ラグナ・ブラッドファング 3
「冒険者側に動きがありました」
静観を決めて半刻ほど。
魔法でシェリアーラシュの冒険者を監視していたエルサリオンが声をあげた。
手元を覗き込むと、鏡型の魔道具にここではない森の景色が映っている。
怪我を負った十五人の冒険者たちが、倒れた魔獣を囲んで勝鬨を上げている様子だった。魔獣の角を折って鞄に収納している。討伐の証明に使うのだろう。お互いに励まし合いながら、足を怪我した者に肩を貸して歩き始める。
「この方角は、王国側に歩いているようです」
冒険者たちは領土侵犯している自覚はない様子で、ズタボロの身体を引き摺りながらこちらに歩いている。
このまま帰ってくれる事を願っていたが、現実はそう甘くない。
「王宮側の返事は?」
「未だありません。こちらの報告が届いているのは確認したのですが、回答に時間がかかっている模様です」
エルサリオンが緩やかに首を振る。
王宮からの返答はなく、父がシェリアーラシュ国との調整や照会に時間がかかっているとの結論に至った。入れ替わりが激しく、担当者によって手続きの速度が違うからやりにくいと父が語っていたのを思い出す。
「このままだと、冒険者を出迎える形になるわね……」
本当にどうしよう、と心の中で頭を抱えているとラグナがいきなり敬礼した。
「殿下!俺にすっごくいい考えがあります!」
アルスラがその横で青ざめた顔をしながら首をぶんぶんと横に振ってた。どうやらラグナの提案はアルスラにとって『すっごくいい考え』ではないらしい。
私はラグナの事を知らない。体育会系の陽気な青年という認識だ。騎士団長に視線を向けてどうにかしろと頼み込む。騎士団長は精悍な顔つきになると深く頷き、ラグナの肩を叩いた。
「どうやら殿下は既にラグナ卿の策をご存知らしい。俺には皆目見当もつかないが、協力は惜しまん。思う存分にやるといい」
「はい!」
違う、そういう事じゃない。
そんな心の叫びを口に出せなかった。
止める暇も無く意気揚々と駆け出すラグナと騎士団長。騎士たちと円陣を組んでなにやら作戦会議を始めた。割って入る勇気がなく、困り果てる私にエルサリオンが問いかける。
「殿下、ラグナとかいう男の策というのは?」
「……さっぱり分からないわ。何をするつもりなんでしょうね」
エルサリオンがなんとも言えない表情を浮かべた。まさしく苦虫を噛み潰した顔である。彼もこんな顔をする事があるのだとしみじみ思った。
「絶対に碌でもないですよ、殿下。今からでも止めてきましょうか?」
いつの間にか隣にいたアルスラが、胡乱な目をラグナに向ける。
そう思うなら強く止めてほしかった、という言葉を飲み込む。
「アルスラ、あなたとラグナはどういう関係なの?」
「……昔、お茶会に参加した時に『軟弱者』だと言われて剣の稽古をさせられました」
ふっと笑いながら遠い目をするアルスラ。真逆の気質だから馬が合うのかと思っていたが、どうやら実際は違うようだ。どちらかといえば腐れ縁とアルスラは関係性を評する。
「あいつ、辺境伯の生まれだからなのか貴族というより庶民の考えで動くんですよ。まあ、話し合いだとか伝統よりも殴って解決を図るた蛮族、じゃなくて野蛮、短絡的な馬鹿……えっと、冒険者の考えに近いですね!」
アルスラは朗らかな笑顔で、ラグナをそう評価した。
冒険者の対応を流れでラグナに任せたのは失敗だったかもしれない。
やがて作戦会議が終わったのか、ラグナだけが私の元に戻ってきた。
腰のベルトから鞘ごと剣を外し、額に押し当てながら片膝を地につける。騎士団における最上級の敬礼とされる所作は、王族の中でも頂点に君臨する者だけに向けられる。
「リーシア殿下、俺は騎士団に所属する前はシャリアーラシュ国で冒険者として活動した事もあります。冒険者の対応は、俺にどうかお任せください」
ラグナのよく通る声が聞こえたのか、騎士たちが一斉に膝を折る。
何かトラブルになれば責任を追及されるかもしれないというのに、騎士たちはラグナの作戦を知った上で一蓮托生だと背を押しているのだ。
シャリアーラシュ国について私が知るのは、あくまで家庭教師などを通じた伝聞のみ。実際の温度感はラグナの方がよく知っているだろう。
「……分かりました。ラグナ、貴方を信じましょう」
ひとまずラグナの作戦とやらで反応を見てから、対応するしかない。王宮からの指示があれば、ラグナの作戦を却下する正当な理由になるかもしれないけど、相変わらず応答がない。
私の言葉にラグナは顔を輝かせる。
「殿下の期待に必ず応えます、婚約者として!」
冷たい眼差しのカイザル。沈黙を貫くエルサリオン。
そして、頭を抱えるアルスラ。
流石に、騎士団長も内容を知った上で後押しした作戦だもの。
最悪な結果にならない、よね?
