第7話:追跡するリスと、隠れる猫。-1
~ニャンてこった! 異世界転生した元猫の私が世界を救う最強魔法使いに? ~
______________________________________
魔王シエルの「世界樹の根」による領域展開は、人間軍の補給路を断つというリリアーナの「奇策」によって、予期せぬ形で頓挫した。
広大な平原での激突は、人間軍の奇襲的な突撃と、魔王軍の秘密補給基地崩壊という致命的な打撃により、人間側の圧倒的な優勢で幕を閉じた。
王国軍は、賢者リリアーナの予測不能な行動が、再び勝利をもたらしたと信じ、その名を称え続けた。兵士たちの間では、リリアーナの姿が「戦場の女神」あるいは「神の化身」として語り継がれ、その奇跡的な勝利に酔いしれていた。
「リリアーナ様!魔王の領域を突破し、その内部から敵の補給路を断つとは…!これこそ、賢者様の真の戦略!我々には到底及ばぬ、神の御業でございます!貴方様のおかげで、どれだけの兵士が救われたことか…!このアリア、心より感謝申し上げます!」
アリア・グランツは、リリアーナの隣で、その顔を紅潮させていた。
彼女の瞳は、リリアーナへの絶対的な信頼と、揺るぎない確信で輝いている。
彼女の脳裏には、リリアーナが魔王の領域に飛び込み、その内部で秘密裏に補給基地を壊滅させるという、周到かつ大胆不敵な作戦を実行した「賢者」の姿が鮮明に描かれていた。
兵士たちもまた、賢者様の奇策に奮い立ち、勝利の雄叫びを上げていた。彼らにとって、リリアーナはもはや、戦場の女神そのものだった。彼女の行動一つ一つが、勝利への確かな道標だと信じて疑わなかった。
しかし、リリアーナの頭の中は、全く別のことで満たされていた。
「ニャー…(お魚、美味しいニャ…)」
彼女は、秘密補給基地で偶然手に入れた干し魚を、幸せそうに口にしていた。
燻製された魚は、ほどよい塩気と香ばしさがあり、ミーコが知るどんな魚よりも美味しかった。
口の中で骨を器用に避け、身だけを味わう。外で何が起こっているかなど、彼女には全く関係ない。ただ、美味しいお魚が見つかったことに満足し、その幸福感に浸っていた。彼女にとって、この世界は「美味しいお魚がある場所」であり、それ以上でもそれ以下でもなかった。
一方、魔王軍は、補給基地の壊滅という致命的な打撃を受け、混乱の極みにあった。
魔王シエルは、平原での領域展開を中断せざるを得ず、その場に崩れ落ちていた。
彼の全身からは、絶望と怒りの魔力が噴き出している。彼のリスとしての本能が、自身の貯蔵品と秘密が脅かされたことに、耐え難い屈辱と、根源的な恐怖を感じていた。
それは、冬の備蓄を全て奪われたリスが、飢えと寒さに震えるかのような、絶望的な感覚だった。
「キィィィィィィィッ!私の備蓄が…!秘密が…!あの女め…!許さんぞ!私の全てを奪う気か!私の大いなる冬への備えが…!全てが無に帰しただと…!」
シエルの傍らで、ゼノスは顔面蒼白になっていた。
魔王の激しい怒りは、彼にとっても恐ろしいものだった。
彼の信じていた魔王の計画が、リリアーナという予測不能な存在によって、次々と狂わされていく。ゼノスの脳裏には、リリアーナが魔王の思考を読み、その弱点をピンポイントで突いた、悪魔的なまでの知略が描かれていた。
「魔王様…!申し訳ございません…!まさか、あの女がそこまで…!何という恐るべき奇策…!我々は、賢者様の掌の上で踊らされていたのですか…!あの女の知略は、我々の想像を遥かに超えています…!」
ゼノスは、リリアーナの行動を、魔王軍の機密情報を狙った、周到なスパイ活動だと解釈していた。彼にとって、リリアーナは、人間でありながら、魔族をも凌駕する恐るべき知恵と力を持つ存在だった。
シエルは、怒りと焦燥感に打ち震えていた。
このままでは、「大いなる冬」への備えが間に合わない。
彼のリスとしての本能が、来るべき飢餓の季節への恐怖を煽り立てる。彼は、もはや躊躇している暇はないと判断し、リリアーナを最優先排除対象と定めた。彼の脳裏には、リリアーナの顔が、彼の備蓄を食い荒らす「天敵」として焼き付いていた。
「ゼノス!直ちにあの女を追跡する!どんな手を使ってでも、あの女を捕らえ、私の備蓄を、秘密を取り戻すのだ!『追跡の嗅覚』を起動せよ!一刻も早く、あの女を捕らえ、その力を我が物にせねばならん!」
シエルの言葉に、ゼノスは息を呑んだ。
「追跡の嗅覚」とは、魔王が持つ、対象の魔力の残滓や気配を辿り、どこまでも追い詰める能力のことだ。
それは、リスが餌の匂いを追跡するように、一度嗅ぎ取った対象を逃がさない、執念深い追跡能力だった。しかし、この能力は、魔王の魔力を大きく消費する。
「魔王様!?しかし、それは…!その能力は、魔王様の魔力を大きく消費します!それに、あの女は、予測不能な動きを…!追跡は困難を極めるかと…!」
ゼノスは、魔王の身を案じ、進言した。だが、シエルの耳には届かない。
「構わん!あの女の存在は、私の計画にとって最大の脅威だ!もはや、一刻の猶予もない!全軍を動員し、あの女を追い詰めろ!私の備蓄を取り戻すまで、決して諦めるな!」
シエルは、狂気にも似た執念を瞳に宿していた。
彼のリスとしての本能が、何よりも「備蓄」を優先させていたのだ。
目の前の「あの女」の存在は、彼の備蓄への執念を、もはや狂気と呼べるレベルにまで高めていた。
彼は、リリアーナを捕らえ、その力を解析し、自身の備蓄に組み込むことまで考えていた。