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アヒルの箱庭  作者: 倉木元貴


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第7話

 翌日の午後、箱庭園には柔らかい陽射しが差し込んでいた。

 中庭では子どもたちが走り回り、砂場では小さな山がいくつも作られている。

 その明るさの中で、凛はひとり、木陰に座ってアヒルを抱いていた。


 昨日の夜の“声”は、まだ胸の奥に残っている。

 眠りにつく直前まで囁いていた優しい声。

 その温度が、今も凛の心を包んでいた。


 ――今日も、そばにいるよ。


 胸の奥で声が触れる。

 凛は小さく頷き、アヒルの白い頭を撫でた。


「……うん。わかってる」


 その瞬間、胸の奥がじんわりと温かくなる。

 世界のざわめきが遠のき、声だけが近づいてくる。


 そのとき、背後から柔らかい声がした。


「凛ちゃん、ここにいたんだね」


 振り返ると、悠が立っていた。

 昨日より少しだけ表情が柔らかい。

 けれど、その目には“観察するような”静かな光が宿っていた。


「……佐伯さん」


「座ってもいい?」


 凛は少し迷ったが、やがて小さく頷いた。

 悠は凛の隣に腰を下ろし、子どもたちの遊ぶ姿を眺めた。


「みんな、元気だね」


「……はい。元気です」


「凛ちゃんは、今日は遊ばないの?」


 凛はアヒルを抱きしめ、視線を落とした。


「……うまく、できないんです」


「うまく?」


「……みんなといると、胸が苦しくなるから」


 その言葉は、昨日と同じだった。

 けれど、今日の凛の声はさらにかすれていた。


 悠は少しだけ息を呑んだ。


「胸が苦しくなるって……どういう感じ?」


 凛は言葉を探すように、アヒルの白い表面を指先で撫でた。

 その仕草は、まるで“声”を確かめるようだった。


「……みんなの声が、遠くに聞こえるんです。笑ってるのに……私だけ、そこにいないみたいで」


 その言葉は、静かで、深くて、どこか痛々しかった。


「でも……アヒルさんがいると、大丈夫なんです」


 凛はアヒルを抱きしめ、胸に押し当てた。

 その温度が、凛の心を包み込む。


 ――だいじょうぶ。

 ――ぼくがいる。


 声が触れるたび、凛の世界は静かに閉じていく。


 悠はその様子を見つめながら、胸の奥に小さな痛みを覚えた。


「……アヒルさん、すごく大事なんだね」


「……はい。いちばん大事です」


「どうして?」


 凛は少しだけ迷った。

 言っていいのか、言わないほうがいいのか。

 胸の奥で、声がそっと触れる。


 ――言わなくていいよ。

――ぼくがいるから。


 凛は小さく首を振った。


「……わからないです。でも……この子がいないと、落ち着かなくて」


「落ち着かない?」


「……胸が、空っぽになるみたいで」


 その言葉に、悠の胸がひゅっと縮んだ。


「凛ちゃん、それって……」


「でも、大丈夫です。声が……」


 凛は言いかけて、はっとしたように口を閉じた。

 アヒルを抱く腕に、また力が入る。


「声……?」


 悠が静かに聞き返すと、凛は小さく首を振った。


「……なんでもないです」


 その言葉は、明らかに“隠している”響きを持っていた。

 けれど悠は、それ以上追及しなかった。


 凛の肩が、ほんのわずかに震えていたからだ。


「……無理に話さなくていいよ」


 悠は優しく言った。

 その声は柔らかく、凛の心にそっと触れるようだった。


 凛は驚いたように悠を見た。

 その目には、警戒と安心が入り混じっていた。


「……佐伯さんは、優しいですね」


「そうかな」


「……はい。でも……」


 凛は言葉を探すように、アヒルの白い頭を撫でた。


「……優しい人って、怖いときもあります」


 その言葉は、凛の心の奥底から零れ落ちたようだった。


 悠は息を呑んだ。


「……怖い?」


「……はい。優しい声って……ときどき、胸がざわつくんです」


 凛は自分でも理由がわからないように、視線を落とした。


「……でも、この子の声は……怖くないです」


 その言葉に、悠の胸が大きく揺れた。


「声……?」


 凛はまた口を閉じた。

 アヒルを抱く腕に、強い力がこもる。


 ――言わなくていいよ。

――ぼくがいる。


 声が触れるたび、凛の世界は静かに閉じていく。


 悠はその様子を見つめながら、胸の奥に小さな不安が広がっていくのを感じていた。


 ――この子は、何かに寄りかかっている。

 ――それは……人じゃない“何か”だ。


 その直感が、悠の胸に静かに沈んでいった。


 中庭の木陰に、柔らかい風が吹き抜けた。

 凛の髪がふわりと揺れ、アヒルの白い表面に光が反射する。

 その光は、どこか“生きている”ように見えた。


 悠は凛の横顔を見つめながら、胸の奥に小さな痛みを覚えていた。

