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幸運の王女(エルサリオン視点)

 エルサリオン・カイレンドールにとって、自分以外は取るに足らない存在だった。

 魔法の実力がなく、頭も悪い両親。

 出来の悪い兄弟に、自尊心ばかりで実力の伴わない同年代。


 全てを見下していた彼が自分の力に気付いたのは、森の民エルフの成長段階でいう幼年期も半ばの頃だった。

 魔法についても既知ばかりとなった教本を眺めながら、子どもは遊べと頭ごなしに命じる両親の存在を心から鬱陶しく、他人であればいいのにと願った満月の深夜。


『君はどこの子だ?』


 それまで過干渉であった両親は、困惑したようにエルサリオンから距離を取った。

 魔法を超越した、超常の力。

 両親との絆を失った彼は、奇しくも自由と好奇心を手に入れた。


 現実を書き換える。

 『こうであったらいいのに』と願うと、現実がすり替わる。初めからそうであったかのように記憶や物が変化する。その範囲は広く、エルサリオンが知らなかった事実さえも捻じ曲げる。


 家族で揃えた物は消える。

 思い出は当人たちの不都合がない程度に置換される。

 あらゆる魔法防護がされた書類や、賢人の記憶さえも変化した現実に添う形で歪む。

 エルサリオンはその日から孤児になった。


 最も力が高まる満月の夜。

 強く願う事で、条件は揃う。

 強大な力にはそれなりの代償が伴うが、永い時を生きるエルサリオンにとってはないも同然だった。


 書き換えた現実を、エルサリオンが願う前に戻すにはかなりの労力が伴う。最初に使う際は強く願うだけで問題はないが、戻すとなれば力の影響の範囲を詳細まで把握し、細やかな所まで考慮しながら願わなくてはいけない。

