第2話:お魚の匂いと、大真面目な勘違い。-1
~ニャンてこった! 異世界転生した元猫の私が世界を救う最強魔法使いに? ~
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森の中で目覚めてから、ミーコは混乱の極みにいた。
人間の体は重く、思うように動かない。いつもなら軽々と飛び乗れるはずの枝にも、この長い手足では届かない。四足歩行の癖が抜けず、地面に手をついては何度も転びそうになった。
指は五本に分かれ、肉球の感触もない。何より、口から出るのは「ニャー」という愛らしい鳴き声ではなく、意味の分からない人間の言葉ばかり。
「なんで…なんで、こんな体ニャ…」
そう呟いても、誰も答えてはくれない。
森の木々は相変わらず巨大で、幹には見たこともない奇妙な苔が生え、葉は鮮やかな青や紫に輝いている。
空には二つの月が浮かび、一つは白く、もう一つは青白い光を放ち、森全体を幻想的に照らしている。ここは、自分が知っている世界ではない。
飼い主の温かい膝も、日向ぼっこの心地よい窓辺もない。見慣れない世界は、ミーコにとって不安と不快感の塊だった。
途方に暮れ、座り込んでいたミーコの鼻腔を、ふと、抗いがたい香りがくすぐった。
それは、この見知らぬ世界で唯一、ミーコの本能を刺激する、懐かしくも魅惑的な香りだった。
潮の香り、そして、遠くから漂ってくる焦げたような、しかし食欲をそそる香ばしい匂い。ミーコの脳裏に、飼い主がたまに焼いてくれた焼き魚の姿が鮮明に浮かび上がった。間違いない、お魚の匂いだ!
空腹は限界に達していた。
人間の体になってから、お腹が空くという感覚が、以前よりもずっと強烈になっている気がした。
胃がキュルキュルと鳴り、体が震える。ミーコは、その匂いを辿るように、ふらふらと森の中を進み始めた。足元がおぼつかないが、お魚への執念がミーコの体を突き動かす。木の根につまずき、小石に足を滑らせながらも、ミーコはひたすら匂いの元へと向かった。
森を抜けると、目の前に小さな集落が現れた。
木と石でできた素朴な建物が肩を寄せ合うように立ち並び、煙突からは白い煙が立ち上っている。
人々が忙しなく行き交い、活気にあふれている。
ミーコは、その光景に目を奪われた。見たことのない服装、見たことのない顔つきの人間たち。
中には、耳が尖っていたり、背中に羽が生えていたりする者もいる。
しかし、そんなことよりも、ミーコの意識はお魚の匂いに集中していた。匂いは、この集落の中心部から、より強く、より鮮明に漂ってきている。
ミーコは、人々の間を縫うように進んだ。慣れない二足歩行で、何度もよろめきそうになる。
人々はミーコの奇妙な動きに一瞬目を留めるが、すぐに興味を失い、それぞれの用事に戻っていく。
ミーコは、そんな彼らを気にすることなく、ただひたすら匂いの元へと向かった。
まるで、獲物を追う猫のように、一点集中で。
そして、ついにその場所を見つけた。
集落の広場の一角で、大きな水槽が置かれた店があった。
水槽の中には、見たこともない色鮮やかな魚たちが泳いでいる。鱗は虹色に輝き、ひれは蝶のように優雅に波打つ。
そして、店の前では、魚人族らしき、半魚半人の店主が、大きな鉄板で魚を焼いている。
ジュウジュウと音を立てて焼かれる魚から、香ばしい匂いが立ち上り、ミーコの食欲をさらに刺激した。胃が再び激しく鳴り、ミーコは思わず喉をゴクリと鳴らした。
「んニャ…!まさか、お魚ニャ!?早く行かなきゃ、誰かに食べられちゃうニャ!」
ミーコは、思わず駆け出そうとした。
だが、その瞬間、店の前に数人の男たちが現れた。彼らは粗末な革鎧を身につけ、腰には剣を差している。
顔には傷跡があり、見るからに柄の悪い連中だ。彼らの放つ不快な匂いに、ミーコは思わず鼻をひくつかせた。
「おい、魚人!今月の用心棒代、払ってもらおうか!」
男の一人が、ドカッと店のカウンターに足を乗せた。その乱暴な物音に、店主の魚人は、怯えたように後ずさりする。彼の顔は青ざめ、額には脂汗が滲んでいた。
「ま、待ってください!今月はまだ…」
「うるせぇ!てめぇら魚人どもが、この村で商売させてもらってるんだ。感謝しろよ!とっとと金を出さねぇと、この魚、全部ひっくり返すぞ!」
男は、そう言いながら、鉄板の上の焼かれたばかりの魚に、汚いブーツの先を向けた。
その光景に、ミーコの瞳がカッと見開かれた。
ミーコにとって、盗賊などどうでもいい。
しかし、彼らが店を荒らせば、お魚が傷つけられるかもしれない。それは許せない。お魚は、ミーコにとって神聖なものなのだ。何よりも、ミーコの空腹を満たすための、大切な獲物なのだ。
「お魚に触るなニャ!」
ミーコは、思わずそう叫んだ。
その声は、少女のものとは思えないほど、強く、鋭く響いた。盗賊たちは、突然現れた少女の声にギョッとして振り返る。彼らの顔には、驚きと、わずかな苛立ちが浮かんでいた。