第6話:魔王の罠と、猫の気まぐれな回避。-2
大地が、ゴゴゴゴゴゴゴオオオオオオッ!と、これまでにないほどの低い唸り声を上げて震え始めた。
その震動は、兵士たちの足元を激しく揺らし、立っているのも困難なほどだ。
地面に巨大な亀裂が走り、そこから黒い霧が噴き出す。霧はみるみるうちに濃くなり、平原全体を覆い尽くすほどの巨大な渦を形成した。
それは、まるで大地そのものが、巨大な口を開けて何かを吸い込もうとしているかのようだった。
「な、なんだあれは!?大地が…大地が吸い込まれていく!?」
兵士たちの間に、恐怖と混乱が広がる。彼らの魔力が、まるで体に開いた穴から流れ出すかのように、急速に失われていくのを感じた。体が鉛のように重くなり、思考が鈍っていく。
「来たぞ…!魔王の『世界樹の根』だ!」
アリアは、その光景に顔を青ざめさせた。彼女は、その魔法の危険性を知っていた。広大な領域の魔力を根こそぎ吸収し、生命力すら奪い取る、恐るべき魔法。このままでは、平原にいる全ての生命が枯れ果ててしまう。
「魔王が、この平原の魔力を全て吸収し、自らの力に変えるつもりだ!これは、我々を完全に無力化するための、領域展開…!賢者様の情報戦に対抗するための、魔王の最終手段…!」
アリアは、リリアーナの横で叫んだ。彼女の頭の中では、シエルがリリアーナの「情報戦」に対抗するため、この「領域展開」という最終手段に出たと解釈されていた。リリアーナの奇策が、魔王をここまで追い詰めたのだと。
「リリアーナ様…!まさか、魔王は賢者様の情報戦を逆手に取り、この平原で我々を閉じ込めるつもりなのでしょうか!?この領域から逃れる術は…!」
その時、リリアーナは、アリアの言葉など耳に入っていなかった。彼女の意識は、大地から吸い上げられる魔力によって引き起こされる、奇妙な感覚に集中していた。
「ニャー…(なんか地面がゴロゴロするニャ…)」
魔力吸収の影響で、平原全体が微細な振動を起こし、空気が乾燥し、肌がピリピリと痺れるような不快感がリリアーナを襲っていた。
それは、猫にとって、非常に居心地の悪い状態だった。
まるで、静電気が常に発生しているような、毛が逆立つような、不快な感覚。ミーコは、静電気が大嫌いだった。
「ニャー…(居心地が悪いニャ…)」
リリアーナは、不機嫌そうな声を上げた。彼女の目的は、ただこの不快な場所から逃れること。快適な場所を見つけることだけだった。この「ゴロゴロ」と「ピリピリ」は、ミーコの安らぎを奪う、許しがたい邪魔だった。
リリアーナは、周囲を見回した。
どこか、この不快な振動が届かない場所はないか。
彼女の「猫の目」が、空間の歪みや、魔力の流れの隙間を捉えた。まるで、狭い隙間を見つけては入り込みたがる猫のように、彼女の目は、この不快な空間から抜け出す「穴」を探していた。
「ニャッ!」
リリアーナは、不快感に耐えかね、無意識に、目の前の空間に指先を向けた。そして、そのまま、空間を切り裂くように、指先を滑らせた。その動きは、まるで、見えない壁に爪を立てるかのようだった。
その瞬間、リリアーナの指先から、黒い稲妻が迸った。
それは、空間そのものを切り裂き、裂け目を作り出す「猫の爪(次元斬)」の応用だった。
空間に、まるで紙が破れるような、しかし耳には届かない奇妙な音が響き、漆黒の裂け目が現れた。裂け目の向こうには、暗闇が広がっている。
「リリアーナ様!?何という魔法を…!?」
アリアは、リリアーナの突拍子もない行動に驚愕する。彼女の目には、それが魔王の領域を打ち破るための、奇策に見えた。空間を切り裂く魔法など、彼女の知る限り、存在しない。
リリアーナは、その裂け目に、迷うことなく飛び込んだ。まるで、狭い箱の中に入り込む猫のように、何の躊躇もなく。彼女にとって、それはただの「不快な場所からの脱出口」に過ぎなかった。
「リリアーナ様ぁぁぁぁぁ!」
アリアの悲痛な叫びが、平原に響き渡った。
兵士たちも、賢者が魔王の領域に吸い込まれていったと信じ、絶望の声を上げた。
彼らは、リリアーナが自らを犠牲にして、道を開こうとしているのだと解釈した。
しかし、リリアーナが飛び込んだ空間の裂け目は、魔王の「世界樹の根」の領域とは全く異なる場所へと繋がっていた。
それは、リリアーナが「居心地のいい場所」を求めて、無意識に空間を歪ませた結果だった。
彼女の猫としての本能が、偶然にも、魔王軍にとって最も致命的な場所へと彼女を導いたのだ。




