鳥
アウィスは一応念のため、パトリシアの瞳を見つめる。
「・・・?どうしたのかしら」
ツルギに恋をした。その言葉に嘘はないようで、だからこそ彼女を混乱させた。
(君たち、出会ってまだ数十分だろう・・・)
そう、二人にほとんど関係はないはずなのだ、だから予想できなかった。アウィスが子供の頃好きだった本に、ヒロインが金髪の王子様に一目ぼれする話があったが、ツルギの容姿はその王子とやらと違いそこまで良くはない。
とはいえそれはもうどうしようもないから、アウィスは頭を整理する。
(まずツルギを失うこと、これだけは避けなくてはならない)
ツルギが奴隷になったのも、アウィスと共にいるためだ。ならばここで彼を渡すことは、彼への裏切りとなる。
それも彼の人生に対する、裏切りに。彼女はそれを、絶対に許容しない。
(・・・そしてさりげなく、母をそそのかした者がどちらか分からなくなった)
掴みかけた敵の正体を見失った。
今日は厄日だな、とアウィスはげんなりして、
「・・・パトリシア様。お言葉ですが恋愛は奴隷と主人としてでなく、あくまで対等?な関係で行われるべきだと思いますが」
詭弁だなとアウィスは言いながら思った。二人の間には立場的にも、暴力的にも大きな差がある。人は土台、対等ではありえないのだ。
「アウィス、こう言っては失礼でしょうけれど貴女には前科があるわ。彼が貴女の意のままになる状況が、私には耐えられないのです」
「・・・」
まあそうくるよね、とアウィスは片目をゆっくり瞑る。ツルギは状況がよくつかめていないのか、ぽかーんとしていた。
(さあて、どうする。第一王女の恋愛か、向こうの大義名分が強すぎるな。・・・仕方がない、ツルギに事情を話させるか)
それは自らの弱点をさらけ出す行為だから、できれば使いたくはなかった。それに所詮は奴隷の目的だ、王の血族の意向を無下にするには弱いが仕方がないかと思って、
(・・・いや、ダメだ。ツルギの『師匠に頼まれた通りアウィスとスピラを保護する』という目的は、万人の納得を得られるものではない。私ですら半信半疑なのだから)
万事休す、とまではいかないがアウィスはらしくもなく、そして最近だけで何回目かに押されていた。
人間とは感情の生き物である、ここで王女の機嫌を損ねたら、彼女が敵でなくとも敵派閥に与する遠因となる可能性がある。
「さあアウィス、私に彼を譲るとただ、そうとだけ言いなさい。それだけで契約は果たされます」
「・・・くっ、」
「お前らは何をこそこそ話しているんだ?」
「君は口を挟むな」
かくなる上は自分もツルギのことを愛していると、それに伴う彼の名誉の毀損と自分の立場の悪化、そして王女が敵に回る可能性を覚悟したうえで、偽ろうかと思って、
「どうしたんですかツルギさん、アウィスさん。って、王女様も?」
そこに青髪の少女、ユリアが現れた。おそらくは二人の戦いが終わって、ルキアの次にアウィスの下に来たのだろう。
しめた、と彼女は笑って、
「いや何、実はかくかくしかじかで、」
「ええっ!」
話を聞いたユリアは目を丸くした。丸くして・・・、アウィスの手を握った。
「アウィスさん、できれば私に売ってくれませんか!?」
「なっ、!」
パトリシアが身を乗り出した。
「ユリアさん、貴女も、」
「ええ。私の方が、少し前から」
「さっきからお前らは、何の話をしているんだ?」
「まあまあ、」
アウィスはツルギの口を塞ぐと、二人の方を振り向いた。
「困りましたね、お二人とも家格は私より上。となれば彼をどちらに売っても角は立つでしょう」
「でも王家の私の方が、」
「分かっているでしょう?そういう問題ではありませんよ」
「・・・そうね」
