第21章 ― 支配の女王
王国の中心で、何かが壊れた。
最初にそれを感じ取ったのは――クララ・コズミアだった。
忠実な侍女たちと彼女を結んでいた“糸”。
完璧に調律された神経網のように繊細なその繋がりが――消えた。
力で断ち切られたのではない。
“存在しない変数”がシステムに挿入されたように、完全に無効化されたのだ。
クララの瞳は閉じられていた。
だが、ゆっくりと開かれたその瞬間――
黒い虹彩が、貪欲と美と計算を宿して光を放つ。
「……近づいているわね」
彼女は低く呟いた。
女王はゆるやかに玉座から立ち上がった。
その所作は、希少な実験体を前にした科学者のように正確で、そして冷たい。
右手を掲げ、
制御された興奮を纏った声で命じる。
唇に、冷ややかな笑みが浮かんだ。
「――王国自律防衛プロトコル、起動」
「――全侍女、完全隠匿」
「――奇襲体制に入れ。私の号令を待て」
次の瞬間、王国は“空”になった。
柱も、回廊も、大広間も――
何一つ動かない。
だが、すべての影が見ていた。
すべての壁が聴いていた。
すべての物体が、武装した存在を隠していた。
クララは再び玉座に座り、脚を組んだ。
その声は艶やかで、毒を含む。
「――来なさい、強き存在……」
「その力、私のものにしてみせる」
「あなたは……完璧になるわ」
数分後、王国の門前に光が差した。
それは攻撃ではない。
神性でもない。
ただ、“避けられぬ現象”だった。
女王は瞬きをしなかった。
光そのものが、彼女に触れることを恐れているかのように、わずかに逸れていく。
そして光が収束した時――
現れたのはケルベロス。
静止したまま立つその姿。
真剣な眼差し。
圧倒的な存在感。
だが、制御されている――
臨界点で踏みとどまる原子炉のように。
クララは顎に手を添え、観察した。
まるで研究対象を分析する学者のように。
その目は彼の姿勢、オーラ、エネルギー密度を細部まで測定していた。
「……見事ね」
「男だったとは、想定外だったけれど」
「この惑星は女だけのものだと思っていたのに」
ケルベロスはゆっくりと歩み寄る。
一歩ごとに、凝縮された力が空気を震わせる。
「……それがどうした」
低く、冷静に。
クララはその歩みを感じ取り、
手を軽く上げた。
ケルベロスの足が止まる。
女王は満足げに笑った。
――それは服従ではなく、脅威評価の一環だと理解しながらも。
「不用意に近づかない方がいいわ」
「命を狙う飢えた軍勢が、あなたを囲っているのだから」
ケルベロスは腕を組んだ。
視線がゆっくりと広間をなぞる。
彼は、すべてを見た。
柱の影。
床下。
壁の内側。
光の屈折を利用した迷彩、熱を奪う静寂領域。
――何も、隠せていなかった。
再び視線が、女王に戻る。
「……それで?」
声は静かで、致命的だった。
「そんなもの、怖いとでも思うのか?」
「――愚か者め」
クララは低く唸った。
だが怒りを抑え、微笑を保つ。
「……名を教えなさい」
ケルベロスは彼女の瞳を真っ直ぐに見据えた。
「俺は――ケルベロス」
「そしてもう、自己紹介には飽きた」
「誰もが俺を知るべきだ。
だが俺の存在は“外側”にある。
予測も観測もできない」
「それを理解できる者は、ごくわずか。
――お前は、その中にはいない」
女王の唇が美しく歪んだ。
「……素敵ね」
「また一人、“宇宙的存在”が現れたのね」
黒い瞳が輝く。
支配の波が、音もなく放たれた。
神経制御。
思考支配。
意識への侵入。
「――私の前に跪きなさい」
柔らかく、それでいて絶対的な声。
「従えば、望むものすべてを与えよう」
……何も起きなかった。
ケルベロスは瞬きもせず、
呼吸すら乱さない。
女王は眉をひそめる。
「……奇妙ね。
私の干渉を受けないなんて」
「――あなたは何をしに来たの?」
ケルベロスの声が沈む。
重く、崩壊寸前の恒星のように。
「……お前を消すためだ」
「お前は、“コラプテッド”だからな」
クララは顎の下で手を組み、
再び笑った。
左の黒い瞳が妖しく輝く。
「……どうして分かったの?」
ケルベロスの内に、
冷たい思考が流れる。
――興味深い。
――自我を持つ“コラプテッド”に会うのは初めてだ。
そして、言葉にした。
「……お前は必要もなく生命を支配する」
「心を道具として扱う」
「それは美ではない」
「お前の魂に、美など存在しない」
「あるのは――力を貪る怪物だ」
クララは笑みを広げた。
鋭い歯をのぞかせながら。
「……気に入ったわ」
「あなた、私の“本当”を見抜いた」
「誰も気づかないのにね……フフフフフ」
二人は視線を交わした。
空気が重くなる。
隠れていた侍女たちは息を止める。
王国全体が――
待機状態へと入った。
二つの宇宙的存在。
二つの絶対的意志。
そしてこの世界では――
そのうちの 一つだけが、生き残る。
―――
次の章へ続く。




