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アヒルの箱庭  作者: 倉木元貴


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8/8

第8話

 箱庭園に着任して三日目。

 悠は、施設の空気に言葉にできない“薄さ”を感じ始めていた。


 朝の食堂は明るい。

 子どもたちの笑い声が響き、食器の触れ合う音が軽やかに跳ねる。

 一見すると、どこにでもある児童養護施設の朝の風景だ。


 けれど悠には、その明るさがどこか“表面だけ”のものに見えた。


 笑い声は確かにある。

 けれど、その奥に沈黙がある。

 言葉にできない空洞のようなものが、施設全体に漂っている。


「佐伯さん、コーヒーどうぞ」


 職員の一人が紙コップを差し出してくれた。

 悠は礼を言いながら受け取る。


「ありがとうございます。……皆さん、朝はいつもこんな感じなんですか?」


「ええ、まあ。子どもたちは元気ですよ」


 その返事は柔らかい。

 けれど、どこか“距離”があった。

 まるで、必要以上のことは話さないようにしているかのような。


「凛ちゃんも、今日は落ち着いてますね」


 別の職員が言った。

 その声には、どこか“安堵”が混ざっていた。


「落ち着いてる……?」


 悠が聞き返すと、職員は曖昧に笑った。


「ええ、まあ。凛ちゃんは……ときどき、情緒が不安定になることがあって」


「そうなんですか?」


「昔からですよ。気にしないでください」


 その言い方は、どこか“話を終わらせたい”響きを持っていた。


 悠は胸の奥に小さな違和感を覚えた。

 凛のことを聞くと、職員たちは決まって同じような反応をする。


 曖昧な笑み。

 必要最低限の言葉。

 そして、話題をそらすような沈黙。


 ――何かを隠している?


