【さらば愛しき日常~不気味な少年との数奇な出会い~】
とんでもなくいろいろあった今日の出来事を整理して、大きく深呼吸する。とはいえ、心の整理をつけるのはなかなか難しい。何分くらい玄関前にいただろうか。辺りが暗くなり始め、家路を急ぐ子供たちの笑い声でふと我に返り、玄関のドアを開ける。私の姿と心は、母が付け忘れた玄関灯のせいで、存在が見えなくなるほど暗闇に溶け込んでいた。いつもよりドアが重く感じるのは気のせいだろうか…。
リビングに入ると莉奈と凱が隣同士で座り、心なしか、莉奈が凱に寄り添って座っているように見える。母は莉奈の異変に気付いているのか、莉奈に一瞬目をやり、すぐさま私に話しかけてくる。
「おかえり、莉羽。今日は部活ない日だったわね。まだ夕飯の支度が終わってないんだけど、おやつでも食べていて。」
「あっ、うん…。」さっきまで凱と2人で会話を楽しんでいた時間が、今はまるで嘘のように、私の心は得体の知れない重苦しい感情に押しつぶされそうになっている。
「学校はどう?凱君。」とジュースとお菓子を出しながら母が話し始める。
「莉羽とは同じクラスだし、部活も一緒なんでいろんな面で安心してます。」凱は娘の同級生としてパーフェクトな返事をする。
「え~?同じクラスなの?いいな~。」と莉奈口をとがらせて、まるで子供のような態度をとる。
「…。」私は話す気力もない。
「部活のほうは順調?」莉奈の違和感を気にしながら話す母。
「大分記録が伸びてきました。今日の体力テストで、俺も莉羽も昨年より大幅に記録が上がったんでクラスでちょっとした騒ぎになりました。」
「あら、すごいじゃない!そんなに伸びたの?部活終わってから、毎晩走りに行ってる成果が出てきたわね。今日も行くの?」
「はい。」凱は当然といった顔で答える。それを受けて、
「行かない。」と私。
「あら、どうしたの?莉羽。」母は心配そうに聞いてくるが、一方で、
「莉羽が行かないなら、凱君、この後、私に付き合って~。」と甘えるような声で莉奈が言う。私の様子を見て凱は、一端下を向き、何か覚悟を決めたような表情で、
「わかりました。どこ行きますか?」凱は莉奈の誘いを受けた。私はショックでそのまま立ち上がり、
「部屋にいくね…。」と階段を上る。凱の視線を感じ、こみ上げてくるやりきれない気持ちをどう整理していいかわからず、溢れてくる涙を気づかれないように足早に階段を駆け上がった。
部屋に入り、今日は神棚に挨拶をしていないことに気付くが、そんな気力さえもなくなっていた。今朝まで凱と一緒にいた、あの凱の温かい腕と胸の感覚を思い出し、さらに涙が溢れてくる。私は今朝まで凱に抱きしめられて眠っていたんだ。ここしばらく、何が何だかわからないが、精神的に落ち着かない日々を送っていて、ぐっすり眠れなかったけど、凱の腕の中で今日は心地よく幸せを感じながら眠っていたんだ…。
『凱…』私は心の中で凱の名を呼ぶ。
私はこの感情が何だかわからない。というのも初めての感情だからだ。胸のあたりがザワザワして…、苦しい。
「胸が苦しい…。苦しいよ、凱。」感情が言葉になる。真っ暗な部屋の隅に座り込み、自分の頭を何回も、何回もたたく。
「馬鹿、莉羽。馬鹿、莉羽。お前はなんでこんなに落ちているんだよ。」私は何度も繰り返し、訳も分からない感情に飲み込まれそうになっている自分を責め、下を向いたまま顔を上げる気力すら、重苦しい感情に奪われてしまっていた。
リビングから、莉奈の嬉しそうな声が聞こえるたび、胸がチクチクと痛む。
『今、凱はどんな気持ちなんだろう。どんな表情でいるんだろう。いつも私に向ける笑顔を莉奈にも向けていたら…』と思うと頬を涙が伝う。
しばらくすると、莉奈が凱と階段を上がってくる音が聞こえる。私は布団を頭からかぶって、何も聞こえないように自分を守る。でも聞こえてほしくないものに限って聞こえるもの。莉奈が楽しそうに、
「明後日の日曜だけど凱君、予定ある?なければ一緒に出掛けない?どう?」
「いや…、何もないので大丈夫です。」と少し考えていたのか、時間をおいて答える凱の声を聞き、居ても立っても居られなくなった私は、いつもの河川敷にむかって家を飛び出す。
「莉羽!」と大声で呼ぶ母の声も、私の様子に動揺した凱の声も、その時の私には聞こえていなかった。
