追跡者
「許すも何もないよ」
「なにせ。・・・私はもはや、貴族ではないからね」
メルカトルは尋常ではないこの状況を前に、冷汗を滝のように流していた。
「なんだ、そんなにあっさり貴族でなくなったりする物なのか?」
侯爵位没収。
あきらかに尋常ではない事態に対し,彼がそんなとぼけたことを宣う。彼女は片目をつぶって、
「まさか、尋常なことではない。今回はだいぶ珍しい例だろう」
「貴族でなくなったなんて、また、なんでですか?」
「いやまあ、厳密には貴族でなくなったわけではないけれど。・・・知りたいかい?」
「あっ、いえっ!!」
「ならばUターンして帰路につくといい。私の近くにいるのも、ここから先に向かうのも危険だ」
「は、はいいっ!!!」
メルカトルは急いで馬車に乗り込む。
と、そのときツルギが馬車からよっと飛び降りた。さっきまで降りてこなかったのに、なぜ今?と彼女らは疑問に思う。
「メルカトル、先に帰っていろ。俺にはやることがある」
「は、お前、」
彼はツルギの危機感知能力の低さに呆れると共に、馬車に乗らせようとして、
「いいから帰っていろ」
「・・・」
メルカトルは、ツルギはこの少女に何か用があって残るのだと察した。
彼はツルギが『師匠』の頼みに、どれだけの時間を使ってきたかを知っている。
「・・・分かった、死ぬなよ」
「当然だ」
「ははっ、変わらず余裕だな。対して強くもないくせに」
メルカトルはそう言うと、颯爽と馬車で駆けて行った。平原の中で、どんどん彼が小さくなっていく。
「・・・で、だ」
そしてそんな彼らを、アウィスは片目をつぶりながら見ていた。
「君は私に、何か用でもあるのかい?」
「まあな」
「ふうん。今の私に、利用価値はあまりないと思うけれど」
しかしそんな発言も無視して、ツルギはじっとアウィスを見つめる。
「・・・なんだい?」
「いや、」
威風堂々。見せびらかすようではないが、立ち振る舞いから、しぐさから、声から、彼女の何もかもから自信と余裕が伝わってくる。
この女は自らが貴族であることを何とも思っていないし、また貴族であることはこれにとっては何でもない。ツルギは淡々と、そう思った。
(・・・『師匠』と何かかかわりのある人間が、まさか通常の人間であるはずもあるまい。この女が『師匠』の言っていたアウィスである可能性は、まあ1%ほどはあるだろ)
そこまで考えたツルギは、アウィスに歩み寄った。なにごとかとアウィスが少し身構えると、
「追われているんだろ?」
「まあ、有体に言うとね」
「やはりか」
ばつの悪そうにそう言うアウィスに対して、ツルギは手を差し出した。そして、
「手伝おう」
「・・・うん?」
「俺にとっても、お前が死んだら困るかもしれんからな]
「・・・何故だい?」
ツルギは理由を言うべきか言わないべきか考えて、言った方が話がややこしくなるだろうなと判断した。
「それはどうでもいいだろう。追っ手は近くまで来ているのか?」
「・・・おそらくね」
アウィスはツルギを怪しんだようだが、とりあえず敵ではないと判断したらしい。・・・いや、とある理由により、『敵にはならない』と判断したのだろうか。
「それなら俺がいるに越したことはない」
「君は、連れていけないな」
「なんでだ?足も怪我しているだろうに」
「!よくぞまあ、」
ツルギは彼女の足が少し、『切れている』ことを見逃しはしなかった。ブーツで隠れていただけに、彼女はまたも驚く。
「止血はされているようだが、その足では長くは走れまい。ただでさえダメージを受けているのに、走ってさらに悪化させたか」
「それはそうだけれど、君がついてきても死ぬだけさ」
「なぜそう思う?」
「それは、」
一瞬だけアウィスが言い淀んで、しかし、
「―――君には魔力がないだろう」
「・・・ふむ、よく分かるな」
「これでも一応、それなりに魔法には精通しているんでね」
今度はツルギが少しだけ目を見開いた。魔力の多さならまだしも、魔力の少なさを見抜けるものはそうそういない。
「まあいい、だとしたら何だ?」
「魔法を使えないのはともかく、魔力で肉体を強化できないのは致命的だ」
「・・・」
「こう言ってしまうと悪いけれど、そこいらの子供にも負けるであろう君に何ができる?」
