【素晴らしき日常を壊す者~恋は始まれず?~】
学校に着くと、よりによって今日は1時間目から体育の授業だった。前回に引き続きスポーツテストを行う予定で、私はこれまた、よりによって100m走から始める。
『今日は凱のおかげ?でしっかり眠れたので絶好調だ』
そう思いながら走ると、昨年より1.5秒もタイムを縮めていた。私のタイムのあまりの速さに、周りにいたクラスメイトが歓声を上げる。そんな私を遠くから凱が見ているのを感じ、私は思わずサッと友達の影に隠れてしまう。
『どうしよう、前みたいに普通でいられなくなっちゃった…』
動揺している私に、
「莉羽。次の競技に移って。」と佑依の声が聞こえる。
「分かった。」私はそのあと他の全ての競技において記録を伸ばす。どうやら凱も驚くような記録を連発しているようだ。
『やっぱり夢の中でフィンに鍛えられてるからかな』
自分のバカげた発想に一人プッと笑ってしまう。
『夢があまりに鮮明なだけに、現実でもこんなこと考えちゃうなんて、ばっかだなあ…』
私は上機嫌で教室に向かう。
教室に戻ると、話を聞きつけた伊関先生が私の席に来て、
「莉羽も凱も、ほんとにすごいな。どんなトレーニングしてんだ?」私たちの記録は、同年代の記録をはるかに超え、私の住む国アースフィアのアスリートのトップレベル程の記録を叩きだしていた。
「ははは。まぐれですよ。」と、はぐらかす凱。
「俺はなぁ、中学の頃から毎日、お前たちのデータを分析してるけど、2人の能力は世界に通用すると思っているんだ。目指せ、世界!で、これからも頑張ろうな!」先生の目はやる気に満ち溢れている。
「そんなの夢のまた夢ですよ。先生興奮しすぎです。落ち着いて!」私が苦笑いしていると、佑依が隣に来て、
「まじで、あんたたちどうした?すごすぎるんだけど…。」と、びっくり顔で驚いている。
「凱~、莉羽~。」と続けて廊下から、玄人の大声が聞こえてきて、
「お前たち、一体何が起きたんだよ。そんなすごい記録出しちまって。佑依から聞いて、マジ一瞬引いたわ。すげ~な~。俺たちも負けてらんないな、佑依。」と佑依の肩に腕を乗せると、
「やめてよ玄人。もう~。」と言って、玄人の手を振り払い、教室を出ていく佑依。そんな佑依の様子が気になるが、先生がなかなか離してくれず、その日は部活もなかったため、結局佑依とは一言も話せずに帰ることになってしまった。
「先生の圧がすごかったな。」一歩下がって歩く私に、凱が振り返りながら話しかけてくる。
「ほんとに…。一瞬『世界』って聞いて、胸が熱くなったけど…。熱すぎて引いちゃった。」私は凱の顔が見れず、下を向いて歩く。
「でも…、ほんとにかなり伸びたな…。俺たちの記録。」前を向いて話す凱。
「そうだね。お互い…。」私が答えると、凱が立ち止まって、
「そういえば、その後、夢見たか?」真剣な面持ちで聞いてくる。
「え?夢?ああ、うん…。」会話にも集中できないし、どうしても顔を直視できない私は、不自然に斜め上方向を見ながら言う。
「大分寝たもんな。2人で…。」と言って、いつの間にか私の目の前に来て、少し微笑みながら顔を覗き込む。私は凱に抱きしめられていた時のやわらかく、温かい感覚を思い出し、はっとして顔が赤くなる。そんな私に凱が、
「お前、可愛いな。」と言って歩き出す。
「?」私は立ち止まる。
『ん?ちょっと待って。今なんて言った?凱君。聞き間違いじゃなければ『可愛い』といったような…。いやいや気のせい?まさかそんなセリフを凱がさらっと言えるわけない。十年以上凱を見てきてる私だもの…。うん間違いない。凱はそんなことは言わないタイプの人間です。』心の中で整理がつく。
