【父と母~あなたしかいない~】
その日の夕刻、病院の屋上に、父響夜が母莉月を呼び出した。父の回復を喜ぶ一方で、都市部に戻る父とはもう二度と会えないことを、何とか理解しようとするが、感情は許さず、作り笑顔で声を少し震わせた母は、胸に手を当て気持ちを落ち着かせながら話し始める。
「明日、退院ですね、響夜さん。長い間、本当によく頑張りましたね…。」
それ以上言葉が出ない。しばし沈黙が、2人の間を流れる。
「ここまで頑張れたのも莉月さんのおかげですよ…。」一方の父も全く同じ思いだった。
入院の間に気付いた母への気持ちを、何度も打ち明けたいと思ったが、この関係の心地よさを、もし万が一でも壊す可能性があるのなら…、胸にしまっておいた方がいいのではないか。そう自問自答する日々を送り、この日まで持ち越してしまったのだ。父もその後の言葉に詰まる。
「いいえ、リハビリが始まってからの響夜さんの努力は、誰にもできることではありませんよ。精神力の勝利です…。」母は引きつった笑顔を見せる。
それまで父は、自分の思いを伝えることができない不甲斐ない自分が恥ずかしく下を向いていたが、ふと顔を上げた際に映った母の引きつった笑顔に思わず、
「そんな笑顔にしたいわけじゃない。そんな悲しい笑顔にさせたいわけじゃないんだ。」
突然堰を切ったように話し始める。そんな響夜に母は、
「どうしたんですか?響夜…さん?」戸惑いを隠しきれない。
それは父の方も一緒で、自分の口から無意識に出た言葉に慌てふためき、何とかこの場を収めようとする。しかし、母の笑顔が、いつもの晴れやかなまぶしいそれとは程遠い事に、意を決する。父は母の目を見て、そらすことなく話し始める。
「いえ、本当に…、あなたが…、莉月さんがそばにいてくれたおかげで、私はここまで回復することができたんです。」
さっきまで目を合わすどころかうつむいていた響夜が、別人のように自分の目を見つめ話す姿に母は顔を赤らめて、
「…私は響夜さんが日に日に元気になっていく姿を見て、毎日元気を貰っていました。そんな響夜さんの力になれていたのであれば…、心から嬉しいです。」
母は恥ずかしそうに話す。
父は視線を移し、屋上から見える燃え上がるような夕日に、改めて自分の思いを伝える決意をする。
「莉月さん。」
心なしか上ずっているように感じる響夜の声にこちらまで緊張が伝わり、母の心臓の鼓動もいつになく速くなる。
「はい。」
母のドキドキはさらに大きくなる。
「今までありがとうございました。」母の方に向きなおして父は頭を下げる。
「はい。」母は緊張のあまり、これしか言葉が出ない。
「あなたの献身的な看護のおかげで…、私は明日でここを離れます。」
「…。」
現実を本人の口から突き付けられ、心が締め付けられる思いに、うつむき、目に涙が溢れる母。
「もうあなたとは会えなくなります。」その言葉で一気に涙があふれる。
体を震わせ、必死に声を押さえ、泣いていることを悟られないよう母は堪える。しかしそれを見た父は、その愛おしさから思わず母を抱きしめる。驚いて体をこわばらせる母。
「すっ、すみません。」
無意識に出た行動に、慌てて父は腕を振りほどくと、逆に母が今度は思いっきり抱き付く。驚いた父は振りほどいた腕を一度高くあげ、戸惑い、きょろきょろと周りを見回し、状況を理解するまで下ろせずにいたが、理解できると再び腕を母の体にまわし、優しく抱きしめる。そして小声で囁くように、
「莉月さん、このまま聞いてくれますか?」母は、父の胸に顔をうずめたまま無言で頷く。
「あの大事故で…、誰もが私の命を諦めていた。でもその命を諦めず救ってくれたのは、あなたです。生きる希望を与えてくれたのも、あなたです。私の人生であなたを失うなんて考えられません。」
抱きしめた手をほどき、母の頬に右手を添えて、潤んだ目を見つめ、
「私は…、あなたと同じ人生を歩んでいきたい。あなたしかいない…。私と…、結婚してくれますか?」
思いを伝えた父の顔は、恥ずかしさと優しさとそして男らしさで溢れていた。
突然のプロポーズに真っ赤になりながら、父の顔を見る母は嬉しそうに、
「はい。」そう言ってほほ笑む。
父は嬉しさのあまり母を抱き上げる。抱き上げられた母は、父の両頬に手を当て見つめ合うと…、母から父の唇にそっとキスをする。父は一瞬驚くがその後、しばらく母を抱きしめ、ゆっくり母を降ろすと、今度は父の方から母の頬に手を当て、熱いキスをする。それから父が母を抱きしめたまま暫く離さなかったのは言うまでもない。
※※※
それから、都市部に引っ越した2人は愛に溢れた幸せな毎日を送る。莉奈に続き、私が生まれ、その生活はある時までは幸せそのものだった。幸せ絶頂の2人に、わが子である莉奈が敵の手に落ち、私と凱まで失う未来など見えるはずがなかった。
その後、父は破壊神に洗脳されることになる。