込み上げる不安を飲み込み、私はいそいそと準備を始めた騎士団たちを見守った。
◇◆◇◆
魔獣の討伐を終えた冒険者たちを、王国の騎士団が出迎える。
青空の下ではためく銀鷲の紋章を目にした冒険者たちは目を見開く。
「おい、やべぇぞ。国境を越えちまったのか、俺たち」
「なんてこった、英雄になるはずが一晩も経たねえで犯罪者か」
青ざめ、絶望した表情を浮かべる冒険者たち。
その内の一人が私に気づいて、ひそひそと耳打ちを始める。
「おい、あそこにいるティアラの女は王国の姫じゃねえか?」
「魔獣を封印する力を持つっていう、あの?」
何故、囁き声が聞こえるのか?
カイザルの魔法らしい。彼にとって囁き声を盗み聞くなど朝飯前なのだろう。これからはヒソヒソ話は筒抜けだと考えた方がいいだろう。ちなみにラグナの話を盗聴しなかったのは、距離が遠かったかららしい。離れるより私の警護を優先したとの事。
「ならよお、あの騎士団は俺たちを捕まえる為っつうより、魔獣を討伐する為じゃねえか?」
「なら、交渉の余地はあるか?」
どうやら冒険者たちの中で話がまとまったらしい。
リーダー格と見られる男が武器や防具を仲間に預け、両手をあげてゆっくりとこちらに向かって歩いてくる。
騎士たちが武器を構えないギリギリの距離まで詰めた所で、よく通る声で名乗り始めた。
「お初にお目にかかる、俺はシャリアーラシュ国で【蒼炎の牙】というパーティーを指揮しているシルバーランクの冒険者リオという。魔獣を討伐する為にここに赴いたのだが、誤って国境を越えてしまった。すぐに引き返して戻るつもりだ!」
冒険者リオの主張に嘘偽りはない。
さて、ラグナはどうするのか?
「我ら騎士団の獲物を横取りした事に対する謝罪もなく、領土侵犯した罪を償わずに自国に戻るつもりか!」
あっ、だめかも!
思いっきり喧嘩を吹っかけにいってる!
立ちあがろうとした私を、アルスラが片手で制した。
青ざめた顔で腹を摩りながら、『ここは信じましょう』と囁く。
「そんなつもりはない!しかし、俺たちは見ての通り一文無しだ!国を脅かす魔獣を討伐する為に、金目の物は全て家族の為に置いてきた!」
ラグナの言葉に冒険者リオは果敢に返す。
そりゃそうだ、このままだと牢獄に放り込まれるから、そんな未来を回避する為に必死になっている。
「死ぬ覚悟の上で魔獣を討伐したというのか!」
「ああ、そうだ!魔獣に脅かされる人生は、もうごめんだね!」
「ならば、魔獣を屠ったその力を俺にぶつけてみろ!」
やっぱり喧嘩じゃないか!
