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ラグナ・ブラッドファング 6

 玉座の間は黒い布で覆われ、外からの光を遮っていた。

 いつもは聞こえる文官の談笑や騎士たちの世間話は、今日は聞こえない。偉大なる賢王と彼を支えた王妃が命を奪われたという事実に、参列者の誰もが心を痛め死を悼んだ。

 数多くの国の重鎮が参列し、棺に眠る王と妃に感謝の言葉を述べていく。


 棺に眠る二人の亡骸は、エルサリオンが作り上げた偽物だ。

 二人は今もまだ、魔法省の地下に設けられた秘密の研究室で寝ている。呪いの解析は遅々として進まず、どうしようもない状態だ。


 既に両親へ別れの挨拶は済ませた。

 抜け殻のように葬儀を見守る私を、乳母であり侍女でもあるサシャが心配する視線を向ける。


 重く低い鐘が鳴り響く中、教皇が祈りの言葉を朗々と捧げた。


「偉大なる王と妃に、永遠なる安らかな眠りを……」


 粛々とした雰囲気の中で葬儀は進む。

 王家にのみ立ち入りが許された墓所へ、四人の婚約者たちと向かう。

 位の低い者から順に続々と列を離れていき、やがて墓所の門の前で宰相が立ち止まる。


「これより先は、王位継承権を持つ者と配偶者のみが立ち入りを許されております。私めはここで失礼致します」


 深く一礼を済ませた宰相は背中を向けて来た道を戻り始めた。

 警備兵の敬礼に返しながら、父と母の棺を台車に乗せて押していく。


 王家の墓所、その最後に残った空間に納棺を済ませる。

 墓所を増改築する案があったのをぼんやり思い出していた。かなり前の話だった気がする。それから案が進まなかったのは、きっとその時から父と母はこうするつもりだったのだろう。


「殿下」


 カイザルに呼ばれて意識を現実に戻す。


「なあに、カイザル。気になる事でもあったかしら?」

「……いいえ、なんとなく名前を呼んでみただけです」

「そう、珍しいわね。あなたのそういう振る舞いは」


 手を伸ばしてカイザルの頬に触れる。

 布越しではあるが、体温を感じた。


「あら、髭を剃ったのね。葬儀の為かしら。忙しいのに、時間を割いてくれてありがとう」


 王家の影であるカイザルは、その仕事の特殊性から顔の隠匿を特別に許されている。最も、彼の格好を無礼だと指摘できるほど認識能力が高い者はそうそういない。


 カイザルは何も言わない。赤い瞳を揺らすばかりで、言葉を探して見つけられない様子だった。


「そういえば、あの時の無礼を謝っていなかったわね。婚約破棄を盾に部屋を追い出してごめんなさい。あの時の私は、気が動転していたわ」


 カイザルはゆっくり瞼を閉じると、静かに首を横に振った。

 他の者たちにも謝罪をしなければと思い立ち、エルサリオンに視線を向ける。何故か蒼い瞳を潤ませ、熱っぽい視線を向ける彼に微笑みかける。


「エルサリオン、私ってばあなたには頼ってばかりね。それなのに、私はあの時、酷い言葉で脅してしまったわ。私の本心ではない事を理解して欲しいな。だってあなたの能力にはいつも助かってるもの。これからも私を支えてくださる?」

「それはもちろんです、陛下!」

「戴冠式はまだよ、エルサリオン。呼び方には気をつけて」

「申し訳ございません!」


 私が手を伸ばすと、エルサリオンは腰を眺めて頬を擦り寄せる。

 目を細め、嬉しそうにクスクスと笑った彼は名残惜しさを滲ませつつもスッと身を引いた。


「アルスラ、どうしてそんな遠いところにいるの?あなたもこっちにいらっしゃい」


 アルスラの肩がびくりと跳ね、居心地の悪さを隠そうとするかのようにエメラルドの瞳を彷徨わせる。どうやら珍しく狼狽しているらしい。


「殿下、僕は……殿下の苦しみを何一つ和らげられない」

「私は苦しくないわ、アルスラ。本当よ。強いてあげるとすれば、あの日にあなたを脅迫した事に対する罪悪感かしら。あなたを捨てないと約束したのに、私は酷い振る舞いをしてしまったわ。本当にごめんなさい」

