愛していなければ耐える必要は無いということですね!
とある下位の伯爵令嬢が、王太子殿下の婚約者の最有力候補になった。
その伯爵令嬢は伯爵家の中でも序列が低い家の出身だったが、非常に優秀な才女として有名だった。
王族に嫁ぐには、伯爵家はギリギリの爵位。その中でも序列の低さ故に、王太子殿下の婚約者候補に入れることに物議を醸したが、ハッキリ言って他の候補の令嬢……高位貴族の令嬢達の中でも群を抜いて優秀だった。
下位の伯爵令嬢を王太子殿下の婚約者候補に入れることで、他の候補である高位貴族令嬢達へと発破を掛けることを意図し、件の伯爵令嬢も候補の一員とした。
それは、ある意味成功で――――ある意味、失敗となった。
伯爵令嬢は、優秀過ぎた。
王太子妃候補として、婚約者候補となった令嬢達には日々様々な課題が課された。
高位貴族令嬢達の中で、下位の伯爵令嬢は淡々と課題をこなして一番の成績を修めた。
高位貴族令嬢達の面目は潰され、恥を掻かされたと伯爵令嬢へ陰湿な嫌がらせを始めるのに然程時間は掛からなかった。
伯爵令嬢は、それでも耐えた。そして、その令嬢の健気さに王太子殿下も絆され、彼女との距離が段々と縮まり――――やがて、彼女を特別扱いするようになって行った。
そんな中、本命となった伯爵令嬢が王太子の婚約者候補を降りると言い出した。
王太子殿下は、突然のことに狼狽。
国王陛下、並びに王妃殿下も驚きを隠せないご様子。一体なぜ、伯爵令嬢がいきなり婚約者候補を降りると言い出したのか調査せよとの命令が下された。
誰よりも淑女らしく、人柄も申し分なく、諸外国の地理や言語に精通し、政治的なバランス感覚も持ち合わせ、家格以外は次期王妃として不足無し。
そう称された伯爵令嬢へ、聞き取り調査をすることになったワケだが――――
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え? ああ、わたくしが王太子殿下の婚約者候補を降りた理由ですか?
もし、公爵令嬢や侯爵令嬢、並びにその家の方々がわたくしを害そうとしても、王室が守ってくださる、と?
なので、安心して王太子殿下の婚約者になってくれないか、と?
確かに、命の保障をして頂けるのはありがたいことですが……そういうことではありませんの。
王族へ嫁ぐことへの不安はなるべく減らす、ですか? 王太子殿下がそのようなことを……
わたくしを選ぶことは、誰からも文句を言わせない、と。そこまで仰ってくださるとは光栄ですわ。ですが……それは、王太子殿下のご婚約者となられる方へ仰ってあげてくださいませ。
え? それは、わたくしのこと? いえいえ、そのような……おそれ多いことですわ。
わたくしは、既に辞退した身ですもの。勿体ないことでございます。
え? 王太子殿下が、わたくしのことを諦め切れない、ですか……
そう仰られても……困りましたわね……
あれだけ厳しい王太子妃教育に耐えて来たのに、今ここで辞退するのは勿体ない? 折角、王太子殿下にも見染められているのに?
あら、そんなご冗談を……え? 冗談ではない?
え? 王太子殿下は、本気でわたくしを婚約者にするつもりだった、と?
それは……益々困りましたわねぇ。
嬉しくないのか、ですか?
えっと、その……これ、内緒にしてくださる? と、思いましたけど。まあ、別に聞かれて困るようなことでもありませんわね。
王太子妃教育のベテラン講師の方が仰っていたことですもの。
貴族間では、夢物語で……だからこそ、令嬢方の憧れなのだと思うのですけど。
本当に驚きましたわ。きっと、王宮では当然のことなのでしょうねぇ。なにが、ですか?
元々高位貴族令嬢方には、素地があってわたくしには無かったものですわ。この授業だけは、わたくしとても苦手で……大変苦労したものです。
え? そんなものがあるのか、ですか? 無論です。わたくしにも、苦手なことくらいありますわ。
その苦手な分野で王太子妃を辞退するというなら、その分野は王太子殿下が担うことで、わたくしを妃へ迎え入れる、と?