「ともかくも、ならば彼に選ばせましょう。ツルギ、君はユリアさんとパトリシア様、どっちの元に着きたい?」
「む?」
ツルギのことを、ユリアとパトリシアは期待と心配に満ちた瞳で見つめていた。
ああ、と彼は状況を理解した。
(なぜユリアまでアウィスから俺を引き離そうとしているのかは分からんが、パトリシアはアウィスの戦力を減らしたいんだな。・・・なら、)
「よく分からんが、二人とはまだ付き合いが浅い。色々心配もあるし、しばらくはアウィスの元にいさせてくれ」
それを聞いた瞬間ユリアはがっくりとして、パトリシアははあとため息を吐いた。
「なるほど、それが君の選択か」
アウィスはうん、と頷いて、
「彼がそう言うのですから、異議はありませんね?ですがまあ、お二人が順調に絆を深められることを応援していますよ」
「・・・まあ、仕方がないわね」
「私も正直、誰かの主人になるというのは嫌でしたから。ていうか上下関係が嫌いです」
「では、これで失礼します」
キーンコーン、カーン、コーンと、終業の鐘が鳴った。今日は午前中授業なのだ。
アウィスとツルギは彼女らに別れを告げると、寮への帰り道を歩んでいった。
そして突然に、アウィスが疲れたように大きなため息を吐いた。
「どうした?」
「いや、なに、」
彼女の視線は、青い空に向けられていた。どこまでも広がる、青い空。
「どうにも性に合わなくてね。実のないことを話したり、芝居をしたりするのは」
「くくっ、だろうな」
ツルギは愉快そうに笑っていた。珍しく、愉快そうに。
「お前はまるで、鳥のようだ。今はまだ地に縛り付けられているが、空を悠悠と飛ぶ姿こそが美しい」
君にしてはずいぶん詩的な表現だね、とアウィスは呟いた。Avis・・・、それが鳥を意味していることを、知ってか知らずか。
「でも空を飛ぶということは、必ずしもいいことではない。その飛ぶ力が強ければ強いほど、彼女は元居た場所を見失いやすいんだよ」
水を泳ぐ魚が帰ってこられないのは、狭い世界に殺されるから。
空を飛ぶ鳥が帰ってこられないのは、広大な空に迷わされるから。
ならばきっと、彼女は―――
その頃パトリシアは、一人帰路についていた。
「せっかくアウィス以外に、私に怯えない者が見つかったというのに」
その少女には天賦の才があった。だがそれ以上に、人ならざる魔性があった。
それは国王にすらも畏怖を抱かせた。
「私に会う者は、二つしかない。怯えるか、怯えまいとするか」
パトリシアに対して恐怖でなく憎しみや対抗心、あるいは軽蔑の念を持っている者は少なくない。
しかしそれらは全て、恐怖から来るものであった。
怖いと思わされたから憎む、怖いのが恥ずかしいから対抗心を覚える、怖いのを誤魔化すために強いて軽蔑する。
「ああ、でも貴方は私を恐れていなかった。貴方にとって人間とは、等しく価値のあるモノなのでしょう」
朱を帯びた可愛らしい顔で、少女はどこかを見つめる。
「ツルギ。アウィス。貴方たちのことを考えるだけで、胸が張り裂けそうです」
そうして彼女は、寮の自分の部屋へと戻った。戻って、ベッドの下の、何かにそっと手を伸ばした。
「私はもう、見飽きてしまったの」
そこには釘、爪切り、ハサミとどこか脈絡のない物が置かれており、そしてそのすべてはほんのり赤く染まっていた。
「今の私は強い人が、ゴミのようになって必死に助けてくれと、懇願するところが見たい。見たくてたまらない」
魔性。果たして彼女は人間ですらない。
「ああ、そうだ」
ふと彼女は何かを思いついたように、柔らかい唇に人差し指を当てた。
「私が―――したら、あの子はどんな顔をするのかしら」
ひそりひそりと静かに、しかし確かに決戦の日は近づいていた。