「いえ、あれは僕も悪かったので……」


 暫し無言で見つめあったのち、先に目を逸らしたのはアルスラだった。掌に頬を擦り付ける事から、私の事を嫌っているわけではないようだ。私は本当に苦しくないのだけど、アルスラはなにか婚約に関して強迫観念めいたものがまだあるのだろう。彼もやはりエルサリオンと同様にスッと身を引く。


「ラグナ、シャリアーラシュ国の冒険者に対応した時のアイディア、見事でしたね。国の為に努力してくれたあなたに酷い言葉をぶつけてしまったわ」

「いえ、気にしてません!殿下の御心を察せなかった俺に落ち度があります!」


 自ら頭を下げるラグナの頭に掌を置いて、さらさらとした硬い栗毛を撫でる。尻尾が風を切ってぶんぶんと揺れていた。ひとしきり撫でた後、そっと手を離す。


「さあ、葬儀は終わりましたが公務は山のように残っています。まだ喪に服する期間ですが、出来る仕事から片付けてしまいましょうか」


 王宮に戻った私たちを出迎えたのは、葬儀に参列していたシャリアーラシュ国の副大統領ナディーム・ハッサン・アル=サフィー。白髪混じりの灰色の頭髪を一つに束ね、遊牧民ルーツを思わせる太い眉と灰色の瞳が狡猾なハイエナを連想させる。

 廊下でいきなり呼び止められ、通路を塞ぐ形で立ちはだかる彼を見上げた。周囲には副大統領の護衛、だがその顔に浮かべる表情は警護に勤める者ではない。明確な嘲りがあった。


「これはこれは、ご機嫌麗しゅうリーシア国王陛下」

「ご機嫌よう、ナディーム副大統領閣下。戴冠の儀はまだ行われておりません。どうかそれまでの間はこれまでと同じようにお呼びください」


 父と母の暗殺を試みた実行犯は、既に自害した。

 しかしながら首謀者はまだ捜索中という事に表向きはなっている。

 実際は父と母の狂言であり、誰も暗殺など企てていないのだが、この場で国王と呼ばれる事をスルーしては、私が首謀者だと疑われてしまう。それを承知の上で、わざと呼び間違えたのだ。


 事実、婚約者たちには目もくれず私に一方的に話しかけ続ける。

 喪に服する王家の者に世間話であっても、国外の者が話しかけ続けるのは外交行為になる。どうやら、ナディーム副大統領は私を揺さぶるつもりらしい。


「閣下、殿下は喪に服されています。後日、正式に場を設けますので、この場はお引き取りください」


 アルスラの申し出を、ナディームは鼻で笑った。

 それから唇を釣り上げ、呟く。


「情夫風情が」


 ぼそりと聞こえた悪意ある発言。

 アルスラの目尻がびくりと痙攣した。


「ナディーム副大統領、今の発言はあまりに無礼です」


 たとえ一国の副大統領といえど、私の婚約者を侮辱する権利はない。

 彼の顔を睨みつけ、低い声で指摘する。

 しかし悲しいかな、背丈の低い私では迫力に欠けるらしい。


「これはこれは、失敬。ところで先日、我が国の冒険者が世話になったと伺ってます」


 無礼を指摘されたというのに、まともに謝罪をせず、それどころか別の話を持ち出してきた。なんという面の皮の厚さ。

 しかし、ナディーム副大統領がどのように振る舞ってきても大丈夫なように宰相を含めて話し合いは済んでいる。


「さて、何のことでしょうか。何か心当たりがごさいますの、ナディーム副大統領閣下?」


 相手が尻尾を出すまで、すっとぼける。

 カイザルの部下による諜報活動によれば、幸いにも【蒼炎の牙】に所属する冒険者たちは沈黙を貫いているらしい。どういうわけか、魔獣討伐の報奨を受け取っただけで手柄を自慢することすらしていないそうだ。


「チッ、狸爺の入れ知恵か。男に媚を売るのが随分と王女は得意なようですねえ、是非とも俺もご随伴にあやかりたいものだ!」


 顔を歪めたかと思えば、叫びながら私に手を伸ばす。

 その手は私に届く事はなく、クルクルと宙を舞いながら血飛沫を四方八方に飛ばす。その返り血は、エルサリオンが展開した魔法結界の表面に付着して、伝い落ちて大理石の床を汚す。


