ラグナ・ブラッドファング 4
私の合図で冒険者リオが駆け出す。
頭に被っていたバンダナさえも置き去りにするほどに早く、騎士団たちからもそのスピードに感嘆の声が漏れる。
しかし、ラグナの方が早かった。
リオが大剣を振り下ろした瞬間には、ラグナは半身をずらして剣を避け、自身の剣を抜く事もなく拳を振り抜く。
「ごふっ!」
腹部を深く殴打された苦悶の声が、私のいる場所まで届いた。
ゆっくりとリオが崩れ落ち、腹を抱えて蹲る。
「勝負あり!勝者、ラグナ!」
これ以上の勝負は危険と判断した私は、大声で宣言した。
騎士団たちは勝者のラグナを讃える為に拍手を青空に響かせる。ラグナは片手を挙げて、拍手に応えた。
慌てて駆け寄る仲間たちに、リオは苦しそうな声で『大丈夫だ』と返していた。念の為、医術師に診させておこう。
「良き戦いを見させていただきました。その実力と、魔獣を討伐した実績をもって、領土侵犯の罪を不問といたしましょう。よろしいですね、ラグナ?」
「はっ、殿下の御心のままに」
ラグナは優雅に騎士の最敬礼を行う。洗練された所作は、辺境伯の令息なのも納得できるほどに美しい。
目を丸くする冒険者たちに向けて、私はワンピースの裾を摘んで軽くカーテシーを一つ。
「初めまして、シャリアーラシュの冒険者様方。私はこの国の第一王女リーシアと申します」
冒険者たちが慌てて頭を下げる。
やはり宮廷儀礼に馴染みがないようで、民衆間の会釈を丁寧にしたものを急いで記憶から引っ張り出したらしい。『無礼な』と剣を抜こうとするラグナを片手で制して、私は彼らに微笑みかけた。
「さて、体を動かしてお腹が空いているでしょう。簡単なものでよければお召し上がりになりますか?」
侍女たちが簡易的なテーブルと椅子を組み立て、その上に食器を並べていく。魔法瓶から注がれた湯気の立つ紅茶と質素ながらに温かい具沢山のスープは、冒険者たちを魅了した。ごくり、と誰かが喉を鳴らす傍らで腹の虫がくうと切なく響く。
「どうかご遠慮なさらないで。その代わり、少し話を聞かせて欲しいの。魔獣討伐を決意してから、ここに来るまでの話を、ね?」
リオは視線を彷徨わせ、それから覚悟を決めた顔で頷いた。
◇◆◇◆
「シルバーランクに上がってすぐの事でした。冒険者ギルドに呼び出され、依頼されたのが魔獣の討伐だったんです。俺たちの家族が近くの村に住んでいて、魔獣を討伐できなければ真っ先に被害に遭う……俺たちに選択肢はなかったんです」
がつがつと他の冒険者たちがスープを掻き込んでいくなか、リオだけは真剣な眼差しで語り始めた。
「魔獣の討伐はゴールドランクからだ。いかに緊急な依頼でも、ランクにそぐわない魔獣や魔物の討伐を任せるはずがない」
椅子に腰掛ける私の後ろに立つラグナが口を開いた。
ラグナの指摘にリオが頷く。
「はい、俺もそう思います。ただ、断れば居住権を失うと脅されては断る事もできず、引き受けるしかありませんでした」
自由の国シャリアーラシュ。国の指導者すら選挙で決まるような自由度があると思っていたが、こんな無茶すら許してしまうのか。人が死んでいたかもしれないのに。
「今お持ちの地図を拝見しても?」
ラグナとは反対側に立つアルスラが微笑みかける。有無を言わせない迫力にリオは素直に頷いた。
ボロボロの草臥れた鞄から取り出したのは、真新しい地図。
大森林地帯について詳細を記したものだった。
「これは冒険者ギルドで借りたものですか?」
「ええ、はい。俺たちに地図を買う金はないもので、この地図の通りに進めば迷わないと」
アルスラが目を細める。
リオから渡された地図に何か思う所があったらしい。
「これはご忠告なのですが、リオ殿」
「は、はい」
「次から依頼を引き受ける時はもう少し世情を考慮された方がよろしいかと。新調した地図を、そう易々と依頼に成功するかも分からない新参の冒険者に貸すわけがないでしょう」
