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エルサリオン・カイレンドール 3

 視察の舞台は魔法学園。空に浮かぶ魔導灯の下、何かが始まりそうな気配に包まれていた。

 淡い光に視線を奪われたが、すぐに心を現実に引き戻される。


「お待ちしておりました、リーシア王女殿下」


 会場に到着した私を迎え入れたのは、エルサリオンだった。

 銀色に輝く長髪を編み込んでいるから、尖った耳と蒼い瞳がよく見える。魔法省の長官である彼が私を出迎えるのに、特別な理由も意味もない。頭では分かっているのに、片膝を床につけて私の手を取り、額に押し当てる姿は礼節の皮を被った儀式のようであった。


「本日は視察の案内をお願いいたします、魔法省長官殿」


 王室のマナーに従って挨拶をする。最近はようやくマナー講師から及第点をもらえるようになってきたのだ。だが、目の前に傅くエルサリオンの目つきが鋭さを増す。


「では、魔法学園に通う生徒たちが開催するセレモニーへご案内いたします」


 剣呑な雰囲気はすぐに消えた。その視線が私の胸元に輝くペンダントを捉え、蒼い瞳がどろりとした色に染まる。微かに頬を緩めたその姿に、私に付き従っていた侍女たちは無言で色めき立つ。

 決して、肌に触れられているわけではない。しかし、身動きすれば触れてしまいそうなほどに近い距離。見上げた彼の顔には美しい笑みが貼り付けられているだけで、何を考えているのかさっぱり読めない。


 その時だった。

 鼓膜を貫くような高い声が、空気を震わせる。


「まあ、エルサリオン様!」


 レンバリー侯爵家令嬢シシリー。

 豊かな金髪をポニーテールに束ねた、真っ赤なドレスのご令嬢が姿を現した。魔法学園に通い、何度かエルサリオンと顔を合わせたこともあると自慢された事を思い出す。この場にいてもおかしくはないと構えていたが、まさか今このタイミングだとは。

 護衛たちも侯爵令嬢に触れるわけにもいかず、するりと脇をすり抜けて私とエルサリオンの間に入り込む。

 離れられてホッとしたのも束の間、ぬるりとした感覚が掌を撫でる。慌てて感触のあった手を見ても何もなく、首を傾げるしかなかった。


「誰だ、君は?」


 エルサリオンの低い声が、令嬢に問いかける。

 令嬢は扇で口元を隠しながらクスクスと笑う。


「あらあら、恥ずかしがらなくてもよろしくってよ。エルサリオン様、私と出会えて嬉しいからと更に気を引く為に名前を忘れたフリをなさるなんて!」


 エルサリオンは相手が令嬢であるにも関わらず、露骨に舌打ちをした。

 私を押し除けた事実に護衛たちが殺気立つ。侍女たちでさえも、冷たい視線をシシリー嬢に向けている。


「ああ、幸運の王女様がいらしたのね。あなたは一人で会場を巡ってはいかがかしら?無能に説明するほど、エルサリオン様は暇ではなくってよ?」


 場の空気は、シシリーに伝わらないのだろうか。

 お茶会ではまだ立場を弁えたギリギリの嫌味ばかり繰り返してくるような性格だったが、ここまで苛烈であからさまな悪意に満ちた振る舞いをしてくるような人ではなかったはずだ。


「シシリー様」


 私の呼びかけにシシリーが忌々しそうに表情を歪めて振り返る。

 ああ、やっぱり。私の違和感は間違っていなかった。

 レンバリー侯爵家に伝わる秘宝。ルビーをあしらった絢爛豪華なブレスレットが、細い腕に見当たらない。


「お母様の形見を、今日はつけていらっしゃらないのね?高い魔力防護の効果が施されたそれを、どうして外されているの?」


 シシリーの表情が、ごっそりと抜けた。

 ねばつく空気が、私の髪と頬を撫でて何処かへ消えていく。内側を探るかのような、魔力的な感覚。

 ぐらりと傾く体を慌てて支える。


「誰か、シシリー様を休める場所へ運んで!」


 せっかくの初の公務だというのに、トラブル続きだ。

 ため息を吐きたくなるのをぐっと堪え、信頼できる侍女と護衛にシシリーを託す。


 あのねばつく空気。私とエルサリオンの間に割って入られた時にも感じた。どこか薄気味悪く、背筋が粟立つ。まるで支配されそうな……。


「王女殿下、手首に傷が。さきほどの令嬢の仕業でしょうか」


 考え方をしていた私の手を、エルサリオンが取る。

 手の甲には、いつのまにか一筋の切り傷がついていた。

 痛みはなく、一滴の血が今にも垂れ落ちそうだった。いつの間に?


