まっぴら御免
跳躍しようと足に力を入れたところ床がえぐれてひび割れたが、余は気にせずにその場を蹴り飛んだ。
同時に衝撃音が室内に轟く。
ひっくり返っているクラウスの衿を右手、ジャスネの衿を左で掴むと余は顔を寄せて凄んだ。
「だいたい、余が祝福の勇者素質五等級じゃなかったらどうするつもりだったのにゃ」
「い、いや、それは、その。だから、事前に調べたではないか」
クラウスが決まりが悪そうな表情を浮かべた。
だが、その答えは余を更に苛立たせ、眉間に余計に力が入る。
「許可も無く、説明も無く、勝手にだけどにゃ」
「う……」
強い口調で言い返すとクラウスは目を泳がせた。
「落ち着きなさい。ミオ殿、そもそも陛下にこのような無礼を働いてはいけませんぞ」
ジャスネが優しく諭すように言ってきたが、余は「にゃんだと?」と首を捻った。
「それこそ、そもそも話だにゃ。素質等級は調べる方法は限られていて、かつ本人の同意なしに勝手に調べることはならない。そして、そう定めたのはアレクダリア王国、つまり王自ら定めた決まり破ったわけだにゃ。これをどう説明するにゃ」
生まれ持った素質こと『素質等級』は、いくつか調べる方法があるらしい。
しかし、高い素質等級を持つ親からは高い素質を持つ子供が生まれやすいことから、差別や人身売買を助長してしまう恐れがあるとか何とか。
何にしても、本人の了承なしに生まれ持った素質等級を調べることはアレクダリア王国の決まりで禁止されているのだ。
「言わんとしてることはわかります。しかし、時と場合というものがあるでしょう。魔王が復活すれば、また戦乱の世になってしまうんですよ。だから、勇者と初代王の遺言を守ってきたのです」
ジャスネは必死に捲し立てて反論するが、やっぱり気に食わない。
「じゃあ、言わせてもらうにゃ。その魔王とやらが確実に復活する、もしくは復活したという証拠はあるのかにゃ」
「い、いや。それは……」
余が睨みを利かせると、ジャスネの歯切れが悪くなる。
クラウスを見やれば、決まりが悪そうに目を剃らした。
こいつら、根拠も薄いのに余を魔王退治の旅に出そうとしていたのか。
今でさえ、前世家ネコの生活とほど遠い状況を我慢しながら生活しているというのに。
嘘つきリシスへの怒りを相まって、魔王退治なんぞ絶対するものかという強い意志が自身の中にふつふつと煮えたぎり、膨れ上がっていく。
「決めたにゃ」
掴んでいた二人の衿をぱっと離すと、クラウスとジャスネはその場で尻餅をついてきょとんと余を見上げた。
「き、決めたとは?」
クラウスの問い掛けに、余は白い八重歯を見せて微笑んだ。
「余は絶対、魔王討伐の旅なんかには出ないのにゃ」
「な……⁉ それは困る。魔王が復活すればミオの信条も貫くこくができなくなるかもしれんのだぞ」
ジャスネが目を丸くして慌てた様子で発するが、余は頭を振った。
「その魔王が本当に現れたら、余もその時は対処するにゃ。もし、それでも魔王討伐に行けと言うなら余にも考えがあるにゃ」
「考えだと?」
二人が顔を見合わせると、余は真顔で凄んだ。
「余はこの国を捨てて、他国か山の中か。何処でも好き勝手にやらせてもらうのにゃ」
母様、父様、ギルバート、家にいる下僕達。
皆と別れるのは寂しいが、家族の下を子が離れるのは本来であれば当然のこと。
それに少し癪だが『祝福の勇者(眠子)素質五等級』による力があれば、ある程度の自給自足は可能だ。
案外そっちの方が今よりは『家ネコ』に近い自由な生活が送れるかもしれない。
「ちょ、ちょっと待ってくれ」
クラウスは思案顔を浮かべると何やら唸りだした。
「あ、そうそう。父様やギルバートを余の代わりしても、この国から出て行くからにゃ」
「ぬ……」
先に言われたと言わんばかりにクラウスが顔を顰めた。
「というか、グレンに王国軍を引き連れて魔王討伐に行かせればいいにゃ。あいつ、こういうこと好きそうだしにゃ」
国やら世界の命運を、余みたいな幼気な少女に任せること自体がおかしいのである。
それに男、雄である以上は親の持つ縄張りで威張るんじゃなく、自身の縄張りをどこかで勝ち取るべきだ。
余が呆れ顔で肩をすくめると、「そういうわけにはいかんのだ」とクラウスが深いため息を吐いた。
「グレンの素質も事前に調べておるが、武術関係は剣術素質三等級に過ぎん。伝承通りの強さであれば、魔王相手にはとても太刀打ちできんだろう。みすみす我が子を、次期王となる者を死地に送るようなことはできん」
「ほう……」
余は相槌を打つが、心の底から苛立った。
我が子を死地に送るようなことはできない。
そうは言いつつも、高い素質がある余のことは使命だとか、運命だと言って魔王討伐の旅に出ろと宣ったわけである。失言にも程があるだろう。
「なら余は高い素質を持っているから良いというのかにゃ。その考え、ますます気に入らないにゃ」
「あ、いや、今のは失言だったな。すまん」
