アルスラ・フォン・エルバトラン 3
エルバトラン伯爵夫人と公爵のスキャンダルは、たちまちのうちに社交界で風のように噂が駆け抜けた。
週を跨ぐ事もなく、エルバトラン伯爵夫人が貴族籍を抜けて生国へ療養という名目で帰還する事が発表された。
ラッセル公爵は、東部にて激化の一途であった聖魔最前線への出兵する騎士団の統率が王命にて決まった。
尾鰭のついた噂は、当事者不在のまま広がり続け、ついにはアルスラの血筋を疑問視する声が強まる結果となった。
つまり、アルスラにとって、私は母の不貞を暴いただけでなく、大騒動にまで発展させた憎き相手という事になるのだ。
そんな相手と、王命とはいえ婚約。
しかも、他にも婚約しているという重婚状態。
不貞で騒動に巻き込まれたアルスラにとって、なによりも忌み嫌う婚約だ。
◇◆◇◆
国王からの婚約が王命で下った直後、私は王城の来賓室にてアルスラと婚約について話をしていた。
「なるほど、そういう理由で殿下は私との婚約が不安だったのですね」
私の不安を聞いたアルスラは、くすくすと笑う。
それから、人差し指を口に当て、盗聴防止の魔道具を起動して話し始めた。
「母の不貞は、公然の秘密として扱われていました。私が生まれるよりも前からです。私にはエルバトラン伯爵家ではなく、子爵の血が流れている事が発覚しました」
私は絶句した。
貴族にとって、血統は何よりも重要だ。
当主の血を受け継がない子は、居ないものとして扱われる事もある。
なんなら、処刑だってあり得るのだ。
「寛大な事に、伯爵は『子に罪はない』と貴族籍に留まることをお許しいただけました。流石に家督の相続は無理ですが、王女殿下の婚約者として支えるようにと背中を押されたのです」
「ええ……」
「むしろ、婚約を破棄されては、父の機嫌を損ねてしまうかもしれません……殿下、どうか私のことは捨てないで貰えませんか?」
縋るような眼差しで、テーブル越しに私の手を握る。
アルスラの言う通りなら、婚約破棄をした場合、彼は屋敷での立場すら失ってしまう事になる。
さすがにそれは忍びない。
本人も婚約に前向きなようだし、仕方ないが、ここは様子を見るしかないようだ。
「アルスラさんが、そう仰るなら婚約破棄は諦めて他の代替案を模索するしかなさそうですね」
アルスラが指を折り曲げながら、他三人の婚約者たちの名前を誦じる。
「私とは他に、後三人の婚約者がいますね。エルサリオン、カイザル、ラグナでしたね」
魔法省に勤めるエルサリオン、影として潜むカイザル、騎士団の中でも精鋭部隊のエースとして知られているラグナ。
王女としての公務で最低限の会話をした記憶しかない面子だ。
「彼らについて、殿下はどのようにお考えですか?」
アルスラに問いかけられて、自然に『あまり接点がない』と答えそうになった瞬間だった。
痛みを伴わない電撃が、警告となって意識を駆け巡る。
このまま答えるのはまずい、と何故か強く確信した。
「……エルサリオン卿は、我が王国内の主要都市を防衛する魔導結界の開発と維持を担当していますね。ラグナは東部への出兵で手薄となった辺境の地を守り、また冒険者ギルドへの影響力も持つ人物ですね」
アルスラの頬が、微かに痙攣した。反射的な反応だった。
それも僅かな出来事だったので、目の錯覚かと己を疑うほどだった。
「左様ですか。ふむ、私としては殿下との婚約は願ったり叶ったりというやつですが、他の面々もそうとは限りません。何か困り事がございましたら、どうかお気兼ねなく私に相談してください」
「まあ、ありがとうございます。婚約とはまた別件なのですけど、さっそく相談してもよろしいかしら? この前の政治学のことなのだけど……」
「ええ、私でよければ力添えさせていただきます」
婚約だとかこれからについて考える気力をなくしていた私は、頭のいいアルスラに政治学のレポートの手伝いを求めるのだった。
政治学の授業にて。
アルスラに手伝ってもらったレポートを眺める。
講師からお墨付きを貰い、最高得点を獲得したレポート。
教本より薄い紙束だが、誰が見ても分かりやすい内容にしあがった。
「私の婚約者にアルスラが選ばれたのはこれかあ」
革新的な政治学の思想。
かといって、伝統や歴史を軽んじているわけではなく、権威主義に陥っている学問の問題点を提起し、画期的な解決策を論理的に導き出す。
学問において平凡でしかない私を補佐する為に選んだのだろう。
能力面での評価だから、血統はさほど問題じゃない。
いや、むしろこれだけの能力を持つ人材を父上と母上は貴族から安く買い叩いたものだとすら思えてしまう。
アルスラが優秀なのは、きっと喜ばしい事だ。
いずれは政略結婚する身なのだから、それは仕方ない事なのだと割り切っているつもりなのだが。
『殿下、どうか私のことは捨てないで貰えませんか?』
希うような発言と、縋るような眼差し。
屋敷での薄ら笑いに他の婚約者の名前を誦じた時の雰囲気。
彼との婚約を手放しで喜べない自分がいた。
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