 この子は、誰よりも静かで、誰よりも孤独だ。

 それなのに、誰にも助けを求めようとしない。


「凛ちゃん、そのアヒル……ずっと持ってるんだね」


 悠がそっと言うと、凛の表情がわずかに変わった。

 それまで曇っていた瞳に、ほんの少しだけ光が宿る。


「……はい。ずっと一緒です」


「いつから?」


 凛は少しだけ考えるように視線を落とした。

 アヒルの白い頭を撫でる指先が、どこか愛おしげだった。


「……覚えてないです。気づいたら、そばにいました」


「気づいたら?」


「……はい。気づいたら、声がして……」


 凛は言いかけて、また口を閉じた。

 胸の奥で、声がそっと触れる。


 ――言わなくていいよ。

 ――ぼくがいる。


 凛は小さく首を振り、言葉を飲み込んだ。


「……ごめんなさい。変なこと言いました」


「変じゃないよ」


 悠は優しく言った。

 その声は柔らかく、凛の心にそっと触れるようだった。


「大事なものがあるのは、いいことだよ。それがぬいぐるみでも、おもちゃでも……木彫りのアヒルでも」


 凛は驚いたように悠を見た。

 その目には、警戒と安心が入り混じっていた。


「……佐伯さんは、笑わないんですね」


「笑わないよ。どうして?」


「……みんな、笑うから。私がアヒルを持ってると」


 その言葉は、静かで、深くて、どこか痛々しかった。


「でも……この子は、私を笑わないんです」


 凛はアヒルを抱きしめ、胸に押し当てた。

 その温度が、凛の心を包み込む。


 ――だいじょうぶ。

 ――ぼくがいる。


 声が触れるたび、凛の世界は静かに閉じていく。


 悠はその様子を見つめながら、胸の奥に小さな不安が広がっていくのを感じていた。


「凛ちゃん……そのアヒル、どんなところが好きなの?」


 その問いに、凛の表情がふっと柔らかくなった。

 まるで、胸の奥に灯りがともったように。


「……全部です」


「全部?」


「はい。温かいところも、静かなところも……声が優しいところも」


 その言葉に、悠の心臓が一瞬止まった。


「……声?」


 凛ははっとして、アヒルを抱く腕に力を込めた。


「……なんでもないです」


 その言葉は、明らかに“隠している”響きを持っていた。

 けれど悠は、それ以上追及しなかった。


 凛の肩が、ほんのわずかに震えていたからだ。


「……無理に話さなくていいよ」


 悠は優しく言った。

 その声は柔らかく、凛の心にそっと触れるようだった。


 凛は驚いたように悠を見た。

 その目には、警戒と安心が入り混じっていた。


「……佐伯さんは、優しいですね」


「そうかな」


「……はい。でも……」


 凛は言葉を探すように、アヒルの白い頭を撫でた。


「……優しい人って、怖いときもあります」


 その言葉は、凛の心の奥底から零れ落ちたようだった。


 悠は息を呑んだ。


「……怖い?」


「……はい。優しい声って……ときどき、胸がざわつくんです」


 凛は自分でも理由がわからないように、視線を落とした。


「……でも、この子の声は……怖くないです」


 その言葉に、悠の胸が大きく揺れた。


「声……?」


 凛はまた口を閉じた。

 アヒルを抱く腕に、強い力がこもる。


 ――言わなくていいよ。

――ぼくがいる。


 声が触れるたび、凛の世界は静かに閉じていく。


 悠はその様子を見つめながら、胸の奥に小さな不安が広がっていくのを感じていた。


 そのとき、背後から柔らかい声がした。


「凛ちゃん、佐伯さんと仲良くできているようで安心したよ」


 園長だった。

 いつの間にか近くに立っていたらしい。


 凛はびくりと肩を震わせ、アヒルを抱きしめた。


「……園長先生」


「ふたりとも、いい時間を過ごしていたようだね」


 園長の声は柔らかい。

 けれどその柔らかさの奥に、どこか“観察者”の冷たさが潜んでいた。


「凛ちゃん、無理してないかい?」


「……大丈夫です」


「そうか。ならいいんだよ。凛ちゃんは特別だからね」


 その言葉に、凛の肩がまた震えた。

 アヒルを抱く腕に、無意識に力が入る。


 ――気にしなくていい。

――ぼくがいる。


 声が触れるたび、凛の不安は薄れていく。


 悠はその様子を見つめながら、胸の奥に小さな違和感が静かに沈んでいくのを感じていた。


 園長は柔らかく微笑み、ふたりを見渡した。


「佐伯さん、これから凛ちゃんのことをよろしくお願いしますね。この子は……とても大切な子ですから」


 その言葉は優しいのに、どこか底知れない響きを持っていた。


 凛はアヒルを抱きしめ、静かに目を伏せた。


 悠はその姿を見つめながら、胸の奥にひとつの確信が芽生え始めていた。


 ――この施設には、何かがある。

 ――そして凛は、その中心にいる。


 その直感が、悠の心に静かに沈んでいった。

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