睨み付けると、クラウスはハッとして会釈する。
そして、彼は顔を上げると「止むを得まい」とため息を吐いた。
「ミオ。貴殿を含め誰にも魔王討伐の旅に出よ、とはもう言わぬ。その代わり、魔王復活が確実となった時にはその力でこの国を、世界を守るため戦ってほしい」
「陛下、よろしいのですか」
ジャスネが目を丸くするが、クラウスは「うむ」と頷いた。
「最初に礼儀を欠いたのは我等だ。王が決まりを守れと言っておきながら、王自らが決まりを破っていてはな。ミオが憤るのも無理はあるまいて」
「し、しかし……」
クラウスは立ち上がりながらジャスネに掌を向け、発言を制止する。
「どうだろうか、ミオ。魔王復活が確実となった時、立ち上がってくれるかな」
余は「ふむ……」と腕を組んで目を瞑った。
魔王という奴がどんな存在かいまいちわからないが、ルルクラージェ家のご先祖様が何とか封印した相手だという。
ちなみにルルクラージェ家に伝わる話では、勇者ルルクラージェがリシスから与えられた素質は『勇者素質五等級』だったそうだ。
それだけの力を持ったご先祖様が倒せず、封印しかできなかったとなれば、相当な強さを持つ相手であることは間違いない。
クラウスの言うとおり、グレンや王国軍では太刀打ちできない可能性は高いだろう。
おそらく、父様やギルでも厳しいと思われる。
まぁ、余が本気を出せば大したことはないはずだ。
何故なら、余は『祝福の勇者(眠子)素質五等級』で、すでにご先祖様を越えているからである。
それに父様、母様、ギルは勿論だが、余の世話をする下僕達を守るのは主としての役目だし、魔王討伐の旅に出ろと言われない限りは今の生活も維持できるはず。
余は一通り考えを巡らせると、腕を解いてゆっくりと目を開けた。
「わかったのにゃ」
「おぉ、それは有り難い」
クラウスとジャスネが喜ぶが、余は「ただし……」と凄んだ。
「魔王復活が確実となったとしても、向こうから攻めてこない限り余は動かないのにゃ」
「それでも構わん。魔王が攻めてきた時、ミオが立ち上がってくれるならな」
「最初と違って、今度は話がわかるのにゃ」
余はクラウスの言葉に満足し、白い八重歯を見せて微笑んだ。
「あ、でも、今日の件はここだけの秘密にゃ。もし、父様、母様、ギルに知らせたらただじゃ済ませないのにゃ」
「わかった、そのようにしよう。ジャスネ、お前もこの件は誰にも言ってはならんぞ」
「承知しました」
二人が畏まった様子で頷くと、胸が少しすっとした。
余が目指すのは前世家ネコと同等の生活である。
決して、リシスの嘘や彼等の目論見に躍らされるつもりはない。
余は、余の『縄張り』を守るだけ。
魔王討伐の旅なんて、まっぴら御免だにゃ。
「これで話は終わりかにゃ。それなら余は帰るのにゃ」
「うむ。急に呼び立てして悪かったな」
クラウスは最初と打って変わり、話がすぐに通じた。
どうやら、余が怒ったのがよっぽど堪えたらしい。
だが、何事も舐められるよりは、恐れられた方がいいのにゃ。
「じゃあ。またにゃ~」
踵を返して歩き始めると、怒って力を使ったせいか強い眠気に襲われる。
余は口に手を当てて欠伸をし、背伸びをしながらそのまま玉座を出ていった。
◇
ミオが気だるそうに玉座の間を出て行き扉が閉まると、クラウスとジャスネは「はぁ……」と深いため息を吐いてその場に座り込んだ。
二人の顔には疲れと、緊張から解放されたような安堵が浮かんでいた。
「陛下、ミオ殿の件。本当によろしいのですか」
ジャスネが恐る恐る尋ねると、クラウスは眉をぴくりとさせた。
「……良くはない。しかし、祝福の勇者五等級ともなると、その気になれば大国すらも滅ぼせるだろう。おそらく、唯一魔王に対抗できる力だ。妥協するしかあるまい。それに魔王が復活して攻めてきた際には、ミオも動くと言ってくれたのだ。今は、これで良かろう」
「そうですな。あ、しかし、冒険者ギルドに各国から集めた腕自慢の者達は如何しましょう」
思い出したようにジャスネがハッとした。
二人は何の脈絡もの無く、ミオに冒険者ギルドに行けと告げたわけではない。
この日に備え、国中の名のある冒険者達をギルドに集まるよう秘密裏に王命を出していた。
当初の予定では、ミオが旅立つ前に立ち寄って必要な仲間を選別するはずだったのだ。
しかし、ミオが旅を出ることを拒否した現状では、有能な冒険者を王都に集結させた意味も無くなってしまった。
「そうか、そっちもあったな。まぁ、彼等にはいくらかの金子を渡して故郷や元の活動地に帰ってもらおう。それが無理なら、自らミオに自身を売り込むように告げよ」
「畏まりました」
クラウスがそう告げると、ジャスネは一礼する。
実はこの時、王都から遠く離れたアレクダリア王国の国境地点に怪しい集団が徐々に近づきつつあった。
そのことを当然、クラウスやジャスネはおろか誰も気づける訳もない。
しかし、たった一人だけ、その気配を王都にいながら敏感に感じ取っていた人物がいた。