【第7夜 後半⑤~魔導書紛失~】
待ちに待った魔法省からの報告書を持った団員が、私たちに最悪な悲報を知らせる。
『メルゼブルク全域の家庭から魔導書が消えた』と。
「そうか…。」悔しそうにつぶやくクラウディス。
「遅かった…。」私はこのメルゼブルクでも拉致事件が起きていると聞いてすぐに、魔導書に考えが及ばなかった自分を悔やむ。
「敵は何を目的としているのだ…。」声を荒らげるクラウディス。私は彼の肩に手を置き、
「焦らないでクラウディス。私たちは私たちのできることをするしかないから。」そう言うとクラウディスは私の手に自分の手を重ね、
「そうだね、莉羽。ありがとう。」
冷静さを失っていた自分を恥じるクラウディス。
通常だと、ここでクラウディスが調子に乗って私の手にキスしてきたり、ハグしてきたりするのだが、この緊急事態では、さすがにクラウディスも真剣な表情で考え込んでいる。皆が今後の対応を考えていると、
「姉さま、事は急を要します。私の能力でこの部屋にいる者だけでも王都に戻したほうがいいのでは?」と今回の修業で、少人数の転移魔法を会得した莉奈が提案してくる。それに対してクラウディスは、
「今はお前の体が心配だ、莉奈。そんな負担のかかることはさせられない。」と、きっぱり断る。
「王都には父がいる。それに魔法省最高責任者であるお前たちの父親もいる。私たちが帰還するまで対処してくれるはずだ。」と言い切って前を向く。莉奈は、ようやく役に立てると思っていただけにがっかりしたようで頭を垂れ、
「出過ぎた真似を…。申し訳ございません。」と呟く。
「謝罪の必要はない。お前が出る必要はないと言っただけだ。」クラウディスの莉奈へのあたりが強い。この2人の関係も以前から疑念を抱いていた。昔は仲が良かったはずなのに、この冷たい感じは何だろう?…と。
再び馬を走らせる私たち一行。すると前を走っていたはずのクラウディスが私と並走して突然、
「莉羽。俺たち、もうそろそろ結婚しよう。」
私は突然のプロポーズに驚いて、
「へ?どうしたんです???」と、あまりに驚きすぎて、変な声で聞き返す。すると真面目な表情で、
「ずっと考えていたことだよ。君が16になったらって…。」そう言うと、近くにいた者たちが気を利かせて、その場から離れていく。離れてほしくなかった凱までも、気づいたらいなくなっていた。私はどう返事をすべきか。ここをうまく乗り切る返事とは…。考えてわかるはずもない。だって、私は恋愛経験0なんだから…。泣きそうだ、どうしよう…。と困惑していると、サイドからまた伝令の馬が近寄ってくる。私は、
「クラウディス様、伝令が…。」というと、クラウディスは舌打ちをして、
「こんな時にか…。」と唇を噛む。
「どうした?」
「莉羽様の父上であらせられる、魔王省最高責任者が…。」
「父上が?」私は思わず声をあげる。鼓動が徐々に早くなっているのを感じる。次の瞬間、団員は予想だにしなかった言葉を発する。
「急逝されました…。」
「…。」その報告で、私は持っている手綱を離しそうになる。目の前が真っ白になり、気を失っていくのが何となくわかった。
『父上が…父上が…。』そのあとのことは全く覚えていない。
気づいた時はすでに王宮内にある我が家のベッドの上だった。目を覚ますと、傍にいるのが凱であることに安心する私。手を伸ばし凱の手を求める。しかし、背中と肩、頭に激痛が走り、うまく手をあげられない。凱はその手を両手で包み込み、
「莉羽…、大丈夫か?」と私の心と体を気遣う。
「私…。」そう言って目を閉じる私に、
「気を失って落馬したんだ。俺が隣にいながら…」
「そうだったんだ…、気を失って…。凱は莉奈を乗せてたんだもの…。私自身が弱いから、また凱に謝らせちゃったね…。もう…なんか、疲れちゃった…。」私は徐々に涙がこみあげてくるのを感じる。
「お前が頑張ってるのはみんなも分かってる。いろいろなことが起きすぎて…、俺だって頭が整理つかない状況だから…、不安なのはお前だけじゃない。そんなんで、自分が弱いとか情けないとか思わないでほしい。俺がちゃんと見てるし、フォローするから…。だから、今のお前に…、いろんなことをあきらめてほしくない。心も体も弱っているお前に…、酷な事を言っているのは分かってる。でも…、すまない…。」凱はうつむきながらも熱を帯びた口調で話す。それに対して、私は弱々しい声しか出すことができず、
「凱。私、自分がこんなに弱いなんて思ってもなかった…。たいていのことは何とか乗り越えていけると思ってた…。でも違ったみたい。夢の中の事ってわかってるんだけど、みんなと過ごした時間が私には貴重で…特にお父様がこんな事になるなんて…。だから苦しいの…。ちょっとだけ泣かせて…。お願い…。」話し終えて泣き崩れる私に、全てを悟った凱は、
