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ラグナ・ブラッドファング 2

 南部の森に出現した魔獣を討伐もしくは封印する為に騎士団が移動を始める。士気は高く、王家の頑丈な馬車内部からでも騎士たちの高揚が手に取るように伝わってきた。


 長らく続いた王国には、外敵と呼ばれる存在は少ない。

 ほぼ周辺の統治者は王国に敬意を払い、領土を侵犯する事はなく、五百年という時間を遡ってようやく小競り合いがあった程度だ。内部の貴族同士での争いはあるが、専ら政治的・経済的な紛争であり、国王の仲裁によってほとんどはすぐに解決する。防衛を担うが、出番は少ない。それが騎士たちに向けられる文官からの眼差しであった。

 今回の大規模な魔獣討伐は、出世の機会が乏しく燻っていた騎士たちにとってまさしく好機と呼べるだろう。


 カイザルの調査によれば、魔獣の力はエルサリオンの『調整』によってある程度は抑制されているとのことだが、魔獣は未知の力を持っている事がある。油断は禁物だ。


「殿下、あと半刻ほどで魔獣の出現が確認された森林地帯に到達します」


 カイザルの声だけが聞こえた。

 馬車の中には私と、身の回りを世話する侍女たちだけ。

 他の婚約者たちは馬車の外で部下たちに指示を飛ばしているのだろう。侍女たちの反応がない事から、恐らく魔法を使って私に話しかけているのだと推測する。


 車窓に視線を向ければ、馬に乗って遠くを見つめるラグナが視界に入った。

 辺境伯の息子でありながら、先祖返りで獣人の特性が強く出た。

 王国は表向きは全種族の平等を謳っているが、世代ごとに温度感が違う。私の婚約者に選ばれたのも、新たな時代を象徴する為だ。


 遅れた騎士に馬の歩幅を合わせ、何かを話しかけているラグナ。

 青ざめていた騎士の顔が、ラグナとのやりとりで幾許か血色を取り戻す。指差しで馬具を確認させると、馬の速度が回復する。信頼されるにたる実力を有しているらしい。


「まあ、殿下。ラグナ卿が気になりますか?」


 侍女の中でも年配であり、私の乳母が小声で話しかける。


「え、ええ。婚約が発表された後で会話をする機会がなかったの。初対面が仕事というのも申し訳ないと思って……」

「魔獣討伐が終わり次第、ラグナ卿との時間を設けましょう。こういうのは早めが良いですわ」


 テキパキと手筈を整え始める乳母。

 多分、自分が間近でラグナを見たいだけだろう。この人は若い騎士によく熱をあげている。人生の潤いだと口にしていた。魔獣の潜む森林地帯にこれから突入するというのに、随分と気楽な事だ。


 エルサリオンから受け取った報告書に目を通す。

 『血の儀式』に関する魔法であり、その理論や扱い方について事細かく記載されていた。形式は視察の時とかなり違うが、魔獣の動きを制限する効果を持つ魔法だ。


『この魔法は俺の力により、殿下のみが扱えるようになっています。他の者では発動すらできないでしょう』


 エルサリオンの声が耳に蘇る。

 試しにカイザルに使用させてみたが、発動の兆候すらなく失敗に終わった。私にしか扱えない魔法である事は確認済みだ。


 特別に憧れていたのは、いつまでだったか。

 物事の仕組みを知らない幼い前世の頃だったのは間違いない。

 特別は責任重大で、取り返しがつかなくて、とても苦しい。

 王女に転生した今は、強くそう思う。


 私は『特別』に見合うだけの素質がない。

 しかし、全てを投げ捨てて逃げ出す程の担力もない。


 大森林地帯を目前に馬車が停止した。

 王女として飾り立てていた着脱式のドレスを馬車に残し、動きやすさを重視したワンピース姿で騎士たちの前に立つ。王族である事を証明するティアラに視線が集まる。


「第一隊は斥候を兼ねて前進、第二隊は左右に広がり包囲の網を張れ。第三隊は後方支援に回り、殿下の護衛を最優先とせよ!」


 馬から降りたアルスラが素早く指示を出す。整然とした命令と、よく通る声は騎士たちに届いた。アルスラの手に握られているのは、カイザルに集めさせた魔獣の情報。

 エルサリオンの暴走によって出現した魔獣だが、辛うじて市民に被害が出る前に対策を打てた。カイザルの情報収集能力のおかげだ。

 ところで、命じてから今に至るまでずっと気配を近くに感じているのに、どうやって情報を集めたのだろうか。魔法とか部下だろうか。


 アルスラの隣にはラグナが立っていた。

 耳がピンと立ち、尻尾を緩やかに左右に振る。視線を森の奥に向け、鼻に皺を寄せていた。


「……人の血だ」


 ラグナの呟きは、周囲に動揺を齎すのに十分な威力があった。

 魔獣討伐の騎士団が到着したのは、ついさっきの事。周囲を見渡しても、誰も血が出るような怪我をしていない。


「ラグナ、それはどの方角ですか?」


 私の問いかけに、ラグナは無言で森の奥を指差した。


「斥候部隊との連絡は取れていますか?」


 アルスラが頷く。通信用の魔道具を抱えた騎士が素早くモールス信号を打っていた。


「すぐに呼び戻しました。周囲に魔物や魔獣の姿はなく、誰も怪我をしていないようです」


 なら、誰が怪我をしたのか。

 私たち以外の者が、魔獣のいる森に侵入した。それ以外、考えられない。


「私の記憶が正しければ、この辺りは立入禁止区域に指定されているはず」


 国境に近い大森林地帯は、他国を刺激しない為、王族の許しがない限りは近づく事を禁止されている。王国側から大森林地帯に近づく者がいれば、国境警備隊が警告の後に拘束するはずだ。