あらあら、それはまた随分な譲歩でございますこと。ですが……それは、できません。
そんなことを言わず、検討くらいはしてほしい?
いえ、苦手な分野というのは……貴族社会によくある毒殺。それを防ぐための授業ですわ。
ほら? 王族へ嫁ぐとなれば、暗殺は日常茶飯事だとお聞きしましたの。
え? 陰惨な歴史に嫌気が差したから辞退を申し出たのか、ですか?
いえ……ああ、でも、ある意味では、はいとなるのでしょうか?
煮え切らない返事? 申し訳ございません。
ですが……毒薬の授業は、暗殺を防ぐために。毒に耐性を付けるために、服毒せねばなりませんの。無論、最初は軽い毒薬から、と講師の方に言われて毒を飲んだのですけれど――――
それは、高位貴族令嬢仕様の軽い毒薬だったのですわ。彼女達は、元々国内外の王侯貴族へ嫁ぐことを視野へ入れて、お家の意向で幼少期からそのような教育を受けていらっしゃるのでしょう?
ほら? 皆様ご存知の通り、わたくしの実家はそんなに裕福ではありませんし。わたくし自身も高位貴族に嫁ぐ予定の教育は受けておりませんでしたもので。
お陰でわたくし、最初の授業の後に軽く死に掛けましたの。全く、これっぽっちも軽い症状では済まなかったのですわ。
それで、講師の方も慌てて……宮廷医をお呼びして頂いて、事無きを得ましたの。
死の危険を感じたから、王太子殿下の婚約者を辞退したのか、と?
ええ、それも一因ではありますわね。
他にも原因があるなら教えてほしい、ですか?
はあ、わかりました。
わたくしが毒で死に掛けた後、講師の方に言われたのです。「この程度の毒薬で死にそうになっていては困ります。王太子殿下のことを愛していらっしゃるのでしたら、これくらいのことには耐えてください。王太子殿下を愛しているのでしたら、耐えられるでしょう?」と。
他の高位貴族令嬢方が、十数年掛けて得た毒に対する耐性を、わたくしは最長でも三年以内に身に付けなければいけないのですって。
そのために、最初の授業で躓いていてはスケジュールが崩れてしまう、と。
更に言えば、短期間で毒への耐性を身に付ける過程の副作用として。身体を壊して、子ができなくなってしまう可能性もあるのですって。けれど、「王太子殿下のことを愛しているのなら、全て耐えられるでしょう?」と、そう言われましたわ。
王太子妃教育を担う方が、『愛があれば全て耐えられるでしょう?』だなんて、随分とロマンチックなことを仰るのねぇ……? と、酷く驚きましたわ。
そして、わたくしはその夢溢れるお言葉を頂いて、気付いたのです。『愛していなければ、耐える必要は無いのですね!』と。それで、その場で講師の方へ告げましたの。
「わたくし、王太子殿下のことは愛していないので耐えられませんわ」と。
講師の方は目を丸くして、「あなたは、毒の影響で正常な判断ができないのです。授業は、体調が戻るまでしばらくの間お休みにしますので、よくよく考えてください」と仰られて……
わたくし、その日から一週間程お休みを頂きましたの。
それで、よくよく考えましたわ。
わたくし、やっぱり王太子殿下を愛しておりませんの。死ぬように苦しい毒薬を飲んで、何度も何度も繰り返し飲んで耐性を得て、また別の毒薬を飲んで、耐え抜いて。子ができなくなってしまう体質になってまで……? いつか産むかもしれない我が子を抱けなくなってまでも……?
そんなに苦しみ抜いてまで、王太子殿下の婚約者に収まりたいとは思っていませんもの。
そもそも、わたくしは気付いておりましたの。王太子殿下の婚約者候補にわたくしが残ったのは、わたくしが優秀であることも、理由の一つではあるでしょうけど。主な理由は、高位貴族令嬢方へ発破を掛けるためなのでしょう? 身分の低い者に負けることは、あまり宜しくないですものね。
そのために、当て馬として下位の貧乏伯爵家からわたくしが選ばれた。
なので、わたくしは正しく当て馬の役目を……王太子殿下の婚約者候補となる際に頂いた仕度金の分、義務は十分に果たしたと思いますわ。
え? 本当に、王太子殿下のことを愛していないのか、ですか? あんなに仲睦まじくしていたのに?
