【忍び寄る魔の手~現実までも…拉致事件発生の怪】
長い夢を見ていたような気がする。久々に自分のベッドで目覚める感覚。しかし、目覚めてすぐに、今、自分はどの世界にいるのか、辺りを見回す習慣がついてしまった。一周見回し自分の部屋であることを確認した私は、胸をなでおろす。
『よかった。夢の中じゃない…。』
すると、いつもの凱の挨拶が聞える。
【コンコン】
窓を開けようとして重大なことに気づく。そういえば…、莉奈との日曜事件で気まずいままだった…と。
「おはよう。」何となく凱に目を合わせられずにいると、その様子に何を思ったか凱は、
「おはよう。莉羽。」と言って、私の顔を両手で挟み、無理やり目を合わせようとする。
「何すんのよ。」と、顔を挟まれたせいで、おちょぼ口になったまま訴える私の顔を見て、凱はクククと笑いながら、
「挨拶は目を見て…だろ?」と言って、まだ笑っていたが、急に真顔になって、
「それに…。俺は何回も『俺を信じろ』って言ってる。」私は凱の手を払って、
「…。」意味が分からず、何も言い返せない。
そんな私に凱は、
「莉奈さん、今は大丈夫?」突然話題を変え、よりによって莉奈の話をしてくる。私はちょっとむっとして、
「え?何で私に聞くの?」自分でも、めちゃめちゃ嫌な返しだなと性格の悪さを感じるが、凱は全く気にならないようで、普通に返答する。
「莉奈さん、日曜に俺と出かけてる間に倒れて…そのまま…。って、お前知らないのか?」凱の言葉に驚き、カレンダーを見ながら、
「えっ?何?全然知らない。って今日は、えっ?火曜?なんで私知らないの?ちょっとお母さんに聞いてくる。」といって階段をかけおりる。
『凱と莉奈が出かけたのは、日曜。昨日の記憶も無いし…、どういう事?』
この状況についていけない焦りで転びそうになりながらリビングに入ると、母がテレビを見ている。
「ねえ、莉奈って…。」
「莉羽、起きたのね。…今回はちょっと長引きそう…大学も順調に通えてたし、大丈夫かなって思った矢先に…。」母は看病疲れか顔色が悪い。
「倒れてからまだ目を覚ましてないの?」
「ええ…。ただ、うなされながら、凱の名前を何度も呼んで…。だから凱も遅くまで莉奈の傍にいてくれたの。」
玄関でガチャと音がして、単身赴任中の父が、莉奈の病状の急変を受けて久々に帰ってくる。
「おお、莉羽。ただいま。元気にしてたか?」ソファに鞄を下ろし、上着を脱ぎながら、私の顔を見るその表情が少しやつれているように見える。
父、響夜は何年か前から仕事で異動になり、地方に単身赴任をしている会社員で、月に一度程度返ってくるが、忙しかったのか、今回は久々に帰ってきた。
「お父さん、おかえりなさい。帰って来たんだ。」
「ああ、母さんから莉奈が倒れたって連絡もらって、仕事の引継ぎしてからすぐに。」
「お前は、大丈夫か?お前も体調崩して寝てるって聞いてたけど…。」
「うん。私は、大丈夫元気だけど…。」
「そうか…。お前だけでも元気でいてくれないと…。うちはみんなが参ってしまう…。」そう言って母の肩に手を置き、母を労わる父。
「お父さん…。」2人の深刻な様子に、莉奈の病状が芳しくないのだろうと見て取った。
「ところで、電話でお母さんから聞いたんだけど…。莉奈が最近、急に凱君と一緒にいたがるようになったんだって?莉羽は、莉奈の気持ちに気づいていたのか?」私は父の予想外の質問に焦る。
「確かにここ数日前から突然、凱の近くにいたいって感じはあったかな。それまで凱とほとんど話もしてなかったし、急にどうしたんだろうとは思ってたんだけど…。」私は感じたままを答える。
「そうか…。それでな、莉羽。母さんとも話したんだけど…、莉奈は昨日から、何回もうなされながら凱君の名前を呼び続けてる。もしお前が嫌じゃなかったら、凱君に傍についていてほしいと思ってるんだ。その…、なんだ…、【お前の気持ち】もあるだろう?無理強いをするつもりはない。でも、もし莉羽にその気持ちがないのなら、凱君にできるだけ、莉奈の傍にいてほしいとお願いしようと…。」ここまで言うと父は涙ぐんで、