事実ツルギは肉体の強度で言えば、平均的な10歳児とそう変わらないであろう。彼が痩せているのもあって、腕力だけで言えばそれ以下かもしれない。
「君の魂胆はなんとなく理解できる。魔法こそ至上の価値をもつこの世界。魔力がないから馬鹿にされて、あるいは豊かでない生活を送っていて、だからこそ私を助けて一発逆転しようと思い至ったのだろう?」
「ふむ、まあ一か八かでお前を助けに来たことだけは当たっているが」
「止めておけ」
アウィスは鋭く彼を睨みつけた。そして威圧するように、魔力を体から溢れさせて、
「命あっての物種だ。私は今、私の領地でも一番強い男に狙われている」
「・・・」
「君が役に立つことはないし、君が私に与して生き延びられる可能性もない」
ツルギは、言い返さなかった。
だが代わりに、すっと剣をどこからか抜いた。どこに持っていた?とアウィスが訝しむ間もなく、
「安心しろ」
「?」
話の流れも分かっていないような発言にアウィスは目を丸くして、しかし、
「俺は強い」
そう強く宣言する彼の剣は、午後の光を浴びて紅色に輝いていた。
「・・・君は、」
貧相な肉体であった。魔力に至っては完全な0だった。しかしその、どこか神々しさすら感じさせる姿に、アウィスは―――
「よっ、アウィスお嬢様」
「ッツ!!」
そのとき、背後から軽快な声が聞こえてきた。足音は全くといって良いほど聞こえなかった。
「む?」
ツルギがそっちを見ると、そこには銀髪を肩まで伸ばした、三白眼の痩せた男が立っていた。これがアウィスの言っていた男か、と彼は見つめる。
「そこにいる男は誰です?」
「・・・ただの通行人さ」
「へえ、そうは見えませんでしたがねえ。まあどっちにしろ目撃者は殺すので、問題はありやせんが」
「チッ!」
瞬間、殺意が爆発した。
「逃げろ!」
アウィスがばっと剣を抜きつつ、ツルギに叫ぶ。
「彼はルプス、私の領地で最も強い男だ!だけど私でも食い止めることはできる!早く逃げろっ!!」
「ふむ、コイツがか」
ツルギは呑気に彼を観察する。逃げようともしないその態度に、アウィスの額から冷汗が流れる。
「お嬢様、この俺から誰かを、逃がせると思っておいでで?」
「マズい、!」
ルプスが両手を天高くかざすと・・・、膨大な魔力が、彼の掌から解き放たれた。空気中を濃密な魔力が満たしていく、地面に円形の陣が浮き上がってくる。
「召喚、ギガースクラブ」
彼がそう唱えた瞬間、体高すらもツルギより高い、巨大な黒い蟹が3匹も突如として現れた。甲殻はいかつく角ばっており、青い目は爛々としている。
魔物。まさにそう称するより他にない、おどろおどろしい威容だった。
それを見てほお、とツルギは感心した。
「召喚魔法は、一度の発動につき1体しか呼び出せない。三重詠唱を使えるとは、良い腕だ」
「くくっ、召喚魔法の使い手は少ないのによく知ってるねえ。・・・それで、」
「アウィスお嬢様、もしや俺に勝てるとお思いで?」
「・・・」
彼は完全に勝ち誇っている。とはいえアウィスと比べて、そう魔力量に差はない。
あの自信は蟹たちがアウィスと相性がいいからだろうか、それとも・・・。
そんなことをツルギが考えていると、アウィスがルプスの方を向いたまま、後ろのツルギに話しかけてきた。
「もう一回だけ言う、君は逃げろ」
アウィスの態度を見るに、やはり彼女の勝てる相手ではないようだ。まあ領地で最も強いということは、アウィスよりも強いということなのだからそれは当然なのだが。
しかしそんな忠告は気にせずに、ツルギはルプスの方を向いて、
「ところでお前は、なんでアウィスを追っているんだ?」
「呼び捨てか、肝があるねえ」
「そんなことはどうでもいい、この女はそもそも、お前の主君ではないのか?」
ルプスは少し考え込むようにして、しかし話して問題ないと判断したのだろう。アウィスの方をちらりと向きつつ、
「要するに、アウィス様は跡目争いに敗れたのさ」
「ほう?少なくともコイツも、優秀に見えたが」
「そんなもんじゃねえさ」
ルプスはけけっ、と笑った。
「この方はな、優秀過ぎたんだよ」
「・・・ほう?」
ますますツルギは不思議そうに首を傾げた。
「優秀なら優秀であるほど、統治者としてはいいと思うのだが」
「けけっ、まあ普通はそうだわな。ただこの方は、あまりに魔法の才に優れ、あまりに学問に精通し・・・、そしてあまりにも利口すぎたのさ」