「わかった、お前の気が済むまで…。俺はここにいるから…。安心しろ。」
「…。」声に出せず、こくんと頷くと包むような笑顔で私を支える凱。
静まり返る真夜中の王宮の一室、私のすすり泣く声だけが響く。凱は私をずっと抱きしめ、私はその胸の温かさに埋もれながら、予期せぬ事態の連続に、混乱する頭と心を1つずつ整理していく。
どれくらいたったのだろうか。私が顔を上げると凱も私を見て、
「落ち着いた?」と尋ねる。その低く響く声に、私は心地よさを感じる。
「うん。今までこうしてくれていたんだね。ありがとう。」と改めて顔を見ると、あまりの顔の近さに恥ずかしくなり、私は慌てて体を起こそうとする。その体を押さえて、
「もう少しこのままでいよう。」と微笑む凱。このシチュエーション…、前にもあったなと思いながらも私は真っ赤な顔で、
「誰か来たらどうするの?」と聞く。皇太子の婚約者である私が不貞を働いたとなったら、それこそ大問題。
「ん?面会謝絶って言ってあるし、莉奈は戻ってきてすぐに体調を崩して、今は王宮医師団が心療魔法で対応してる。だから、ここには来れない。クラウディスは魔法省の今後について、国王と話をしていたし、何より今は真夜中。ここには誰にも来ないはず。それに話したいこともあったし…。」
「そうなんだ…。莉奈もお父様の件で相当ショックを受けてるものね…。」
「おやじさんの事はもちろん、初めての実戦で心労が重なったから…。莉羽と同様、報告を聞いてからだいぶ参っていた様子だったけれど、王宮に帰ってから倒れて、まだ目覚めていないようだ。」
「そう…莉奈も…。」私はしばらく考えてから続ける。
「それで話したいことって、何?」凱は神妙な面持ちで話し始める。
「魔導書紛失の件だけど…。実は、王宮が管理してる本物の魔導書は俺が持ってる。ここを出る前に、もしものことがあったらと考えてすり替えた。でもさっき、こっそり確認しに行ったらその偽物はしっかり魔法錠のケースの中に保管されていたよ。でも…、紛失したと公言しているのは…。」
「えっ?どういうこと?」私は全く事態が飲み込めない。
「はは。どこにスパイがいるか分からないから、ヴァイマールに向かう前に、本物は自分の部屋に隠した。保管所に置いてあったのは偽物。でも、報告によると王宮保管の魔導書が、実際はあるのに紛失したってことになってる。それが偽物とわかるのは、2階級以上の能力者だけ…。この国には2階級以上の魔法使いっていうのはごく少数。偽物と公言したのは相当な力の持ち主だ。」
「2階級以上っていったら…、国王、お父様、クラウディス、凱、私くらいでしょ?それ以上なんて強敵じゃない?っていうか、そんな人、そもそも存在するの?」
「ああ。そういう事…、もしくはその中の誰かだな。」
「でも、あえて偽物とわかってますよってアピールしてるって…、目的は何?」
「俺に対する牽制だろう。全てお見通しだから、もうこれ以上動くなってことだと思う。」
「そんな…。敵は何でもお見通しってわけ?」
「ああ。でも、それなりに対応はしてるし、罠も仕掛けてあるから安心しろ。」
「罠?」
「そう、抜け目ないんだよ、俺。」どや顔で笑う。
「それと…。」と凱が言いかけたところで、
「お父様の死因ね?」
「ああ…。実はさっきここに来る前に、おやじさんに最後の挨拶をしてきた。眠ってるように綺麗で、外傷はない。死因は?と宮廷医師に聞いたら、心臓にもともと疾患があって、それが悪化したっていうんだが…。お前、おやじさんから心臓に何かあるって、聞いたことあるか?」
「知らない。そんな話初めて聞いた。」
「だよな。それで、まだ生きてるように血色も良いおやじさんの遺体に違和感があって、手を握ろうとしたら、それを焦ったように「やめろ」と急に医師の一人が止めてきた。これは何かあるなと思って、医師から見えないように足をちょっと触ったら…。死後3日も経ってるのに温かかったんだ…。」私は驚きで顔が引きつる。
「どういうこと?」
「わからない。でも、確かにおやじさんの心臓は止まってるんだけど、彼の意思は感じるんだ。おやじさんの魂はまだこの世に存在してる。しかも、この国では花葬が主流なのに、結晶内永眠魔法で肉体を今の状態のまま残すって話だ。どう考えてもおかしいだろ?」
「どういうこと?お父様をどうしようっていうの?誰がそうするよう指示を出したの?この世界で何が起ころうとしてるの?ねえ、凱。一体何なの?」恐怖に震える私を再び強く抱きしめる凱。




