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エリスとヴァルターが立ち尽くしていると、中央に立つ小さな少女はゆっくりと歩みを進めた。彼女の髪は銀色に輝き、目はどこか遠くを見つめるように虚ろだ。その顔には、言葉にできないほどの優しさと、何か背負いきれない重さが混ざった表情が浮かんでいる。
「あなたたちは、私を探していたのでしょう?」少女は声を低くして言った。
エリスが一歩踏み出し、驚きの表情で問いかけた。「あなたは…誰?」
少女は少し考えるように首をかしげ、しかし微笑みながら答えた。「私の名前はユキ。ここで生まれ、ここで育ちました。でも、ずっと一人でした。」
その言葉に、エリスの胸がざわついた。彼女は何かを感じ取った。この少女、ユキにはただならぬ力が宿っている。だが、それ以上に気になるのは、その不安定さだ。彼女の言葉には、何かを隠すような、あるいは忘れたいと思っているようなニュアンスがあった。
ヴァルターもユキをじっと見つめ、やがて口を開いた。「ここが『記憶の都市』なら、あなたは一体何を知っているんだ?この街が歪んで、時間が狂っていることに、あなたはどう関わっている?」
ユキは、少しだけ目を細めると、エリスとヴァルターを交互に見た。「私は、ただこの街の『記憶』を守っているだけ。けれど、記憶を守ることが、どうしても人を傷つけることになってしまう。」
その言葉に、エリスはふっと冷や汗をかいた。記憶を守る?それがこの街で何を意味するのか、彼女にはわからなかった。だが、ユキの表情から察するに、それは決して楽しい役割ではないということが伝わってきた。
「記憶を守る?」エリスが再び尋ねると、ユキは静かに頷いた。「この都市、そして私の存在そのものが、あなたたちにとっては『記憶の一部』なんだ。」
エリスとヴァルターは、言葉に詰まった。記憶の一部?それが一体どういう意味なのか。街そのものが人々の記憶から作られているのか?それとも、何か別の存在が関わっているのだろうか。
その時、突然、街の空間がひときわ歪み、辺りの空気が振動を始めた。ユキが少し驚いたように後ろに引き、エリスとヴァルターも足を止めた。
「また来たのね…」ユキは小さく呟くと、目を閉じ、何かを感じ取ろうとしているようだった。その直後、空気の中に音もなく現れたのは、奇妙な形をした影だった。
それは、まるで影そのものが物質化したような存在で、黒い霧のように揺れながら形を保とうとしていた。しかし、その中からゆっくりと現れたのは、意外な人物だった。
「ほほう、ここに来るとはね。」その声は、やけに気だるそうで、無駄に優雅だった。姿を現したのは、長身の男性。彼の髪は灰色で、顔には軽い笑みを浮かべているが、どこかしら冷ややかさも漂っている。
「お前は…?」ヴァルターが目を細めて尋ねる。
その男は、軽く肩をすくめると、唇を引き締めた。「私の名前はミカエル。記憶を守るもの、というのも少し違うけどね。」
「ミカエル?」エリスがその名前に反応する。「その名前、どこかで聞いたことがあるような…」
ミカエルは面白そうに目を細め、エリスをじっと見つめる。「君が覚えているなら、それは君の記憶の一部だということだ。だが、私は君が覚えているべき存在じゃない。私はここに『作られた』存在だからね。」
エリスはその言葉に混乱し、目を大きく見開いた。「作られた…?」
「そう。私たち、みんなここでは作られているんだ。」ミカエルは軽く手を振り、周囲の空間を指差す。「この都市、そのものが『記憶』から作られている。君たちが見ているものは、すべて記憶の一部、もしくは記憶を守るために創られたものにすぎない。」
その言葉に、エリスとヴァルターはしばらく黙ったまま、お互いを見つめた。彼女たちが目にしている現実は、一体何だったのか?それはすべて「記憶」として作られたものだったというのか?
その時、ユキがふと立ち上がり、前に出ると、ミカエルを見つめた。「お前、どうしてここに現れるんだ?」
ミカエルはその質問に一瞬黙った後、目を細めて答える。「君に関係ないことだ。だが、君も知っているだろう、この街がどういう場所か。全ては記憶の積み重ねだ。過去と未来、全てが交差する場所。それを守るのも、壊すのも、私たちの役目だ。」
「守る…壊す?」エリスが首をかしげる。
ミカエルはゆっくりと歩きながら言った。「君たちが探している答え、そして私が守っているもの。それが『記憶』というものの正体だ。だが、それを知る時が来たら、君たちもまた、選ばなければならない。」
その言葉を残し、ミカエルは再びその不気味な影となり、消えていった。エリスとヴァルターはその後ろ姿を見つめながら、胸の中に重いものを抱えたままだった。
「選ばなければならない…」エリスは静かに呟くと、ふとユキを見た。「ユキ、あなたは一体何を守っているの?」
ユキは目を伏せ、少しだけ息を呑んだ。「私が守るもの、それは『記憶』そのもの。でも、それを守ることが、時には誰かを傷つけることになってしまうんです。」
その言葉に、エリスは深い悲しみを感じた。ユキの優しさが、どれほどの重圧に支えられているのかを、彼女はようやく理解した。
「でも、あなたは選ばなければならないんでしょ?」エリスは小さく言った。「私たちも、きっと…」
その言葉にユキはゆっくりと頷き、そして微笑んだ。「はい。私たちの物語は、これから始まるのです。」