海って塩辛いのかな? 猫族って泳げるのかな?」

 疑問を一つ口にする度に、彼女は分からないことが不快なのか、眉根を寄せて不機嫌になっていく。

「いや、知らんし。とりあえず、泳ぐのとかは新大陸に着いてからでも確かめられるだろ」

「あたしは今知りたいのよ!」

 【ロスト】初プレイの俺に、彼女の疑問に答えられる経験があるはずもない。

 初対面の人物の我が儘に付き合ってられるほど人付き合いの良くない俺は、キャッチボール中だった会話ボールを暴投することにした。

「だったら試してみろよ」

「それもそうね」

「え」

 予想外の反応。

 言うや否や、彼女は手すりに足をかけて空中へと飛び出した。

「やりやがったあああああああああ!?」

 俺が考えもしない選択肢を目の前で選ばれて、思わず絶叫してしまった。

 これはゲームの世界だ。だが、VRゲームは限りなく現実に近い再現性がある。だからこそ、危険な行為や無謀な行動はやれるとしても、本能が拒絶してしまう。これは現実だと、心が誤認してしまうのだ。

 なのに、彼女は一瞬の躊躇もなく、船から飛び降りた。

 それすなわち、仮想と現実の区別をしっかりとつけられるということ。VRゲームの遊び方を熟知しているとも言えるのだが、まだその域までVRゲームに慣れていない俺は、度肝を抜かれつつも、彼女の思い切りの良さに感心してしまう。

 すげー。あいつすげー。俺は真似しようとも思わないけど、見ている分には楽しすぎる。

「にゃはははははは! 見よ、あたしは今、鳥にな」バチャーン!

 ……ぷかり

 着水して沈み、すぐに浮かび上がった彼女は、背中と後頭部だけを見せるだけで、脱力している様子だった。

 あれ、顔上げないと息できないんじゃないのか?

「無茶しやがって……」

 ぴくりとも動かない体はゆらゆらと波に揺られ、当然ながら推進力なぞないわけで、進む船に置いて行かれて後方へとみるみる遠ざかっていく。

 ……死因は溺死と墜落死、どっちだったんだろうか。

「惜しくない人を亡くしたな」

 南無、とおざなりに片手で祈り、俺は再び景色を楽しむために視線を水平線へ向けた。



「自室で復活したわ!」

「おかー」

 十五分後、豹女が再び姿を見せた。

「海水はしょっぱかったわ。あと痛い」

「ほう。海水浴に行くのが楽しみだな。あと痛いのは自業自得だ」

 しばらく、命がけで手に入れた情報で、話が盛り上がるのだった。


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