プロローグ
「私たち、今、どこにいるんだろう?」
ビルの間に空いた細い路地で、少女はふと立ち止まって言った。その言葉には、恐怖と好奇心の入り混じった色が滲んでいる。彼女の名前はエリス。年齢不詳、ただし、顔に浮かぶ無邪気な笑顔に反して、視線の奥には何か深い疑念が潜んでいる。
エリスは、手に持った金属製のパズルを指で弄びながら、薄暗い通りの中を歩いていた。彼女の周りに広がるのは、他の都市とはまるで違う風景だ。街並みの高層ビルは曲がりくねっており、空に浮かぶネオン看板が不規則に光を点滅させている。道はどこまでも続いているように見えるが、いくら歩いても目的地に辿り着ける気がしない。
「もう一度、確認してみるか?」と、エリスの隣に歩いていた青年が言った。彼の名前はヴァルター。冷静で理知的な雰囲気を持っているが、どこか不安げな眼差しを向けている。彼の手にも何かが握られていたが、それが何なのかは不明だった。
「うん、でもどうしてもおかしいんだよね」とエリスはつぶやく。「この街、まるで私たちが最初にいた場所から、時間が歪んでいるみたい。こうやって歩いていると、戻れない気がするんだ。」
「時間?」ヴァルターは眉をひそめて答える。「時間なんて、どこにでもあるものだろう。だが、この都市がどうなっているか、もう少し調べてみないとわからない。」
エリスの言葉に対して、ヴァルターは冷静に答えるが、その目の奥に浮かぶ不安の色は隠しきれていない。どこかが違う。この都市の時間の流れは、まるで正常ではない。物理法則を無視するかのように、建物がゆっくりと変形したり、空に異様な色をした雲が漂っていたりする。
「この街、全部が記憶みたいなんだよね」とエリスが続けた。「街自体が何かを覚えているみたい。人々が何度も繰り返している記憶のような。」
その言葉に、ヴァルターは不安そうに周りを見渡した。
「記憶…か。それが本当なら、私たちがここにいる理由も、その一部に過ぎないのかもしれないな。」
ヴァルターが言った通り、この都市には異様な力が働いている。それは、彼らが初めてここに足を踏み入れた瞬間から感じていた。建物の壁には、無数の顔が浮かび上がっているように見えた。その顔が語りかけてくるのだろうか、それともただの幻影なのか。街そのものが、何か大きな謎を隠しているように感じる。
「それで、どこに向かうつもりだ?」とヴァルターは問いかける。
「どうしても、街の中心に行きたいの」とエリスは答える。「あそこに行けば、何かがわかる気がするの。」
「それなら、ここからさらに進むしかないな」とヴァルターは苦笑いし、前に進みながら言った。
二人が歩き続けると、突然、通りの奥から低い声が聞こえてきた。それは、どこか不気味で、耳に残るような響きだった。
「戻りなさい、戻りなさい。ここには、未来はない。」
その声は、まるで古い記憶を呼び覚ますかのように響いた。エリスは一瞬足を止め、ヴァルターもその声に耳を傾ける。
「戻りなさい? 未来がない?」エリスは目を丸くして振り返った。「誰かが…私たちを知っているの?」
「気のせいだろう。こんな街では、何も信じられない」とヴァルターは言い、再び歩き始めた。しかし、その表情には確かに不安がにじんでいる。
二人は無言で歩き続けた。街の奥へ進むにつれて、奇妙な光景が増えていく。建物の壁に不規則に映る影、浮かび上がる謎の符号、時折耳にする囁き声。それらは全て、エリスとヴァルターを試すかのように現れる。
そして、ついに二人は一つの大きな門に辿り着いた。その門は、どこか異世界に繋がっているような、または過去と未来が交錯する場所に続いているかのように感じられた。門をくぐる前に、エリスがふと立ち止まる。
「ここが、きっと…私たちが探していた場所だ。」
ヴァルターもその言葉に頷く。「だが、何かが違う。街が変わり続けている。私たちが進むたびに、街自体が反応している気がする。」
「そうだね。」エリスは力強く頷き、門を押し開けた。
扉の向こうには、見たこともない光景が広がっていた。都市のような場所だが、建物は空間をねじ曲げ、未来と過去が交錯したような風景が広がっている。その中で、ひときわ目を引くのは、中央に立つ小さな少女の姿だった。彼女はエリスに微笑みかけると、静かな声で言った。
「ようこそ、記憶の都市へ。あなたの物語は、ここから始まるのです。」