エルサリオン・カイレンドール 2
その日は朝から憂鬱だった。
エルサリオンと距離をとって、一ヶ月ほど。
十五の誕生日まで半年を控えていた私は、成人を迎える前に公務に励むよう父上と母上から命令されていた。
才能のない私に王位を継承させることに不安を覚える貴族は多く、中継ぎだとしても両親が存命のうちは姫のままに留めておくべきだという意見が強い。
しかし、父上と母上は生前での退位を強く希望しているため、早く既成事実を作ってしまえとの事だ。
私に才能がないばかりに、四十路を迎えた両親に周囲から次の子どもを作るよう圧力をかけられている状況が申し訳ない。
無礼な貴族ともなると、愛妾を囲えと迫っているとも聞く。
さて、肝心の公務なのだが。
魔法省が主催の『魔法祭』の視察である。
十年に一度の魔法祭。
魔法省が主体となり、執り行われる伝統的な行事だ。
建国当時は魔法への偏見が強く、一部の地方では魔女狩りが行われていたという。
二代目国王は、魔法の有用性と奥深さにいち早く気がつき、魔法への偏見をなくすために『魔法省』を設立。魔法使いの保護に動いた事で、魔導王の称号を獲得している偉大な人物だ。
魔法祭が行われているか、魔法使いたちが不当な扱いを受けていないか。実際に現場へ足を運び、魔法省の役人や魔法学園の生徒に直接話を聞きに行く。
それが公務の具体的な内容だ。
まあ、要は王家は魔法使いを大事にしてますよと内外にアピールする行事なのだ。
初の公務ということで、侍女たちも大張り切り。
早朝から叩き起こされた私は、全身をくまなく洗われた上に様々な美容液を肌に塗りたくられ、髪を香油で手入れされ。
白のワンピースに、黒のローブ。
銀の額当てを装着して、シニヨンに纏めた茶髪。
そして、首に巻かれたのは、彼からの贈り物。
エルサリオン・カイレンドール。
護身用の魔道具として、ブルーダイアモンドをあしらった一粒のネックレスを贈られた。
献上品として贈られたものなので断る事もできず、母上の無言の微笑みという圧力に負けて着用することになってしまったのだ。
「とてもお綺麗ですわ、殿下。これでは護衛たちも浮き足立ってしまうでしょうね」
「殿方に話しかけられても、決して一人では対応なされませんよう。周囲に誤解を与えてしまいますわ」
褒めそやす侍女たちの賑やかな軽口を流しながら、首元のダイヤモンドを撫でる。
己の色を取り入れた宝石を相手の装飾品に忍ばせて贈る。
王国内では、道ならぬ恋をした貴族同士が失恋を慰撫する為に行われる暗黙の風習だ。
エルサリオンはその風習を知っているのだろうか?
侍女たちが大騒ぎしたことは、記憶に新しい。
『君が心を痛めてまでその環境に身を置く必要はない。君が望むなら、俺は……!』
エルサリオンの、悲痛な声が蘇る。
あれは、そういう意味だったのか?
ありえない、温室で交わした会話はどれも友人としての距離感を保っていたはずだ。あれほど美しい人が、何の才能もない私に恋愛を抱くはずがない。
ダイヤモンドの宝石言葉は、『永遠の愛』と『変わらぬ絆』。
だから、きっと、立場が違えど友人であることに変わりはないという意味で贈ったのだろう。
なにせ、他の宝石は情熱的な愛を意味するものばかりだから。
「それにしても、本日はエルサリオン様が対応なさるのかしら」
「ええ。エルサリオン様が直々に殿下をご案内するそうよ」
「でも、大丈夫かしら」
侍女の一人が、憂鬱そうに溜息を吐く。
「だって、あのお方、レンバリー侯爵の令嬢に付き纏わ……んん、熱心なおっかけがいらっしゃいますもの」
エルサリオンの美しさに心を奪われる令嬢は多い。
贈り物を受け取ってから誘われるお茶会や届く手紙は、いずれもエルサリオンとの関係について問いただすものばかりだった。
特に、レンバリー侯爵令嬢シシリーの追求は余念がなかった。
「────今日の参加者に、レンバリー侯爵がいらっしゃるわね」
「前回のお茶会では、とても目立っていらしたわね」
「まあ、では注意いたしませんと」
エルサリオンとシシリー。
悩みの種と一度に相対するようなことがなければいいが。
時間となったので、現地へ向かう馬車へ乗り込み、追随する護衛たちをぼんやりと眺めながらこっそりと溜息を吐く。
嫌な予感ばかりが胸に残る。
今日は大変な一日になりそうだ。