アルスラの服の裾を掴んで引っ張る。彼は困り眉をしながら何故かニヤニヤしていた。第二の国難を前に何を考えているんだろうか。
「僭越ながら申し上げます、殿下。ラグナ卿は恐らく力比べに勝利して情けをかけるつもりではないでしょうか。何のお咎めもなしに帰還を許可したとなれば王国が侮られる理由となりますが、勝負に負けた上に慈悲をかけられたとなれば実力主義の冒険者界隈では致命的となります」
アルスラの説明を聞いて納得した私は彼の腕を離した。
狼狽する冒険者たちを他所に、騎士たちは手際よく草原の草を倒して戦いやすい場を設ける。
防具を脱いで身軽な装いとなったラグナが手足の関節を解しながらぴょんぴょんと跳ねる。栗色の尻尾がゆらゆらと動きに追従する。
「怪我をしているみたいだな。医術師、治療をしてやってくれ」
騎士団の中でも純白のローブを着用した医術師が、素早く呪文を唱えて冒険者たちの傷を治す。本当にあっという間で、素早い手際だった。冒険者たちは信じられないものを見たという表情で、傷ひとつない己の体を見渡す。
「治療なんて、神殿に金貨一枚払ってようやく診てもらえるのに」
冒険者の一人がポツリとそう呟くのが、妙に気になった。
シャリアーラシュ国は魔法薬の名産地。我が国にもいくつか魔法薬のレシピはあるが、冒険者に流通していないのだろうか。
「カイザル」
「はい、ここに」
「冒険者の持ち物に治療に使う道具があるかどうか見てもらえるかしら?」
「御意」
ふっ、とカイザルの姿が掻き消える。
それも一瞬の事で、すぐに何事もなかったかのように姿を現した。
「冒険者の持ち物に治療に使用する道具はありませんでした。金目の物も同様にありません。僅かばかりの携帯食料と水があるばかりです」
カイザルの報告を聞きながら、頭の中を過ぎるのは冒険者リオの発言。『国を脅かす魔獣を討伐する為に、金目の物は全て家族の為に置いてきた』という言葉はどういう意味で言ったんだ?
「変ね。魔獣を討伐するなら持ち物として武器防具に食料と水は分かるわ。でも、怪我をした時の治療道具も持ってこないなんて、まるで失敗覚悟の特攻じゃない」
「たしかに妙ですね。なにか事情がありそうです。ラグナとの勝負が落ち着いたら話を聞いてみます」
「ありがとう、アルスラ。やっぱりあなたは頼りになるわね」
アルスラは口元をきゅっと結ぶとなにやら言いたげな視線を私に向けてきた。なんだろう、褒めたつもりだったんだけど嫌味に聞こえちゃったかな。あ、やばい泣きそう。
アルスラは会釈をすると、何も言わず下がってしまった。
「殿下」
カイザルに呼ばれて、視線を向ける。
影のように密やかに佇む彼の、血のように赤い瞳と目が合う。
「あのようなお言葉は控えるべきかと」
「そうね。迂闊だったわ、彼の頑張りに報いたかったのだけど機嫌を損ねてしまったみたい。難しいわね、どう言葉をかけるのが正解だったのかしら」
カイザルにも注意されてしまった。
その後ろで何故かエルサリオンが眉間を指で揉んでいる。頭痛がするほどに私の振る舞いはアウトだったのだろうか。
肩を落としながら、ラグナの方に視線を戻す。
どうやら勝負を受けるという形で冒険者たちの意見が纏まったらしい。騎士団に勝ったとなれば無罪放免かつ実力を証明できるという算段だそうだ。リーダー格のリオがラグナと戦うらしい。
舞台は整い、両者が武器を手に立つ。
騎士団の視線で合図を受け取った私は、王国の旗を地面に突き立てて宣言した。
「勝負、始め!」