「今まで何とか踏ん張ってきた莉奈だけど…、医者の話ではそう長くはないだろうって…。だから…、あの子の望むようにしてあげたいんだ…。急な話なんだが、あの子にはもう時間が…。」言い終わる前に、大粒の涙をこぼす父の姿を見て、私はその場に倒れそうになる。頭の中がぐるぐる回って整理がつかない。言葉に出そうとしても、何と言ったらいいのかわからない。
莉奈がまだ3歳の時、生まれたばかりの私の小さな手を握って泣いて喜んだという。あまりに私の事が可愛くて仕方なかったようで、おむつ交換からミルクの準備の手伝い、私のお世話を進んでやってくれていたと母から聞いた。私が大きくなって遊び相手になると、どこにでも私を連れて行き、
「この子、私の妹なの。可愛いでしょ?」と言って回り、近所では愛くるしい姉妹として可愛がられ、愛されていた。
その生活が崩れたのは、莉奈が7歳の時。突然、原因不明の病気で倒れてからだった。それから1年に4回ほどのペースで入退院を繰り返し、発病してから3年後に病状が悪化すると、この病気が命に関わるものだと宣告された。それ以降、あまり一緒に遊ぶこともできず、莉奈は外部との接触を極力控えるようになった。そのため莉奈は、生活の主体が病院になり、たまに帰ってくることがあっても、私はまともに莉奈と話すこともできなかった。
ところが、莉奈が中学卒業あたりから少しずつ回復し、大学に行きたいと、病院で勉強できるようになり、家族は莉奈の未来に光を感じることが出来るようになった。そして晴れて大学に入ると、あんなに病弱だったのが嘘のように回復し、通常の社会生活を送れるようになっていた。我が家はこの状況に安堵し、それまで触れることのできなかった、莉奈の将来についての話も出来るようになったのだが、その矢先、今回再び倒れ、余命について言及された。
この事態を家族の誰1人として想像していなかったため、今回のショックは耐えがたいものがあった。私に関して言えば、凱への気持ちに気づいた直後に、莉奈の余命の宣告、両親からの提案が、それに追い打ちをかけていた。
父からの提案は、余命宣告されている莉奈のためとはいえ、初恋の私にはあまりに苦しいものであることは言うまでもない。でもこの時の私には、こう答える以外に選択肢はなかった。
「凱のことは、大丈夫。特別な感情はないよ…。だから、莉奈の傍にいてあげるようにお母さんから凱に伝えて。」
私はそれだけ言い残し、足早に階段を上がる。今にもはち切れそうな心を両親に悟られないように、溢れ出そうな涙を見られないように、私はいつになく重苦しい体に鞭を打って、階段を上がるため、何とか足を上げる。するとショックのあまり今まで聞こえていなかったテレビの音声が、すっきり耳の中に入ってくる。
『先週より頻発しています拉致事件の新たな被害者が、累計で1500人を超えました。この事件は、目撃者のいないケースと、目の前で突如消えるというケースが報告されていますが、本日、大洋テレビでは、別の事件の取材中に、取材対象が突如消えるという衝撃的な映像を撮影しました。その映像がこちらです…。』
そうアナウンサーが伝えた直後、私は息を飲み画面にくぎ付けになるが、画面が突如乱れ、アナウンサーの焦る声が聞こえる。
『申し訳ございません。画像が突如、乱れ始めました。先ほどまで残されていた映像が、たった今…えっ?消された?どういうこと?えっ?音声?』
その状況にアナウンサーは動揺しつつも、冷静さを保とうと真顔に戻し、
『大変失礼いたしました。先ほど放送する予定でした映像が、消去されるという事態が起きました。繰り返しお伝えします。ここ連日起きております原因不明の大量拉致事件について、本日、その現場の撮影に成功しましたが、映像が突如消去される事態が起きてお…』
ニュースを途中まで聞いた私は無意識に呟いていた。
「何…これ…。」