 国境警備隊からの報告や警告音はなかった。侵入した者はそれ以外のルートで近づいた事になる。


「大森林地帯に隣国シェリアーラシュの魔獣討伐部隊が展開されている可能性がある……?」


 魔獣や魔物は、どの国にとっても明確な敵である。

 いつどこで生まれるのか、まだ謎は多い。

 人里離れた山の中、あるいは栄えた街の空き地など、予測すら難しい状況だ。速やかに発見して討伐。これ以上に有効的な手段はない。


「国王陛下と宰相閣下に指示を仰ぐ必要がありそうね」


 私が命令するよりも早く、エルサリオンはすぐに王宮との連絡用の魔法を起動していた。

 カイザルの気配がふっと消えたかと思うと、すぐに目の前に姿を現す。片膝を地面につけた体勢のまま、報告を始めた。


「大森林地帯を探ってきました。どうやら殿下の推理通り、シェリアーラシュの冒険者が魔獣を討伐する為に周辺で活動していたようです。魔獣を追いかけるうち、国境を越えてしまったものと思われます。如何されますか?」


 は、はやい……。

 まだ父に判断を仰いでいないというのに、もう探りを入れてきたのか。


 たしかシェリアーラシュは、民衆からの投票で選ばれる大統領による議会政治の国。ガルゼンティア王国の騎士団とは違って、冒険者ギルドという組織が魔物や魔獣の討伐を担っている。


 領土侵犯で逮捕・処罰する事も可能だが。

 怪我をしている冒険者を逮捕するとなれば、シェリアーラシュとの紛争の火種になりかねない。先代の大統領は寛容な人物であったが、三ヶ月前に別の者が大統領に選ばれたばかりだ。どう反応するか不明だ。


 しかし、このまま放置する事も難しい。

 領土侵犯した者をお咎めなしで返せば、次の領土侵犯を容認する流れが生まれてしまう。


 エルサリオンの方に視線を向けるが、王宮や父からの返答がまだないと首を横に振られてしまった。

 国王の命令なしで他国の者を拘束する事は得策じゃない。


「魔獣が手負いならば、冒険者たちが討伐するのを待ちましょう。ここで騎士団を動かし、混乱させては被害がこちらに及ぶ可能性があります」


 私の決定に異議を唱える者が現れた。

 騎士団長その人である。アルスラを経由して指示を出しているが、騎士団に関して決定権を持つ人物だ。


「何故ですか、殿下。国の領土を侵犯した者に罰を与えないのは如何なものかと思います!」


 騎士団長が声を張り上げる。

 騎士たちが次々と同調するように頷いた。


 短剣を抜こうとするカイザルを手で制し、アルスラが騎士たちの前に立つ。


「落ち着きなさい、皆の者。殿下のお考えが理解できないお前たちに、僕の方から説明をしましょう」


 アルスラが、シェリアーラシュの冒険者や国境の問題について解説を始めた。騎士たちはふんふんと頷きながら、その説明に耳を傾ける。


「ここで最悪の選択肢は、恐らく騎士団を動かす事です。魔獣と戦っている冒険者がこちらに気を取られて死亡した場合、隣国がその責任を騎士団や殿下に被せようとするでしょう」


 騎士たちは『なんだと!』と怒りを露わにする。

 アルスラは言葉巧みに騎士たちの怒りを逆撫でし、如何にシェリアーラシュ国側に非があるかを語った。

 ひとしきり騎士たちが憤慨したところで、アルスラは極めて真面目な表情に変わる。


「最も最悪なのは、騎士団に損害が発生した上で魔獣の討伐に失敗する事です。魔獣討伐の名誉よりも、殿下は民の確実な安全と騎士団の保護を決断された!」


 シン、と騎士たちが静まりかえる。

 アルスラの説明に対する呆れなのかと思ったが、次の瞬間には割れんばかりの歓声が上がった。


「素晴らしいご決断です、殿下。さすがは次期王位継承者ですね」


 アルスラの褒め言葉に騎士たちが湧く。

 そっとアルスラに耳打ちされた騎士団長が、訝しむ表情からガラリと態度を変えて手を叩く。


「なんと、限られた情報からそこまでお考えの上でそのようなご決断をなさるとは!不肖、エバーソン、己の未熟さを痛感するばかりです!」


 滝のような冷や汗を流す私に対して、アルスラがぱちこんとウィンクを飛ばす。その姿は貴公子然とした上品さを醸しつつも親しみを与えるものだろう。


「やはり殿下はすごい!みんなも分かったか!俺の婚約者はすごいぞ!」


 腰に手を当て、胸を張るラグナ。

 ぶんぶんと激しく揺れる尻尾はまるで犬だ。


「ふ、ふふ。み、みなさん、ほ、褒めすぎですわ」


 ……言えない。言えるわけがない。

 そこまで考えていなかった、なんて。

 王宮からの指示を待とうという、呑気な考えだっただなんて。


 カイザルの殺気が収まったので良しとしたいところだが、騎士団からの視線がすごく痛い。ああ、どうしよう。とても期待されている。答える能力が、私にはないのに。


「気に食わん」


 ポツリと聞こえた呟きは、重なって聞こえた。

 エルサリオンとカイザルである。


 ああ、変な事にならなきゃいいな。

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