アルスラの冷たい言葉に、リオはぐっと唇を噛んだ。
私は微笑みながらも必死にアルスラの言葉の意味を考える。
世情、シャリアーラシュと王国の事だろうか。地図を貸す事が変だとは思わないが、国境付近は……
あら?冒険者の地図の国境線が、私たちのものと少し位置が違うような……製図ミスかしら?迷惑なものね。
「俺たちは嵌められたのでしょうか」
リオの言葉にアルスラは無言で微笑む。
「やはり、そうか……前金の支払いが妙に早く支払われていたのも、俺たちが断れないようにする為だったか……」
どうやらリオ率いる【蒼炎の牙】は、シャリアーラシュ国に嵌められたらしい。地図の国境線が実際のものとズレているのも、魔獣討伐の依頼をしたのも、何か狙いがあっての事。
何が狙いなのかを誰も明らかにしてくれないのが困りものだ。
「それで、シャリアーラシュに帰るつもりか?」
ラグナの問いかけにリオは頷く。
「はい、俺たちに選択肢はありません。依頼に失敗したとなれば違約金を俺たちの家族が払う事になります。不作続きで苦しい中、俺たちのせいで家族に迷惑をかけるわけにはいきません」
よくよく見れば、冒険者は体が資本だというのに頬は痩せこけ、髪に艶もない。食費を切り詰める為に長く不摂生な生活をしていた事は明らかだった。
このまま見なかった事にして返しても、特に問題はないが。
「サーシャ、私のジュエリーボックスにいくつかサイズアウトしたアクセサリーがあったわね」
乳母のサーシャは口元を手で押さえ、目を丸くする。
冒険者たちもぎょっとした顔で食事の手を止めた。
「まさか、下賜されるおつもりなのですか?」
「ええ。【蒼炎の牙】には更なる活躍をしてもらう必要が生じたの。いくつか見繕ってくれるかしら?」
「……かしこまりました。それが、殿下のお望みならば従うまでです」
どれも一点ものではあるが、名のある職人が新デザインを考案し、王家に献上したもの。本来ならば良い働きをした侍女や使用人に下賜するものだが、今回は魔獣討伐を頑張った冒険者に褒賞として渡しても問題ないだろう。
アルスラの何か言いたげな視線をまた感じたが、何も言ってこなかったので気づかなかった事にした。
「リーシア殿下様……ど、どうして俺たちの為にここまで……」
リオの戸惑った様子の問いかけに、私はひとまず微笑む。
「魔獣を討伐した英雄には、相応しい報酬があってしかるべきでしょう。これから忙しくなるあなたたちに、少しでも栄養のあるものを食べてほしいと思ったの。迷惑だったかしら?」
リオは首を激しく横に振った。何故か青ざめていたのが気になるが、なんだか聞ける雰囲気ではなかったので諦める。
新参の冒険者たちに依頼するぐらい、シャリアーラシュは魔獣を倒せる人材に困っているみたいだし、これから【蒼炎の牙】にはたくさんの討伐依頼が押し寄せるだろう。良い武器や栄養のあるものを食べて英気を養ってもらいたいものだ。
「さすがは殿下、まるで未来を予知したかのような采配だ……」
アルスラの呟きは意味不明で、私は首を傾げるしかなかった。
冒険者たちを見送った後、エルサリオンの元に足を運ぶ。
通信用の魔道具には何の反応もなく、沈黙を貫いていた。
依然として王宮からの返答はない。
「王宮になにかあったのかしら」
私の呟きにエルサリオンは「そうかもしれません」と返した。
王宮からの応答がないのは、歴史的に見ても初めての事らしい。
「魔獣の亡骸を回収したら、すぐにでも王宮に戻りましょう。何事もないといいのだけど……」
魔獣の死骸を回収する為にラグナが一部の騎士団を指揮して大森林地帯に向けて出発した。冒険者たちから聞き取った情報があるので、それほど時間はかからないだろう。
シャリアーラシュの冒険者といい、不測の事態が続いているように思える。なにか悪い事の前触れでない事を祈るしかない己の無力さを嘆きつつも、私はラグナの帰還を待つしかなかった。