 そんな疑念が、悠の胸に静かに沈んでいった。


 食堂の隅では、凛がアヒルを抱いたまま静かに座っていた。

 子どもたちが近くを走り回っても、凛はほとんど反応しない。

 ただ、アヒルの白い頭を撫で続けている。


 その姿は、どこか“祈り”のように見えた。


「凛ちゃん、今日もアヒルさんと一緒なんだね」


 園長が優しい声で言う。

 凛は小さく頷いた。


「……はい」


 その声はかすれていて、どこか震えていた。

 けれど園長は気に留める様子もなく、柔らかく微笑んだ。


「いいことだよ。大切なものがあるのは」


 その言葉は優しい。

 けれど悠には、その優しさがどこか“均一すぎる”ように感じられた。


 まるで、決められた台詞を繰り返しているような。


 食堂を出たあと、悠は職員室で他の職員たちと顔を合わせた。

 けれど、そこでも同じ違和感があった。


「佐伯さん、慣れました?」


「まだ少しだけ。でも、皆さんが優しくしてくださるので助かってます」


「それはよかったです」


 言葉は優しい。

 けれど、どこか“壁”がある。

 職員たちは必要以上に踏み込んでこないし、悠が踏み込もうとすると、柔らかく距離を置く。


 その距離感が、悠には不自然に思えた。


「そういえば……“旅立った子どもたち”って、どういう意味なんですか?」


 悠が何気なく尋ねると、職員たちの表情が一瞬だけ固まった。


 空気が変わった。

 明らかに。


「……ああ、その話ですか」


 ひとりの職員が曖昧に笑った。


「昔からある言い方ですよ。子どもたちが施設を出ていくことを、そう呼ぶんです」


「そうなんですね。でも……記録があまり残っていないようで」


 悠が言うと、別の職員がすぐに口を挟んだ。


「昔のことですから。記録も散逸してしまって」


「そうですか……」


 職員たちはそれ以上話そうとしなかった。

 むしろ、話題を変えようとしているように見えた。


 ――やっぱり、何かがおかしい。


 悠の胸の奥に、確かな違和感が芽生え始めていた。


 そのとき、廊下の向こうから凛が歩いてくるのが見えた。

 アヒルを抱きしめ、静かに、影のように。


 職員たちは凛を見ると、どこか“ほっとしたような”表情を浮かべた。


 その反応が、悠にはさらに不自然に思えた。


 凛が廊下を歩いてくると、職員たちの表情がわずかに緩んだ。

 それは安心とも、諦めともつかない微妙な表情だった。

 悠はその反応に、言葉にできない違和感を覚えた。


 ――どうして、この子を見ると空気が変わるんだろう。


 凛はアヒルを抱きしめたまま、静かに職員室の前を通り過ぎていく。

 その姿は、まるで“この施設の中心にある影”のようだった。


「凛ちゃん、今日も落ち着いてるね」


 職員のひとりが声をかけると、凛は小さく頷いた。


「……はい」


 その声はかすれていて、どこか遠い。

 けれど職員たちは気に留める様子もなく、ただ優しく微笑むだけだった。


 悠はその光景を見つめながら、胸の奥に小さなざわつきを覚えた。


 ――この子は、何かを抱えている。

 ――でも、誰もそれを“問題”として扱っていない。


 それが、悠にはどうしても不自然に思えた。


「佐伯さん」


 園長の声がした。

 三輪園長が静かに近づいてくる。


「慣れてきましたか?」


「……はい。少しずつですが」


「それはよかった。ここは静かな場所ですからね。子どもたちも、穏やかに過ごしています」


 園長の声は柔らかい。

 けれど、その柔らかさの奥に“観察者の冷たさ”が潜んでいるように感じられた。


「……園長先生、ひとつ伺ってもいいですか?」


「どうぞ」


「“旅立った子どもたち”のことなんですが……」


 その瞬間、園長の表情がわずかに固まった。

 ほんの一瞬。

 けれど悠は見逃さなかった。


「……ああ、その話ですか」


 園長はすぐに柔らかい笑みを取り戻した。


「昔からの言い方ですよ。子どもたちが施設を出ていくことを、そう呼ぶんです」


「でも……記録があまり残っていないようで」


「昔のことですからね。記録も散逸してしまって」


 その言い方は、どこか“話を終わらせたい”響きを持っていた。


「……そうですか」


 悠はそれ以上追及しなかった。

 けれど胸の奥には、説明できないざわつきが残った。


 園長はふと、廊下の向こうを見つめた。

 そこには、アヒルを抱いた凛が立っていた。


「凛ちゃん」


 園長が優しく呼ぶと、凛はゆっくりと近づいてきた。


「……はい」


「大丈夫かい? 無理してないかい?」


「……大丈夫です」


 凛の声はかすれていて、どこか震えていた。

 けれど園長は気に留める様子もなく、ただ優しく微笑んだ。


「そうか。ならいいんだよ。凛ちゃんは……特別だからね」


 その言葉に、凛の肩がわずかに震えた。

 アヒルを抱く腕に、無意識に力が入る。


 悠はその反応を見つめながら、胸の奥に小さな痛みを覚えた。


 ――この子は、“特別”という言葉に怯えている。


 けれど園長は、その震えに気づかないふりをしているように見えた。


「佐伯さん」


 園長が悠に向き直る。


「凛ちゃんのこと、よろしくお願いしますね。この子は……とても大切な子ですから」


 その言葉は優しいのに、どこか底知れない響きを持っていた。


 凛はアヒルを抱きしめ、静かに目を伏せた。

 その姿は、まるで“声に寄りかかっている”ように見えた。


 ――だいじょうぶ。

――ぼくがいる。


 凛の胸の奥で、声が囁く。

 その温度が、凛の不安を静かに溶かしていく。


 悠はその様子を見つめながら、胸の奥にひとつの確信が芽生え始めていた。


 ――この施設には、何かがある。

 ――そして凛は、その中心にいる。


 その直感は、まだ形を持たない。

 けれど、確かに存在していた。


 食堂の明るさも、子どもたちの笑い声も、

 その裏側に潜む“沈黙”を隠しきれていない。


 箱庭園は、静かすぎる。

 優しすぎる。

 そして――何かを隠している。


 悠はその空気を胸いっぱいに吸い込み、ゆっくりと吐き出した。


 この施設の“空気”は、どこかおかしい。

 それは、外から来た自分だけが感じられる違和感なのかもしれない。


 けれど――

 その違和感は、日を追うごとに濃くなっていく。


 まるで、箱庭園そのものが、

 “外から来た人間”を拒むように。

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