第2話:お魚の匂いと、大真面目な勘違い。-2
「あ?なんだ、このガキは?邪魔すんじゃねぇ!とっとと失せろ!」
盗賊の一人が、苛立ちを露わに、ミーコに向かって剣を振り上げた。その剣は、ミーコの頭上をめがけて、容赦なく振り下ろされる。
ミーコは、その剣の動きを、まるでスローモーションのように感じた。猫の目が、獲物の動きを正確に捉えるように、剣の軌道を完璧に予測する。風を切る音、剣の輝き、盗賊の顔の筋肉の動き、全てが鮮明に見えた。
ミーコは、無意識に体を低くした。そして、一瞬で盗賊の懐に飛び込む。その動きは、あまりにも速く、滑らかだった。
「なっ!?」
盗賊は、ミーコの動きを全く捉えられなかった。ミーコは、その場にいたはずなのに、次の瞬間にはもう目の前にいる。それは、まさに「猫の足音」だった。完全に音を消し、気配を絶つ動き。獲物に気づかれることなく接近する、猫の本能が具現化した能力だ。
ミーコは、盗賊の腕を狙って、指先を振り上げた。いつものように、爪を立てる感覚で。獲物を仕留める、鋭い爪のイメージで。
その瞬間、ミーコの指先から、黒い稲妻が迸った。それは、まるで空気そのものを切り裂くような鋭さで、盗賊の剣と、その腕を覆う革鎧を、音もなく切り裂いた。剣は真っ二つに、革鎧は寸断され、地面に音を立てて落ちる。
「ぐあああああああ!」
盗賊は、剣を落とし、腕を押さえてうずくまった。剣は真っ二つに、革鎧は寸断されている。しかし、彼の腕には、かすり傷一つない。ミーコは、狙ったものだけを正確に切り裂く「猫の爪(次元斬)」を、無意識に発動していたのだ。それは、物理的な存在を、空間ごと切り裂く、恐るべき能力だった。
他の盗賊たちも、その光景に息を呑む。彼らの顔からは、それまでの傲慢な笑みが消え失せ、代わりに純粋な恐怖が浮かんでいた。
「な、なんだ今の!?」
「見えなかったぞ…!何が起こったんだ!?」
ミーコは、彼らの反応を気にすることなく、次々と「猫の爪(次元斬)」を放った。狙いは、彼らの武器、そして身につけているもの。盗賊たちの剣、斧、短剣、そして鎧、服、ベルトまでが、次々と音もなく切り裂かれていく。まるで、見えないハサミで切り刻まれているかのようだ。
「ひ、ひぃぃぃぃぃ!」
「丸裸にされただと!?」
「こ、この化け物めぇぇぇぇ!」
あっという間に、盗賊たちは武器を失い、服もボロボロになり、中には下着姿にされてしまう者までいた。彼らは恐怖に顔を引きつらせ、武器も持たぬまま、一目散に逃げ出した。その姿は、まるで尻尾を巻いて逃げる野良犬のようだった。
「ニャ…ふん。これで、お魚は安全ニャ。」
ミーコは満足げに、鼻を鳴らした。これで、ようやくお魚にありつける。ミーコの視線は、再び鉄板の上の香ばしい魚へと向けられた。
その時、騒ぎを聞きつけた王国軍の兵士たちが、駆けつけてきた。彼らは、丸裸で逃げ出す盗賊たちと、呆然と立ち尽くす魚人族の店主、そして、その場に立つミーコの姿を見て、状況を把握しようとする。
「何があった!?」
兵士の一人が叫んだ。店主の魚人は、震える声で答える。
「あ、あの…このお嬢さんが…一瞬で…盗賊たちを…」
その時、王国軍の若き精鋭指揮官、アリア・グランツが、ミーコの姿に目を留めた。彼女は、ミーコの背後にある、先ほど「猫の爪(次元斬)」で切り裂かれた木々の切り口を見て、息を呑んだ。第一話でミーコが暴発させた、あの巨大な木の切り口だ。その切り口の鮮やかさ、そして、切断された上部が跡形もなく消滅している光景は、彼女の知るいかなる魔法とも異なっていた。
「これは…!何という神速の拳…!敵の武器のみを的確に破壊されるとは、まさに神業!」
アリアは、ミーコの圧倒的な力に感銘を受け、その瞳に畏敬の念を宿した。彼女は、ミーコがただの少女ではないことを直感した。これは、伝説に語られる「猫神の巫女」か、あるいは「異界の賢者」か。
「お嬢さん、貴方様は一体…?」
アリアは、ミーコに問いかけた。その声は、真剣で、しかしどこか期待に満ちていた。ミーコは、アリアの真剣な眼差しに、一瞬戸惑った。自分の名前を名乗る必要があるのか?「ミーコ」では、あまりにも可愛らしすぎる。この人間たちは、自分を恐ろしい力を持つ存在だと見ているようだ。
その時、ミーコの脳裏に、飼い主がよく読んでいた少女漫画のヒロインの名前が浮かんだ。そのヒロインは、強くて、美しくて、みんなに慕われる、そんな存在だった。
「リリアーナ…ニャ。」
ミーコは、とっさにそう名乗った。語尾に、つい猫としての癖が出てしまったが、アリアにはそれが、賢者としての神秘的な響きに聞こえたようだ。
アリアは、その名を聞き、さらに感銘を受けた。
「リリアーナ様…!やはり、貴方様は伝説の賢者様!この世界をお救いくださるお方…!」
アリアは、その場でひざまずき、深々と頭を下げた。兵士たちも、それに倣ってひざまずく。彼らの顔には、畏敬と、そして希望の光が浮かんでいた。
ミーコは、ひざまずく人間たちを前に、ただ困惑していた。
「ニャ…?(なんでみんな、急にひざまずくニャ?)」
ミーコの頭の中は、先ほど助けた魚屋の、香ばしいお魚のことでいっぱいだった。
「(早くお魚食べたいニャ…)」
こうして、元猫のミーコは、異世界で「伝説の賢者リリアーナ」として、大真面目な人間たちの壮大な誤解と共に、その第一歩を踏み出したのだった。