河川敷に着くとちょうど日の入りの時間を迎え、真っ赤に燃える太陽星が、今まさに沈もうとしていた。この時間にここに来るのが初めてだったので、この真っ赤な星の沈みゆく迫力に圧倒され、ただ茫然と揺らめく太陽星の炎を見つめて、今日という日の終わりを感じていた。
私が住むこの星アースフィアは、はるか遠い昔に栄華を極めた、「地球」という惑星から移り住んだ人々によって開拓されたという。その地球人と呼ばれる人類が、太陽と呼ばれる炎の惑星に似せて作ったと言われる太陽星を中心に、この星は回っているらしい。この星を中心とする星域の構成やこの星の成り立ち、何もかもはまだ詳しくわかっていない。ただ地球という惑星の、日本という場所に住んでいた人が中心になって、この国を作ったため、生活様式は日本スタイルに近いものということだけは分かっている。
私はこの国が好きだ。春夏秋冬と呼ばれる季節があり、その季節特有の気象、情緒、食、空気がある。この河川敷を走りながら、日々肌で感じるものを大切にしていきたいと思うようになったのは、つい最近のことだ。そういったものを感じられるようになったのは、自分の心の成長であり、人間的にも少しは大きくなれたのかなと、改めて実感できる場所だった。
しかし、訳の分からない負の感情に押しつぶされそうになっている今日の私は、このある意味「神聖な場所」を汚しているように感じている。
「情けない…。」ふとこぼれる言葉。
すると突然近くで『ガサガサッ』という音が聞こえる。驚いた私は、思わず後ずさりすると、茂みの中から私より少し年下と思われる少年が現れる。
「びっくりした~。」驚く私をちらっと見たその少年は、
「僕が先にここにいたんですよ…。後からきてびっくりしたって、それはないですよ。」ちょっとむっとしているようだ。
「あっ、そうだったの?ごめんね。ここで何をしてるの?こんな時間に…。」
「どうでもいいじゃないですか…。」少年は居場所を邪魔されたからか、かなり不機嫌である。
「そうだね…。ごめん、ごめん。邪魔者は消えますね。」と言うと少年は、私の手をひっぱり引きとめる。
「誰も邪魔だとは言ってません。」今度は寂しそうにボソッとつぶやく。
「そう?じゃあ、いてもいいの?」そこを去ろうと思っていたが、その少年のさみしそうな様子に、ここにいてあげようかなと思い直す私。
「いたいなら、いてもいいですよ。」言葉と行動がちぐはぐだなと思いつつ、
「あっ、そう?あははは。」扱いにくい少年に戸惑っていると、
「何が情けないんですか?」いきなりストレートな質問を投げかけてくる少年に、
「聞こえてたんだね…?はは、ちょっといろいろあって、対応できない自分が情けないなって、思っただけだよ。って、初対面で年下の君に、私は何言ってんだろうね。」
「対応できないなら対応しなければいいんですよ。」少年は声のトーンをかなり落として話す。
「え?」さっきまでの様子と全く変わったその少年の様子に、違和感を覚える。
「無でいればいいんです。どんなことからも、無であれば自分を守れます。」
「無?」
「何も感じない、考えない、ただ生きるための最低限の行動をすれば生きていけます。未来に何かを期待するから辛くなる。期待しても何も変わらないんです。それなら希望も何も持たない。」
「何それ?どういう意味?それ、生きてる意味が無くない?何も感じない、考えない、希望を持たないなんて生きてるんだっていう実感が何もなくて…、何も面白くないじゃない…。」その少年の言葉にちょっとむっとして強めに言う。その様子に呆れたように少年は、
「だから、人間は狂うんですよ。いろんな感情に押しつぶされて自分を失う。僕みたいに、何の感情も持たなくなれば楽ですよ。自分を情けないとか、そんな風に評価するくらいなら評価すること自体やめてしまえばいい。」この少年の言葉に異常性を感じた私は、これ以上の議論はやめようと決める。
「日も沈んじゃったから私帰るね。君もあんまり暗くなる前に帰ってね。じゃあ。」そう言って、私は少し小走りにその場を立ち去る。
『何、あの子…思考が怖い。何を考えてるのかわからない…。関わらないほうがいい。早く帰ろう』本気で走り出す私の頭にはっきりとあの少年の声が響く。
『また必ず会いましょう…』そして彼の不敵な笑みが、私の脳内を占拠する。
私は、背筋に今まで感じた事のない緊張と、底知れぬ不安を感じながら全力で家路を急いだ。
「意外なところで接点を持ったな…。この2人の化学反応は…、吉と出るか凶と出るか…楽しみだな。」
天秤は絶えず、微妙に右に左にと、動き続けている。




