【第8夜③ ~美しき婚約者と美しき思い出~】
私とエルフィー皇子は、王宮中庭の、噴水の中央にあるガゼボまで歩く。夏のさわやかな風に吹かれ、凱の顔を見て沈んでいた心も、少し晴れたような気分になる。
「姫。ほんとに美しくなられましたね。」
エルフィー皇子は、ここに来るまでずっと私の手を取り、足元の段差など細かく気遣い、スマートで完璧なエスコートを嫌味なく自然にこなす。こんな、非の打ちどころのない人がいるものかと私は感心しながら彼の隣を歩く。
そんな彼との甘く、美しい時間に私は今、爆弾を投下しようとしていた。正直さと真面目だけが売りである私にとって嘘をつくことは信条に反する。先ほどまでのわずかなやり取りの中にも、私をこの上なく慕うエルフィー皇子の思いを感じ、そんな彼を欺くことは出来ないと、非礼は承知で…、導火線に火をつける。
「皇子…。ごめんなさい。本当に申し上げにくいのですが…、私たち、お会いしたことがありましたでしょうか?大変失礼な事だと分かっております。でも、覚えていないのに、覚えているふりは出来ませんし、何よりもそれが一番皇子に対して失礼かと思い…。」私の記憶をたどっても、会った覚えがないことから、非礼をお詫びしようと頭を下げると、エルフィー皇子は一瞬ためらって、でも堪えきれなかったのか笑いながら、
「ハハハハハ。思った通りに実直なお人だ。私の目に間違いはなかった。」と言って一呼吸置くと、
「頭を上げてください、姫。覚えていらっしゃらないのも無理はありません。なぜなら…、遠い過去に私がこちらの中庭で、たまたまあなたをお見掛けしただけなのですから。
あなたの奏でる歌声に鳥がさえずり、色とりどりの蝶が楽しそうに舞い、その中を、爽やかな澄んだ初夏の風が吹き抜けて…、それはそれは幸せな、美しさに溢れた空気が流れていました。そして、まだ11歳のあなたの麗しく、美しい有様が、私の心を魅了しました。あなたはその後、侍女たちに見つからないよう、楽しそうに隠れ場所を探していました…、その姿は本当に愛らしく微笑ましいものでした。
その時です。私とぶつかったあなたは、私の胸に一輪の紫のバラをさして、『秘密にしてくださいね』と微笑みながら告げて、庭園の奥のほうに行ってしまわれた。その当時14歳の私の心は、それからというもの、あなたに奪われてしまったんです。」そう言って、その時と同じ紫色のバラを私に差し出してにこっと笑い、
「そして、今、正直に覚えていないとお話しくださったその誠実な心。さらにあなたの魅力の虜になってしまいました。」
あまりに美しい思い出と、その美しい口もとから奏でられる、滑らかに発せられる言葉たちに、皇子の思い人は、がさつでお転婆と言われる私のはずはないと確信を得ながらも、
「そうでしたか…。そんな風におっしゃっていただいて…。私はなんて幸せ者でしょう。失礼な私をどうかお許しください。」というと、皇子は再び笑顔で返す。
「私はあの日から…、あなたを思い続けてきました。あなたが許してくださるなら、今すぐにでも、私と結婚していただきたい。」まさかの直球プロポーズに一瞬怯むも、
「そっ、そのようなお言葉、もったいない限りでございますわ。そして…、心からそのお気持ちをうれしく思います。…ただあまりに突然のことで…。心が皇子のお言葉でいっぱいで…。ちゃんとしたご返答が…。」と言うと、にこっとほほ笑み、跪きながら、
「もちろんです。いつまでもお待ちしております。このように早急に事を進めようとしてしまったこと、心からお詫びいたします。ただ、この日を…。」ここまで言うと、皇子は感極まった様子で一呼吸置いてから、
「ずっと待ち望んでいました。」と、その美しい瞳で私を見上げながら、自分の胸に手を当てる。私への愛で溢れる気持ちを抑えきれない皇子のその様子に、失恋で傷ついた私の心は、皇子の思い違いであるとは分かっていても、温かく満たされていくのを感じる。私は皇子の手を取り、立ちあがるように促す。すると、皇子は立ち上がり、その流れで私を抱きしめる。
「夢のようです。あなたとこうしていることが…。」皇子の胸の鼓動の速さで、私への思いの強さを感じる。私はしばらく目を閉じ、その温かさに包まれることを選んだ。
「皇子…。」ここ最近のごちゃまぜになったいろんな感情が、少しずつ晴れていくような心地よさを感じ、その身をゆだねる。どれほどの時間がたったのだろうか、皇子はゆっくり腕をほどくと、
「このまま私はあなたをジークまで連れ帰ってしまいそうです。」と、少し照れながら私の額にキスをして、
「花の妖精たちが、日の入り前にいたずらを始める時間ですね。美しい姫に嫉妬して、あなたを花の中に閉じ込めようとするかもしれない。その前に戻りましょうか。」と優しくほほ笑んで、また私の手を取る。私はその言葉に顔を真っ赤にして、
「皇子、ご冗談はおやめください。」と言うと、
「冗談なんかではありませんよ。」と微笑みながら、私の手を取り王宮まで導いてくれた。