王太子殿下……次代の国王陛下となられるお方に、無愛想に接することは失礼になりましょう? 政治についてのお話などは弾みましたけど、笑顔で対応するのは当然かと。
王太子殿下に、ここまでお気に掛けて頂いたこと、光栄に思います。ですが、下位の伯爵家の娘のことなど捨て置いてくださいませ。
どうしても決意は変わらないのか、ですか?
ええ、はい。無論ですわ。だってわたくし、死ぬような思いをしてまで王太子妃になりたいとは全く思っておりませんもの。
逆に、お聞きしたいくらいですわ。毒の影響で身体はボロボロになり、子を望めないかもしれない。寿命も短くなるでしょう。そんな女に、王妃が務まるとでも? 側妃にはなれるかもしれませんが――――
どうしてもと王太子殿下のご命令が下されるのであれば、王城へ召し上がりますが……
王族へと嫁ぐのです。暗殺、毒殺の危険性は常に付き纏う。わたくし、今回の件で毒に弱いと他の高位貴族令嬢方に知られておりますので、すぐに殺されてしまうことでしょう。
それでも宜しければ、王太子殿下の婚約者になって……死ねと、わたくしへ直接ご命令くださいませ。
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伯爵令嬢は、晴れやかにそう言って笑っていた。覚悟を決めた者特有の、揺るぎない態度で。
王城で噂されているような、王太子に溺愛されている、相思相愛の伯爵令嬢が身分差を理由に泣く泣く婚約者を辞退した……なんて、悲劇的で甘ったるいラブロマンスみたいな事実はなかった。
ぅっわ~……この調査結果、どうやって王太子殿下に伝えりゃいいんだよっ!?
「王太子殿下のことを愛してないので、王太子妃教育に耐えられません」……と言ってました! って、国王陛下と王妃殿下はご納得してくださると思うが。
王太子殿下は、ご自分と令嬢が相思相愛だと思ってるだろうからなぁ……
とりあえず、毒薬に弱い体質で毒耐性を獲得する前に死にそうだから王太子殿下の婚約者を辞退した、ってことにしとくか。
つか、多分王太子妃教育の講師が「愛しているなら耐えれるはず!」だとか余計なこと言ったのが原因だとは思うが……
間違ってはないけど。そもそもの愛情を持ってなかった相手には逆効果!
とは言え、王族の婚姻事情は綺麗事だけじゃ済まないからなぁ。覚悟が無くば、引き返せるうちに引き返すべきだ。
伯爵令嬢の方が、王太子殿下よりもそのことをよく判っていた、ということか。
まあ、王太子殿下。嫁取りガンバ! 多分、残った高位貴族令嬢の中には、王太子殿下のことを恋愛的に好きなお嬢様もいるはずだし? 多分なー。
その後、件の伯爵令嬢は、司書を目指して試験を受け、見事合格。
なんでも、婚約者候補になったのは王城の図書館に自由に出入りできるから、とのこと。
現在は国立図書館でイキイキと働いている。
――おしまい――
読んでくださり、ありがとうございました。
なんか、思い付いてしまったので……
伯爵令嬢ちゃんは別に王太子のこと好きとかじゃなくて、単純にめっちゃ優秀で勉強するのが好きな子。でも、優秀過ぎた。そして、立場が弱くて高位貴族令嬢の中では浮いた存在。
それが、「いつも自分に擦り寄って来るのとは違う……ハッ! この子が運命かっ!?」という感じに王太子が勝手に盛り上がっちゃった。で、優秀だから婚約者候補の最終選考に残って、しかも王太子が気に入っちゃったもんだから本命になってしまった。
でも、伯爵令嬢ちゃんは特に興味無し。「別に、命を懸けたり身体壊してまでの好意を王太子には持ってないしー? え? 命令なら嫁ぎますけど? あ、その場合わたしを殺すのは王太子殿下ですよね?」( ◜◡◝ )
と、サクッとお断りしました。
伯爵令嬢ちゃんは殿下のこと愛してませんでした! と、伝えなきゃいけない調査員(王太子の側近君)がちょっと大変かも。ꉂ(ˊᗜˋ*)
