幸運の王女(ラグナ視点)
ラグナ・ブラッドファングの運命の番は婚約者であった。
獣人の先祖帰りである彼にとって、本能と魂が定める片割れは何よりも優先されるべきものである。
なので、他の婚約者が差し向ける刺客を殺さない程度に痛めつけ、再起不能にしてから送り返す作業や、妨害工作を看破した同僚からの忠告に従って失脚を回避する日々は全くの苦痛ではなかった。
剣を振る事だけを求められ、それ以外の全てを捨てたラグナの変わりようを、騎士団は大いに歓迎した。戦いばかり求め、冒険者から騎士団に加入したラグナの経歴は、王国騎士としてはかなり歪であり、不安要素であった。つまり、戦いがなければ騎士を辞めてしまうのではないかという怯えが騎士団長を苛んでいたのである。
ラグナは優秀であった。
魔獣・魔物に対する知識は豊富。単独での狩り方だけでなく、集団での戦闘経験も豊富で指揮は的確。冒険者とのコネもあるので、魔物の素材や加工方法について最新の情報を手に入れやすい。
もはや騎士団はラグナに頼り切っている状況だった。
しかし、刺客や妨害工作がパッタリと途絶えた。
原因は分かっている。国王夫妻の崩御……もとい、リーシアに聞かせた計画を耳にした時からだった。何か思うところがあったらしく、他の婚約者に対する嫌がらせや暗殺の手を止めたのだ。
ラグナにとって、己の全てが国王夫妻の計画によって生まれたものだと知る事はまさに天啓であった。
まさしく、己の全ては運命の番の為にある。剣も血も魂も生まれた理由さえ、番の為であったのだ!
それを知った時の幸福感は、筆舌に尽くし難い。思わず笑い出してしまったほどだ。
だからこそ、他の婚約者が理解できない。
特に、友人でもあるアルスラに対して怒りすら覚えていた。
◇◆◇◆
「アルスラ、何を迷うことがある?」
戴冠の儀の前夜。満月を背に、窓枠に足をかけて友を見下ろすラグナを咎める事なく、アルスラは深いため息を吐いた。
「ラグナ、君はどうして『扉を開けて入る』という文明的な事ができないんだ?」
「文明はお前の役割だからだ」
アルスラがようやく視線をあげて、ラグナを捉えた。
ラグナは言葉を続ける。
「リーシア殿下……いや、リーシア陛下を害するあらゆるものを排除する。あのお方の為なら俺は剣で殺すさ」
「ラッセル公爵を殺したのはやはり君か、ラグナ」
「ああ。俺が殺した。王位継承権を取り戻そうと貴族たちに働きかけていたからだ」
アルスラは、また深くため息を吐いた。
「君は本当に考えなしに動く癖をどうにかしてくれ。あの件は隠蔽工作するのに苦労したんだぞ」
ラッセル公爵。かつて、己の母と不倫関係にあったという男の顔を思い出したのか顔を歪めてラグナに苦言を呈するアルスラ。本調子ではないが、口を尖らせて文句を言うのがラグナの知る彼の姿だ。
金の貴公子、などと持て囃されている弟分は、振り回されている方がイキイキとしている。
「アルスラ、お前は頭がいい。計算も早い。それは俺が逆立ちしてもできない事だ。それを誇れ、武器にしろ」
だから、ついつい、ラグナも助言をしてしまう。
己以外の婚約者は確かに敵であり、いずれは排除していくつもりだ。だが、アルスラは最後だとラグナは決めていた。可愛い弟分であり、排除は容易で気乗りがしない。だから、最後に排除する。
「……やりづらいなあ、まったく」
アルスラもまた、同じ気持ちなのだろう。
婚約が発表されたばかりの時に比べて雰囲気が丸くなった。
他の婚約者の排除に動いていたのは、時が有限で愛する人を独占しなければ立場が危うかったから。しかし、アルスラは立場を固めて知識を得た。リーシアを軽んじる輩を牽制するのに、婚約者同士で歪みあっていては面倒ごとが増える。
神性を得た今、他の婚約者に対する嫌悪の気持ちは和らいだ。いずれは排除するつもりでいるが、まだその時ではないとアルスラは考える。ゆっくりと、穏便に。
最後に排除するのはラグナだろう。彼は潔い一面がある。負けを認めれば、あっさり退くだろう。また、ラグナ相手に負ける事があれば素直に認められるかもしれないという感情がアルスラにはあった。
「うむ、やはりアルスラはその顔でいい。さっきまでの辛気臭い顔は嫌いだ」
「……本当に、君は僕の建前を崩すのが得意だね。そういうところが嫌いだよ、僕は」
リーシアへの思いは仕組まれたものだったのかという迷いはまだある。だが、真実を知ったからといって彼女への恋慕が潰えるということはなく。やはりその側で支えたいと願う。それが、アルスラの偽らない気持ちであった。
「ラグナ、僕は殿下を────リーシア様を支える。彼女の敵は絶対に許さない。あの人を軽んじる輩は必ず排除する……ナディーム副大統領のように」
「ああ、それでいい。それがいい。アルスラ、俺もリーシア様をお守りする。あの人に近づく穢らわしい輩は全て切り捨てるさ。これまで俺が葬ってきたようにな」
二人は見つめ合うと、それからケラケラと笑い出した。
油断できないが、信頼できる確かな関係。気のおけない友人というかけがえのない存在は、決して変わる事はない。その答えを知れたことに、ラグナは運命に感謝した。