『勘違い女ほど痛いものはない。』そう言い聞かせ、平然を装う。
私の頭がスーパーコンピューター並みにフル稼働していることなんて、つゆ知らずの凱は、平然として聞いてくる。
「で?どうなった?夢。」
「あっ、ええと~。帰って整理してから話すよ。」私の頭は今、それどころではないのですよ、凱!と思いながらそそくさと歩き出す。
「了解。結構リアルだから何気に楽しみにしてるんだ、お前の夢。」凱は、私の後ろから小走りで追いつくと無邪気に笑いながら隣を歩く。
「え?私の夢が?楽しみなの?」驚く私。
「ああ。なんかほんとに実在してるみたいだよな、出てくる人たち。だからこれからどうなるんだろうって。」
「どうしよう、そんな期待されて今日から見なくなったら…。」
「ははは。それはそれでいいんじゃん。」凱は前を見る。陽が傾きかけ、夏の爽やかな風が私たちの間を吹き抜ける。
「そっか。でも…、昨日の夢でね、私、死にそうになったんだけど…。私もこの後どうなるか気にはなってる。」
「死ぬ?やばい感じで進んでるな…。楽しみとかって言ってる場合じゃないな。」
「多分、夢だから生きていられるようなもので、あの怪我が現実だったら…、もう死んでると思う。」
「まじか…。それにしても、もうお前…、『夢の住人』だな。」凱が笑って言う。私もつられて自然に笑みをこぼして、
「確かに…。でも凱も登場してるんだから、凱は『私の夢の中の住人』じゃない?」
「そうか…。でも頼むから、俺のことは殺さないでくれよ。」凱はそう言って、また無邪気に笑う。
「縁起でもないこと言わない!凱のば~か。」私は頬を膨らませる。
「ごめん、ごめん。冗談がすぎたな…。」
私は何気ないそんなやり取りの心地よさに、朝からの気まずさも忘れ、いつもの関係を取り戻す。
「そうだ!ちょっとこれだけは言わせて!」私は声のボリュームを少し上げて言う。
「なんだよ。唐突に。」
「私ね、敵に切られそうになってる凱を守ったよ。自分の身を挺して。」と、ちょっと恩着せがましく言ってみる。
「…。それに関してはほんとにすまない。」凱ははっとして、その後なぜか肩を落とす。
「いやいやちょっと何、そのリアクション。やめてよ、怖い、怖い。夢の話なんだから…。謝るとかしないでよ…。」そう言って苦笑いしていると、
「いや、何となく。」凱の表情に、さっきまでの笑顔はない。
その後、無言で歩き続ける私と凱。
『何?どうしたの?凱ってば。夢の中での話なのに…。』
私が凱のリアクションに戸惑っていると、いつの間にか家に着き、家の前では普段いるはずのない姉の莉奈が待っていた。そして、
「おかえり~。帰ってくるの待ってたんだ~。凱君、家寄ってくでしょ?」その莉奈の様子に驚く私と凱。
「莉奈さん、どうしたんですか?待ってたって…。」凱の声が、驚きすぎて、いつになく高い。
「え~と…、よく考えたら、私たちお隣同志なのに、あまりお話ししたこともないじゃない?莉羽と凱君はいつも一緒だから~、たくさんお話ししてるだろうけど、私も凱君といろいろお話ししてみたいなって思ったの。」ちょっと恥じらいを見せながら話すその様子は、今までと別人のようで、私は言葉が出ない。確かに凱が引っ越してきてから、今まで莉奈と凱が会話した回数は数える程度だった。
『でもなんで今?何?莉奈、どうしたの?違和感しかない…』
私の心がそう叫んでいると、莉奈が凱の手を引いて、家の中に入っていく。
『えっ?』
呆然とする私は、しばらく家に入ることができなかった。