「私めにお任せください」


 その動作に、言葉はひとつもなかった。詠唱の代わりに、彼の魔力が空気を震わせる。それはまるで、“世界に命じる”ような魔法のかけ方だった。

 周囲が静まり返る。護衛のひとりが、無意識に息を呑む音さえ響いた。魔法を知る者ほど、その異質さに言葉を失っていた。


 暖かな魔法、傷が癒えるくすぐったい感覚。

 まるで初めから傷などなかったかのように、滑らかな肌がそこにあった。


「これは古代魔法です。相手に負担をかけることなく、傷を癒し痛みを和らげる……術者と対象の魔力の相性が関係してくるので使い手が減ってしまいましたが、殿下の傷を癒すなら私が最適でしょう。魔力的な相性は生まれ持って決まるものですから」


 『相性』この言葉に、またも侍女たちが微笑む。

 遠巻きに見ていた学生たちは両手で口を押さえ、声にならない悲鳴をあげていた。


「少しトラブルもありましたが、視察に戻りましょうか」


 なんでもないことのように取り繕うエルサリオンに、得体の知れない不気味さを覚えた。





◇◆◇◆


 シシリーはまだ意識が戻らないらしい。

 セレモニーが始まり、学園代表として挨拶するはずだった彼女の代わりを務めたのは平民出身の学生エミリーだった。原稿を緊張しながら読む姿は微笑ましく、前世の学生時代を思い出して心の中で応援したのは内緒だ。


 式次第は進み、在校生による魔法を使ったパフォーマンスが行われる。かつては戦や飢饉を遠ざける為に求められた魔法だが、門戸が広く開かれ、様々な出自の者が魔法を修めたからこそ、独自の分野の魔法が発展した。

 浮かぶ魔法陣から、花や鳥の幻影を出現させる魔法。植物を急成長させる魔法。水を自在に操り、氷の彫像を生み出す魔法。

 多種多様な魔法の発展。それはこれまで解決が困難だった問題を効率的かつトラブルなく解決する手段となり得た。

 ガルゼンティア王国が大陸一の大国となり、諸外国の紛争を調停する役割を担えるほどに強大となった理由の一つでもある。


 それらのパフォーマンスを眺めていると、次の挨拶はエルサリオンが行う事になったとのことで彼が席を離れる。


「殿下、どうかそのままの姿勢で儂の話をお聞きくだされ」


 この声は、学園長だったか。平静を装って、エルサリオンのスピーチに耳を傾けている風を装う。


「シシリー殿の意識が戻りませぬ。高位の魔法がかけられた痕跡がありました。どうか、御用心されますよう」


 高位の魔法。魔法学園の長がそう表現するほどのものを扱えるのは……壇上に立つエルサリオンだけ。

 しかし、何のために?


 スピーチを終えたエルサリオンが壇上を降りて私の隣に戻る。

 彼の蒼い目が私を見た後、後ろに座る学園長に視線を動かした。


 表情を微笑みで固定し、エルサリオンに声をかける。


「素晴らしいスピーチでしたね」

「お褒めに預かり光栄です、殿下……つまらない輩の戯言には、耳を傾けませんよう。殿下の安全は私がお守りいたします」


 エルサリオンが微笑む。


「貴女のような聡く純粋な方に、疑念という邪な考えは似合いません」


 隣に座る彼の考えが、分からない。


「殿下、魔法とは信じる力。何かを成し遂げたいと思う気持ちこそが、魔法の原動力となるのです。たとえば、私が貴女を守りたいという誓いも」

「その誓いは、私だけでなく他の誰かにも向けられたものでしょう。魔法省に勤める貴方を、私が独占する権限はありませんもの」

「ええ、無辜な民を守るのも私の誓いに含まれております。ですが、殿下に立てた誓いは尊く、価値のあるもの。何よりも深く、強く、“効く”のです」


 反射的に手の甲を押さえる。

 いつの間にかつけられた傷で、エルサリオンに治されたもの。

 ……古代魔法という高位の魔法で治療された傷。


「冗談はおやめください。貴方ほどの身分がある方の、その気のない言葉を曲解する輩がいてもおかしくはないのです。誤解を招く表現は────」

「その“輩”はもうおりませんよ?」


 それがシシリーを指す言葉だと理解するのに、時間がかかった。この場で、そのような発言をする事が自白を意味する。エルサリオンがどういう意図で発言したのか考えて、気がついてしまった。

 呼吸の仕方も忘れ、隣に座るエルサリオンを見る。

 彼は静かに告げた。


「貴女の為なら、私はなんだってできます」


 濁った蒼い目で、うっそりと微笑む悍ましい悪魔の手を、振り払う勇気が私にはなかった。

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