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第4話:貯め込む魔王と、飽きっぽい猫。-2

リリアーナは、アリアの声など聞こえていない。彼女の意識は、ただひたすら、目の前の木を登ることに集中していた。木の幹に爪を立てるように、指先を滑らせ、軽々と木を登っていく。その動きは、まるで風のようだった。人間の体になっても、猫としての身体能力は健在なのだ。あっという間に、リリアーナは木の枝の、一番高い場所に到達した。そこからは、荒野全体、そして遠くの王都までが見渡せる。


「ニャー…(気持ちいいニャ…)」


リリアーナは、枝の上で気持ち良さそうに丸くなり、毛づくろいを始めた。ザラザラとした舌で毛並みを整える感覚は、人間の体になっても変わらず心地よかった。太陽の光が、枝葉の間から差し込み、リリアーナの体を温める。まさに、至福のひとときだった。


その時だった。


シエルが、リリアーナの存在に気づいた。彼は、リリアーナが自分の備蓄行動を無視して、木の上でくつろいでいることに苛立ちを覚えた。彼の備蓄への執念は、何よりも優先されるべきものだった。


「キィィィィィィィッ!あの女め、私の備蓄を邪魔するだけでなく、くつろぎおって!許さんぞ!私の神聖なる貯蔵の儀を妨げるなど、万死に値する!」


シエルは、リリアーナに向かって、貯め込んだ魔力を凝縮した強力な魔力弾を放った。それは、先ほどの魔力塊とは比べ物にならないほど巨大で、漆黒の輝きを放っている。リリアーナを木ごと吹き飛ばし、存在そのものを消し去ろうとする、シエルの渾身の一撃だった。魔力弾は、唸りを上げてリリアーナ目掛けて飛んでいく。


リリアーナは、シエルの攻撃に気づいた。しかし、彼女は毛づくろいを中断しようとはしなかった。猫は、自分のペースを乱されるのが嫌いなのだ。特に、気持ちの良い毛づくろいを邪魔されるのは、許しがたい。


魔力弾が迫る寸前、リリアーナは、まるで何かに反応するように、体をわずかに揺らした。それは、ほとんど無意識の、反射的な動きだった。猫が、飛んでくるものを最小限の動きで避けるような、本能的な回避行動。


その瞬間、リリアーナの体が、まるで幻のように揺らめいた。魔力弾は、リリアーナを捉えることなく、そのまま彼女の体をすり抜け、遠くの荒野の地平線へと、轟音を立てて消えていった。それは、リリアーナの「猫の足音サイレント・ステップ」による、超高速の回避だった。空間を認識し、最小限の動きで最適な回避ルートを瞬時に見つけ出す、猫ならではの能力の応用だった。


「ニャー…(しつこいニャ…)」


リリアーナは、不機嫌そうに喉を鳴らした。毛づくろいを邪魔されたのが、よほど気に入らなかったようだ。彼女の瞳には、わずかな苛立ちが浮かんでいた。


そして、その不機嫌さのまま、リリアーナは、無意識に、シエルが最も大切にしている「備蓄」の方向へと、指先を向けた。邪魔なものを排除する、猫のシンプルな思考。


「ニャッ!」


リリアーナの口から、小さな、しかし鋭い唸り声が漏れた。その瞬間、リリアーナの口元から、黒い魔力の塊が吐き出された。それは、まるで猫が毛玉を吐き出すかのような、自然な動作だった。しかし、その塊は、見る見るうちに巨大化し、漆黒の光を放ちながら、シエルが隆起させた魔力結晶の森の中央、最も大きく輝く結晶群目掛けて飛んでいく。


「な、なんだあれは!?」


王国軍の兵士たちが叫んだ。彼らの目には、それが賢者の放った、魔王の力を打ち砕くための最終兵器のように見えた。その魔力塊は、シエルが貯め込んだ魔力の結晶の全てを飲み込むかのように、一直線に進んでいく。


シエルは、その魔力塊が、自分の備蓄品に直撃するのを予期し、顔を青ざめさせた。彼のリスとしての本能が、自身の貯蔵品が脅かされることに、最大の恐怖を感じていた。


「キィィィィィィィッ!私の備蓄がぁぁぁぁぁ!あの女め、許さんぞ!私の世界を脅かす気か!私の全てが…!」


シエルが叫ぶ間もなく、リリアーナの吐き出した魔力塊は、魔力結晶群の中央に直撃した。


ドオオオオオオオン!


轟音と共に、魔力結晶群は、まるでガラス細工のように、あるいは、脆い砂の城のように、一瞬で砕け散った。砕け散った結晶は、黒い霧となって周囲に拡散し、やがて跡形もなく消滅した。それは、リリアーナの「猫の毛玉吐き」(実は魔力吸収砲)だった。対象の魔力を吸収し、凝縮して吐き出す、恐るべき能力。シエルが貯め込んだ膨大な魔力結晶は、その魔力を根こそぎ奪われ、ただの塵と化したのだ。荒野は、再び元の荒涼とした姿に戻った。


シエルは、その光景に絶望の声を上げた。彼の瞳からは、光が失われ、全身から力が抜けたかのように、その場に崩れ落ちた。


「ああ…私の備蓄が…!私が、大いなる冬のために貯め込んだ…全てが…!私の…私の世界が…!」


ゼノスは、魔王の絶望を目の当たりにし、顔面蒼白になった。彼の信じていた魔王の計画が、目の前で、あまりにもあっけなく崩れ去ったのだ。


「魔王様…!まさか、あの女が、魔王様の備蓄を…!?何という恐るべき力…!」


一方、王国軍は、その光景に歓喜の声を上げた。彼らの目に映るのは、魔王を打ち破り、世界を救った伝説の賢者の姿だった。


「やったぞ!賢者様が、魔王の力の源を破壊した!」


「さすが賢者様!魔王の弱点を見抜き、核心を突いたのだ!我々の勝利だ!」


アリアは、リリアーナの「神業」に、さらに畏敬の念を深めた。彼女の顔には、感動と、そして絶対的な信頼が満ちていた。


「リリアーナ様…!魔王の渾身の一撃を回避し、その隙を突いて魔王の力の源を破壊されるとは…!これが、賢者様の真の戦略…!我々には到底及ばぬ、神の御業でございます!」


リリアーナは、破壊された魔力結晶の残骸をぼんやりと見つめていた。


「ニャー…(これで、少しは静かになるニャ…)」


彼女の頭の中は、ただ「邪魔なものが消えたから、これでゆっくりできる」という、猫らしいシンプルな思考でいっぱいだった。しかし、その行動は、この世界の運命を大きく左右する、歴史的な一歩となったのだった。そして、誰もその真意を知る者はいないまま、物語は続く。


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