「ふむ?」
「ここまで言って分からねえのか」
「ああ、俺は考えることはからっきしでな」
かみ砕いて言うとな、とルプスは頭をぼりぼりかきながら、
「この人は傀儡にできないから、実権を握ろうとする実の母によってあらぬ罪を着せられ追放されたのさ」
おそらくは家長であるアウィスの父親の死か失脚とともに、彼女の母が実権を握ったのだろう。
ツルギは一瞬だけ歯を噛みしめる。
「・・・なるほどな、ところでそんなこと話していいのか?」
「アウィス様に分からないわけがないだろ、妹様ならともかく」
「妹も妹で、それなりに有能なのだがな」
「アンタには劣りますよ、遥かに」
ーーーこのとき妹という単語に反応して、ツルギの眉がピクリと動いたことにも彼女たちは気づかなかった。
「まあ妹も統治者として不向きかといえば、決してそうではない。私は彼女が領主でも構わないよ」
「それを信じる彼女らではありませんよ。あれらは権力の信奉者ですから」
「・・・しかし、不快な話だな。権力などを追い求めて、家族で争うだなんて」
「ありふれた話だがね。もっとも私の妹に関していえば、それだけでもなかったのだろうけれど」
「?」
「まあいい、」
いつの間にか、アウィスが剣を構えていた。そしていつの間にか、彼らは周りをギガースクラブたちに覆われていた。
「やれやれ、話している間に包囲させとくだなんてね。これだけ大きなものを、いつ動かしたのかは知れないが」
「暗殺業やらせてもらってるんでね、こういう意識の隙を突くのは、得意なんですよ。・・・もっともアンタに関していえば、狙って包囲させたようにも見えますが」
「ふふっ、」
瞬間、落雷のような後ろ蹴りが、黒い蟹に炸裂した。
「ほお!」
バキバキと、音を立てて甲殻が割れる。蹴られた蟹は、力を失って地面に崩れ落ちる。一匹やられた分、そこだけ包囲に穴があく。
「最後だ、逃げろ青年!」
「なるほどね。俺が援護できない位置までギガースクラブを移動させるのが狙いと」
「見ての通り私はまだ動ける、心配はいらない!!」
「ふむ、」
どうにもアウィスは、自分を危険な目に合わせたくないようだと判断した彼は、トンっと軽快に包囲の外側に出る。
遅い動きだが、蟹たちは彼女から警戒を切れない以上、彼を攻撃しようとはしなかった。
「ですが、俺を前にその隙は、甘いんじゃないんですかあっ!!?」
「ぐっ、」
瞬間、ルプスの持っていたダガーが彼女の眼前に迫る。致命の刃。
「はあっ!!」
彼女は最小限の距離をバックステップして、それを紙一重で躱す。
「素晴らしい体術です、だがっ!」
躱したすきに、蟹の巨大なハサミが彼女の両脇から襲い掛かった。このままでは彼女が切り裂かれる、と、思った時であった。
ブウン、風きり音とともに彼女の体が急加速し、後ろにいた蟹をミンチにしながら包囲を抜ける。
「やれやれ、君は変わらず強いね」
「・・・そんなことより、風魔法、ですかね?」
「ああ、私が得意としている魔法だ。まさか知らなかったとは言うまい?」
「いえいえ、アンタがギガースクラブより丈夫なのが、意外だっただけですよ」
軽口。先ほどと変わらない軽口で、ルプスは話している。
・・・だがその気配はゾッとするほど、冷たくなっていた。
「やれやれ、それにしても想像よりずっと強い。俺のその年齢の頃なら、今のでやられていたでしょうね。・・・ギガースクラブよ、あの男を追え」
「っ、ルプス!召喚獣なしで、私に勝てるとでも!」
なんとかツルギを逃がすために、彼女はそう叫ぼうとして・・・、
「俺はね、召喚魔法が得意なんじゃないんです。―――人を殺すのが、得意なんですよ」
気づくと、目の前にダガーが飛び出してきていた。
「ッツ!!?」
何とか彼女は首を傾けて回避する。しかし同時に蹴りが腹に飛んでくる。流れるようなコンビネーション。完璧な体術。
「ぐ、うっ、!」
彼女の腹がメキメキと凹み、口から食べたものを吐き出しそうになる。体が後ろに吹き飛ぶ。
「終わらせましょう」
・・・アウィスは、勘違いをしていた。この男の優れた召喚魔法などは、しかし彼にとっては何でもない。
「俺って案外、強いんですよ?」
究極の身体能力と技術から放たれる体技。これこそが彼を、侯爵領内最強たらしめる最大の要因であった。