 エルサリオンが力を使った事を、他の誰も知る事はできず、現実が変化した事を他の誰も証明できない。何もかもが思うまま。

 まさしくエルサリオンは全能であった。

 幸運の王女と呼ばれるその人に出会う、その時までは。


 流れ着いた王国の、人が寄りつかない温室。

 稀有な魔力を持つ少女は、エルサリオンに興味を抱かせた。

 己の整った顔に視線が向いたのは一瞬の事で、距離を詰めようとする意思もないのかすぐに視線を逸らされる。

 話すように促す己の、勝手に動く口に酷く驚いた。


 これを、もっと知りたい。

 エルサリオンが初めて興味を抱いたのは、魔法を不得意とする哀れな存在だった。稀有な魔力に妖精も惹かれたのか、陰鬱な雰囲気を纏う少女の前に姿を現す。


 ────『ありがとうございます』


 あの日の声が、エルサリオンの耳に柔く残った。

 会う度に愛しさが込み上げる。言葉を交わすほどに、思いが募る。

 沈んでいた少女の顔が、己を見つけるとほっと安堵した表情に変わる。


 ヒトよりも優れた種族である俺ならば、

 社会的に立場のある俺ならば、

 この少女を苦しめる全てから守ってやれる。


 魔法と、現実を書き換える力。この二つがあれば大体のことができる。おまけに王国でもそれなりの地位を持っている。

 そんな己の伴侶となれば、少女を見る周囲の目は変わるだろう。


 エルサリオンは一歩を踏み出す事にした。

 満月の晩、妖精に芸を仕込み、己の美貌に磨きをかけ。

 俺を頼れ、逃げたいと言え。そう願いながら、少女の手を握った。


 ────『逃げるわけにはいかないの』


 ヴェリジア樹の花弁に包まれながら、悪魔のような甘い誘いを断った少女。それどころかエルサリオンの振る舞いに釘を刺し、ついに名前を口にした。


 リーシア・フォン・ド・ガルゼンティア。

 王家唯一の姫。


 公然と名乗る眼差しに、エルサリオンは初めて青ざめた。

 王家の威光なぞ、まるでどうでもよかった。


 現実が変わらない。

 願いが叶わない。

 全く初めての経験だった。


 欲しい

 何が何でも欲しい

 俺だけを願って欲しい

 俺がこんなに願っているのだから、それ以上に


 それは、想像を絶する渇望だった。

 望まれずとも必要とされてきたエルサリオンにとって、望んでいるのに必要とされない現実は未知の塊だった。


 会いたいと願うのに会えない。

 会う為に画策しても、ひらりと躱されてしまう。


 リーシアに纏わる噂を耳にする度に、叫びたい程の怒りに襲われるのに、誰も彼女を必要としていない現実に酷く安堵している己がいる。

 こんなにも浅ましい思考をしていたのかと己を恥じる傍ら、己の気持ちを弄ぶリーシアという存在に苛立ちが募る。


 会いたい、会えない。

 欲しいのに、手に入らない。

 必要としているのに、必要とされていない。


 エルサリオンはついに認めた。

 リーシアが欲しい。心も、何もかも。

 しかし、願っても手に入る代物ではない。

 ならば、向こうから転がり落ちるように画策するしかない。


 幸運の王女と嘲られるリーシアに、味方などいない。

 贈り物を敢えて侍女を経由して渡し、噂になるよう仕向けた。

 視察に訪れた彼女の隣に立ち、磨き上げられた己の顔に慈愛を持って微笑みを浮かべる。


 不愉快な令嬢を使った劇は、両手を叩きたくなる程に上手く運んだ。

 官僚を輩出する魔法学園の生徒はリーシアの婚約者にエルサリオンを望む。侍女たちも、魔法に優れた彼を拒む気配はない。己に知恵を乞うリーシアの姿は、抱き締めて閉じ込めたいほどにいじらしく、その耳元に囁きたくなるのを堪えるのに努力を必要としたほどだ。


 ────俺の隣に立つ事に引け目を覚える必要はない


 才能のなさを嘆くリーシアが頑なに距離を取るのは、愚かな人間なりの矜持と自信のなさによるもの。全てはやがてエルサリオンの思うままになるのだから、何も気にする事はない。

 悪意のない底抜けの慈しみだけが、彼の心の中にあった。


 結論から言えば、視察は大成功であった。

 リーシアの即位を望む世論の声は高まるばかりであり、それまで彼女の悪評を吹聴していた輩には白い眼差しが向けられるようになった。その配偶者の候補として上がる名前には、エルサリオンが必ずあった。

 願いの力を使わずとも外堀を埋めて仕舞えば、あとは転がり落ちるのを待つだけ。


 王の間に呼び出された時も、リーシアの婚約を打診されると確信して疑わなかった。

 確信は当たっていたが、想定外も発生した。

 令息、王家の影、そして騎士。他の三人も婚約者として名を呼ばれた。


 この世で最も優れた己が、塵芥と同列に扱われた。

 その事実は、エルサリオンの逆鱗に触れた。


 殺さねば。

 己の物に集る不快な害虫三匹、それと王冠を被る畜生二つ。


 願いの力を使うか?

 いや、次の満月はしばらく先。

 永い時を生きるエルサリオンにとって短いはずの周期が、耐え難い。


 いっそ魔法で、と思いかけたその時。

 婚約に反対するリーシアの声が聞こえた。


 己との婚約を反対したのかと殺意が込み上げたが、続く言葉に怒りが収まる。重婚が犯罪であると語り、慌てふためく姿。精神的に動揺すると手の動きに言葉を乗せようとする癖が出ていた。


 リーシアは王位に拘っている。

 だからこそ才能のなさを嘆き、報われない努力を重ねている。

 他の婚約者を始末し、視察での工作を盾に迫れば、あるいは。


 そんな淡い期待と妄想すら、あっさりと否定された。

 他ならぬリーシアの手によって。


 よりにもよって国王と妃に自白するという。

 王位さえ、捨てようとするリーシアを前にいよいよエルサリオンは焦りを覚えた。


 幻滅されたという絶望、頼みの綱だった脅迫さえ意味がなく、

 どう足掻いてもリーシアの心を射止められないと痛感した彼は、

 これまで誰にも話したことがない己の秘密を打ち明けた。

 そして、強く願った。


「全ては俺の思うまま」


 初代国王のみとされた封印の力に目覚め、傍若無人な令嬢をリーシア殿下が救う。血の儀式は王家の秘匿したものであり、リーシア以外に使い手がいない。慈悲深く、封印の力に目覚めた王女の即位を全ての民が願う。

 だが、リーシアにそんな力はない。

 それを知るのは、現実を書き換える力を持つ者だけ。


 王位でさえ彼女を縛る枷にできないのなら。

 これほど願うのに必要とされないなら。


 貴女が無能である事を知るのは俺だけ。

 貴女を真の意味で支えられるのは俺だけ。


 歪んでいる自覚はとうにあった。

 狂っていると自嘲する余裕はもうなかった。


 俺を必要として欲しい。

 俺が焦がれる以上に、酩酊するほどに。


「殿下、俺の全ては貴女の為にある」


 夜風に冷えた愛しい頬を撫で、エルサリオンは現実を書き換えた。

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