カイザル・ノクスフェイン 3
暴れる婚約者二人をキスで黙らせた私は、頬を赤らめて恥じらうエルサリオンから事細かく能力について聞き出した。
願うだけで叶うが、元の状態に戻すのは不可能だという事。
そして、各地に出現した魔獣を調整した事。
「すまない、俺の力はまだ制御が安定していなくて精神的に不安定になると暴走してしまうんだ」
苦虫を噛み潰した思いでエルサリオンの言葉を聞く。
元に戻す事ができればと考えていたが、それが不可能となれば目の前の現実に対処するしかない。
罪悪感に駆られて徹夜で作業したと語るエルサリオンの横顔を睨みつける人物がいた。カイザルである。
その目は雄弁に敵意を向けていた。
「殿下、こいつの言うことは信用できません。そもそも、殿下に封印の力がないなんて妄言を吐くエルフは即刻、不敬罪で処刑するべきです」
首を横に振って否定する。
魔獣の出現に対処する必要がある今、騎士団だけでは国民を守りきれない。エルサリオンの助力が必要不可欠なのだ。
「カイザル、不穏な言葉は慎みなさい。私はエルサリオンの発言を信じます。魔獣を消し去る事が難しいと判明した今、私たちは国の危機に立ち向かわなければいけません」
私の宣言に、エルサリオンは顔立ち凛々しく居住いを直し、カイザルは真っ直ぐにこちらを見つめる。
「二人とも、この有事に協力してくださいますね?」
私が問い掛ければ、二人は首を縦に振った。
その仕草にさえ、伝わってくる温度に違いが生まれる。
「殿下のお望みとあらば、俺の全てを捧げよう。その他にも何かあれば、すぐに俺に連絡を」
片膝をつき、胸に手を当て、潤んだ瞳で私を見つめるエルサリオン。
対するカイザルは無表情のまま膝を折り、頭を垂れる。
「殿下の仰せのままに。貴女を阻む全てを灰燼に帰してでも、任務をやり遂げてみせます」
二人の言葉に『国』も『民』も含まれていない。
ただ真っ直ぐに見つめるその視線は、私に向けられている。
彼らは国をどうでもいいと思っているのか、そう疑う度に心の奥が氷のように冷たくなっていく。
「……ありがとう、二人の忠義を嬉しく思います。必ずやこの国を守り抜きましょう」
顔に微笑みを貼り付けて、感謝の言葉を告げる。
エルサリオンの顔に喜悦が浮かぶのを見て、歪んだ執着を強めてしまったという嫌な手応えを感じて背筋を汗が伝い落ちた。
距離は離れたはずなのに、二人の視線はまるで私を監視しているかのよう。協力するとは言ってくれたが、それは国の為ではなく私の為と彼らは言い切った。
扇で引き攣る口元を隠し、内心の狼狽を消し去る。
私に求められているのは王者としての優雅さや気品、そして王位継承者としての判断力だ。
資料の作成に取り掛かるエルサリオンを残し、魔法省から退出する。
影のように付き従うカイザルが口を開いたのは、部屋に戻り、二人きりになったタイミングだった。
「殿下、先ほどの……」
カイザルが不自然に言葉を切る。
血のように赤く冷たい瞳が揺れながら、続く言葉を探している様子だった。
気まずい沈黙に耐える。
言葉を探すカイザルの思考を邪魔するのは、主として忍びなかった。
冷静沈着で、王家に長らく仕える者が言葉を選ぶほどの話なのだ。果たして私に回答できる内容なのだろうか。不安が込み上げる。
「────先ほどの、接吻なのですが」
接吻、つまりキス。
面食らいながらも、相槌を打つ。
「殿下は穢らわしいと思わないのですか」
……どっちの意味だ?
一度に二人をキスした事か?
「影の民と呼ばれる、私たち一族は神から呪いを受け故郷を追放された末に今の姿になりました。この艶のない灰色の肌を穢らわしいと思う者は多い」
実体験があるのだろう。
カイザルは淡々と、己が差別を受けている事を告げた。
なるほど、狭い世界に生きる者にとって、その姿は魔物や魔獣に多く発言する赤い瞳の特徴がその他の要素を押し流してしまうのだろう。知らなければ恐ろしいと思ってしまうかもしれない。
前世でも、人間という種族しかいなかったというのに差別や偏見に満ちていた。生まれ持った、どう足掻いても変えられない事実のみを持って判断する事の残酷さを知っているつもりだ。
「あなたに向けられた『穢らわしい』とは、文化的な背景と偏見に基づいて発せられたものです。神の呪いと言いますが、呪われたのはあなたの先祖であってあなたではないでしょう?」
「それは、そうなのですが……」
「罪を贖うのは自身であるべき。血の繋がりや種族という括りで纏め、罪を償うように迫るのは間違っています」
カイザルは何も言わず、私の顔を穴が開きそうなほどに見つめる。
「あなたの何処が穢れているのか、私にはさっぱり理解できません。あなたは王家に仕え、忠実に働いてくれています。そんなあなたを冷遇するほど、私は人の心を忘れたつもりはありません」
カイザルがゆっくりと膝を折る。
流れるように美しい所作で私の右手を取ると、己の額に押し当てた。
「ありがたき幸せに存じます。この身の全てを殿下に捧げる事を、どうかお許しください」
射抜くように鋭い、赤の瞳。
その目に浮かぶ、得体の知れない感情が渦巻いているのを知りながら、私は微笑みを浮かべる。
「無理のない範囲でならば、許しましょう」
エルサリオンの二の舞になりそうな予感には、そっと蓋をした。
カイザルは王家の影として長らく仕えてきた優秀な人材だ。両親のお墨付きなのだから、暴走する事はないだろう。多分。