「ぐ、ああああっ!」


 斬られた右腕を左手で押さえ、副大統領が絶叫する。喉が裂けるのではないかと心配なる程の声量と音域だった。

 副大統領の護衛が慌てて武器を抜刀しようとしたが、その武器全てが喧しい金属音を鳴らして破片と砕けていく。

 そして、シンと静寂に支配された王宮の廊下で、副大統領の首筋に剣を押し当てたラグナが低い声で告げた。


「度重なる不敬、ならびにリーシア殿下にその穢らわしい手で触れようとした罪は重い。万死に値する」


 ────すぱん。


 小気味の良い音を立てて、副大統領の頭と胴体があっさりと切断された。噴水のように天に昇る血飛沫に悲鳴をあげそうになった瞬間。


「殿下、見てはなりません」


 カイザルの大きな手が、私の目元を覆う。

 肩を抱くのは、カイザルの手だろうか。


「殿下、深呼吸を。呼吸が止まっています」


 アルスラの言葉に従って、忘れていた呼吸を取り戻す。


「カイザル、アルスラ、ナディーム副大統領の様子は……?」

「俺が治療しておきました、殿下。切り落とされた腕も繋がり、問題なく動かせます」


 エルサリオンの返答が聞こえた。その意味を飲み込む間もなく、カイザルの手が外される。

 明るさに慣れを要する視界に、蹲って呻き声をあげるナディーム副大統領の背中が飛び込んだ。血飛沫一つなく、腕は両方ある。まるで、さっきの出来事が夢のように、ナディーム副大統領の肉体は無事だった。


 ラグナが、人を斬った。

 冒険者への対応は経験に基づく理知的な振る舞いをしていたのに。

 彼は躊躇なく、人を斬ったのだ。


 母からよく聞かされた寝物語が脳裏を蘇る。


『強欲な王様は美しい四柱の女神を妻に迎え入れました。そのうち一柱は女神シャリティアは戦を司る気高い女神でありました。王を誹るあらゆる不敬者を剣で捩じ伏せ、屈服させたのです』


 ああ、これが父と母の罪でしょうか。

 私が未熟であったせいで彼らはこうも容易く人の道を外してしまうのでしょうか。


「な、何が起こった……」


 副大統領側の護衛が、困惑した声で呟く。

 破壊された武器を片手に、呆然と護衛対象を見つめた後。私を視界に留めると顔を恐怖に引き攣らせ、悲鳴をあげた。


「う、うわああああっ!」


 武器を放り投げ、護衛対象すら置き去りに逃げようとした。

 その退路を、王国の騎士が阻む。


「狼藉者を捕らえよ!何人たりとも逃すな!」


 アルスラの号令に騎士団が行動で応える。

 武器もない副大統領の護衛や付き添いは、数分と経たずに捕らえられた上で王宮の地下にある牢獄に放り込まれた。


「……どうしてこんな事になってしまったんですかねえ」


 副大統領に狸爺と侮蔑された宰相は、隈の濃い顔に滲む汗をハンカチで拭いながら現れ、アルスラの説明を最後まで聞いた上でそう呟いた。


「私が未熟だからでしょうか」

「恐れながら殿下、これはそういう次元の話ではないと思います。ひとまずシャリアーラシュ国に説明と抗議の文書を送っておきましょう」


 宰相はテキパキと文官に指示を出して調書の作成を始める。

 取り調べに応じ、質問に答える。


 これからシャリアーラシュ国との関係が悪化するのは避けられないだろう。王国に次いで大きな国との友好関係を維持したかったのだが、起きてしまった事に対処していくしかない。


「ラグナ」

「はい、殿下!」

「次から人を斬る時はもう少し致命傷にならないようにして頂戴。死ぬと厄介な事になるかもしれないから」

「はい!殿下のお望みとあらば!」


 胸を張り、剣を鞘に収めるラグナ。ひとまず再発防止が出来たので、良しとするしかないだろう。王配教育に道徳の科目を追加するよう、家庭教師に要望を出さなければなるまいと私は強く決意したのだった。

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