補足。毒耐性を身に付けるメリットとしては、即死しないことでしょうか。毒を飲んで即死しなければ、治療する時間ができる。治療をすれば、解毒できるかもしれないので生存確率が上がる。故に、毒への耐性は身に付けておいた方がいいという感じですね。
そして、毒耐性を身に付けるのは幼少期から微量ずつ始める方が、身体への負担が少ないのだとか。大人よりも子供の方が回復力が高く、免疫も獲得し易い。
伯爵令嬢ちゃんは、他の高位貴族令嬢達が十数年掛けて獲得した耐性を最長三年で獲得せねばならず、実際に服毒して「あ、無理だわ」と悟りました。
そして、毒耐性獲得になにより必需品は解毒薬です。毒と薬、医師や薬師をセットで揃えなければならないので、かなりの高額になると思います。なので、貧乏伯爵令嬢には無理な話だった……と。
王太子妃教育係の講師は、高位貴族令嬢ばかりを教えて来た人。例えるなら、運動や勉強ができる子ができない子に「なんでできないの?」だったり、アレルギー持ちの子に「なんでアレルギー起こすの?」とか、病気の子に「なんで病気なったの?」と聞くようなものでしょうか。
なにげに、できる人はできない人に対してはデリカシー無い言動をしがちですからね。ぶっちゃけ、『なんでこのくらいのこともできないの?』と他人に対して思ったことが一度も無い人って、非常に少ないと思うんですよね。
まあ、できねぇもんはできねぇから仕方ないんだよ! 自分の命が大事だから! と、開き直った伯爵令嬢ちゃんの話でした。(*>∀<*)
ちなみに、伯爵令嬢ちゃんが働いているのは、王城の図書館じゃなくて国立図書館の方なので、王太子と顔を合わせる確率はかなり低いです。
伯爵令嬢「本当は王城の禁書庫辺りに勤めたかったのですが、さすがに王太子殿下やそのご婚約者となる方と顔を合わせるのは色々とまずいですものね」ζ*'ヮ')ζ
『城へ召し上がります』について。『召される・召す』などが貴人に召喚されたり、雇われる。そして、いい意味(抜擢される的な?)でも悪い意味(奪われる)でも取り上げられるという意味があるので、伯爵令嬢ちゃんは『自分の意志ではなく、命令されたら城へ上がってお仕えしますよ』という意味で使っています。どうやら、古語っぽい使い方のようですね。知らんかった……(*ノω・*)テヘ
講師が無能とかロマン主義過ぎると言われていますが、王太子妃候補が複数いる場合、ふるい落とすのも講師の仕事。
しかも、ある意味では『王太子妃となるなら、これからは国のために生きて国のために死になさい』という洗脳教育を施す側なので、王太子の本命だと言われていた伯爵令嬢ちゃんから、「王太子のためには死にたくない」という本音を引き出した時点で、忖度無しで候補者をふるい落とすという仕事はしていると思います。
『愛が無いなら王族への嫁入りはやめとけ』と伯爵令嬢ちゃんに言ってる人なのか、『愛があれば全て耐えろ!』と言ってるやべぇ人なのかは、ご想像にお任せします。(*´ー`*)
外道なことを言うと、実は王室的には伯爵令嬢ちゃんが子供を産めなくなっても、残したいのは王族の血統なので構わない。
石女になったら、その責任を取るとして娶って、更に側妃を高位貴族令嬢から選んで子供を産んでもらえばいいと思ってる感じですかね。子供を産んだ側妃と王妃が途中で交代するのは、なくはないので。
なんだったら、妊娠出産しない分、優秀な妃をずっと働かせられる……的な? で、アレだったら高位貴族令嬢の産んだ子達の教育係とかさせたりとか? そういう感じなので、王家はどっちでも損をしない予定。
長編のドアマット王妃ものでこういう感じは偶に見る設定だと思うのですが……(´・ω・`)?
伯爵令嬢ちゃんだけが貧乏くじ。なので、やってられんわー。と、一抜けしたのは正解。
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