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あの時、だ。
再びあの瞬間、あの悪夢のような悲惨な出来事が、目の前に広がる。薄闇の中、止まない雨が彼女の心を静かに打ちのめす。
一号が繰り返したあの相討ちのあとで身体が弾き飛ばされた。八号が、息を吹き返す。息苦しそうに咳をする彼がそのまま、力尽きた。ああ、そんな。
ゆかりは己の無力さに声が引きつる。八号が大きな力に叩き潰され、目の前で彼だったものが舞った。そして、ゆかりはその相手を見上げた。
「七号……!」
虚人だったそいつは、仲間ではない。仲間面をして、とうの昔に本物の七号を殺して入れ替わっていた存在だった。いつからかなど、わからない。巧妙に近づき、仲間のふりをしていたなど許せない。
「六号」
「この野郎! 殺すッ!!」
「本当にしぶとい女だ。どれだけ屈辱を与えても立ち上がる……」
真っ白な髪と、褐色の肌。顔には紋様がいくつも描かれている。元の七号の面影を残している姿が、余計にゆかりの怒りに火を着けた。
異界の魔術師。操者の七号を侵食して虚人となり、この世界を破滅へと向かわせる存在。
ぶわっと、六号の衣服が内側から膨れた。彼女の能力が発動する。彼女の特殊能力は念動力を含めた超能力だった。キィン、と彼女の瞳が乳白色に染まる。
「意味のないことをする。勝てないとわかっているのに」
「し、ねえええええぇぇえええ!」
絶叫に近い彼女の声に呼応するように、周辺のものが強大な力によって圧し潰されていく。サイキック能力を限界まで発動させるが、こちらにはまったく効果がない。
荒い息を吐いて、ゆかりは膝をつきそうになる。まったく諦めない瞳を、いつもしている。
「本当に諦めが悪い女だ」
どれだけ痛めつけても、辱めても、彼女だけは決して諦めない。世界のために戦うのではない。仲間のために戦うわけでもない。彼女は、復讐のために、戦うのだ。
殺そうとしても、それができない。肉体の魔力濃度がゆかりはこちらに近いのだ。人間の肉体で魔力を溜め込めば、破裂して予想していないことが起こる。殺したくても、できなかった理由はそれだった。
最初と同じような道順でここまで来たのだが、結果はまったく同じだった。
そしてこの女はしぶとく生き残る。爆弾を内側に抱えたまま、まったく変わり果てた姿で、もう一度未来の自分の前に立つはずだ。
人間の肉体を捨てた今、この体は高濃度の魔力の塊になっている。そんなものに、あいつらが勝てるはずがないのだ。なかったのだ。だから、死んだ。それだけだ。
雨でショートヘアがべったりとゆかりの顔に張り付いている。なのに、その瞳。気絶した最初の一回目では、そのまま放置していたというのに。そうではない場合、彼女はこうして立ち向かってくる。
軽く手を払った。その風圧でゆかりの片腕が飛ぶ。血と、切り飛ばされた腕が舞っているというのに、彼女はこちらから目を離さない。
そう、この女はどんな状態になっても、絶対に生き残る。なんという執念だ。
「やはり操者は危険な存在だ」
この世界にはない魔力を使うことのできる人間。
生命力として利用し、血液のように肉体に行き渡らせている者もいる。未知の物質・魔力を使用できる、この世界の『魔法使い』!
本当に危険な存在だ。しかし、ゆかりが生きている以上この歯痒い状態は続く。記憶を持ち越しても、ゆかりがいるせいで、どんな出来事も台無しにされる。なかったことに、される。
何度もゆかりを殺そうとしたが、彼女は運悪く生き延びていた。そのせいで、辛い人生を歩んできたとしても、自業自得だ。
痛み程度では、ダメだ。では、やはり心も折っておくべきだろう。ほんの一時しのぎにすぎないが。
七号は一号に惹かれていたが、その影響を受けてはいるが、それだけだ。なんの感情もない。そもそも、自分に性別はない。魔力の塊にそんなものがあるわけがない。そしてこの意識も、そのうち消えてしまうだろう。
今回は叩き壊さなかった海堂郁人の肉体が転がっている。またそれを利用して、この女に精神的苦痛を与えよう。
一歩距離を縮める。すると、ゆかりは後退もせずにその場に突っ立っている。ぼたぼたと落ちている血などまったく気にもしていないみたいだ。本当に狂人どもの集まりだ。
再び彼女の輪郭が光を帯びる。どんな攻撃も通用しないのに、愚かなものだ。だがどうやってもこの女を排除できないというのは、忌々しいことだった。
郁人の死体を呼び寄せ、その腕の中に抱く。彼女の顔色がさっと変わった。
「ありがたく使っていたが、ここにまだこいつの魂が残っている」
真っ赤な嘘だが、この嘘にこの女は迷いを持つ。それはそうだ。他の仲間はもはや息ができるような状態に戻れない。だがどうだ? 郁人の死体はほぼ、生前のままだ。『一縷の望み』を持つには、充分な餌ではないか。
「抵抗をやめれば、こいつだけでも助けてやるぞ」
明らかにその瞳が動揺していた。郁人の肉体も魔法使いのそれだ。魔力を血液の代わりとして流し込めば、生きているように動かすことは可能だ。
もちろん、こいつは死んでいるから、こちらが操っているだけにすぎないが。
「な、七号は、い、生きてるわけない」
「本当にそうか?」
「…………」
唇を噛んでいる。そう、そうだ。迷え。生きていた頃と同じような状態にはできる。そして、こいつの子供を孕めば、もっと絶望するかもしれない。それは今までやったことがなかった。
ゆかりはちかちかと、瞳の輝きを落とし、完全に沈黙してしまう。すっかり瞳の色が元に戻っている。
抵抗する気力はあるが、迷いのために動けない。そんなところだろう。悔しそうに残った腕の拳を握り込んでいる。力を入れ過ぎて白くなっている。
「て、いこう、をしなければ……本当に、助けてくれる……」
そんなわけないと態度が言っているのに、どうしても決断できない。だから郁人の身体に魔力を流し込み、その瞼を開けさせる。
ぎょっとしたようにゆかりは目を見開き、ぶるぶると震えて、歯を食いしばった。
屈辱だろう。諦めなければならないことが。そして、これからはこの女と一対一の戦いとなる。
「ろ、ろくご……」
力のない郁人の声にゆかりは完全に目を閉じた。その辛そうな表情になにも感じないが、未来のこの女のあまりにも無機質さに比べれば、この時はまだ人間くさい。
「抵抗しない。七号を助けて」
「……交渉成立だ。行け」
背中をどん、と軽く押すと、郁人の身体がよろめいて倒れる。
ゆかりは駆け付けない。まだ疑っているのはわかる。そう、ここまでは同じだ。全員の死亡を目撃しているからこそ、その心の天秤はいま、激しく揺れているだろう。仲間の仇をとるべきか、それとも目の前の郁人らしきものを助けるかで。
軽く郁人の身体を蹴り飛ばすと、ゆかりの足元まで転がっていった。そのぞんざいな扱いに、ゆかりは困惑しながらもこちらを睨みつけ、それから足元に屈んだ。




