王都と店と少女たち
「やあ、明日王都へ出かけないかい」
「ああ?」
アウィスがそんなことを言ってきたのは昨日のこと、つまり退院した三日後のことであった。
「いやなに、今まで使っていた剣が折れてしまってね。普段買い物は使用人に任せているけれど、戦いの為の道具だけは自分の目で見て買っておきたい」
折れた?とツルギは一瞬訝しんだが、そういえばアウィスが学園近くの小規模の魔境に授業で行っていたことを思い出した。
「分かった、行くか」
そんなわけでアウィスとツルギは学園から徒歩30分ほどの、活気のある通りに来ていた。
休日だからか制服ではなく、ツルギは着古した白い布を、アウィスは青のドレスを着ている。
「・・・前から思っていたんだけれど、服、買ってあげようか?」
「いや、これでいい。便利なんだ、最悪破れても纏い方を変えれば着れるからな」
「ふぅん」
彼らは有名な剣工房に向かって足を進めていく。
休日の目抜き通りは混んではいたが、あまりそのことを意識することはなかった。通行人たちが、アウィスを見るやギョッとして避けるからである。
「お前、怯えられてないか?」
「貴族とはそういうモノさ。ぶつかっただけで無礼打ちにされた平民もいなくはないからね」
「・・・どうにもそれは、正しくないな」
「正しさが価値を持つほど、この社会は発展していないよ。そもそも正しさなどには、人の心を動かす以上の力はないしね」
なるほど真理であった。
「・・・ん?その物言い、それほど発展した社会を知っているようだが、」
「ああ、5000年も前の文献の話さ」
「なるほど、第三世界か」
春の日差しが、どこか眩しい。と、ふと何かを思い出したかのようにアウィスは口を開いた。
「そういえば君は、スピラに会いに行かなくていいのかい?」
「・・・今はお前が優先だ」
「まあそれも道理か」
正しい正しくないの話をしている際に彼女のことが連想されたのか、とツルギは少し思う。
まあ確かにスピラは正しくはないが、アウィスはスピラを許しているわけだから、
「それは違うよ、ツルギ」
「・・・お前は心でも読めるのか?」
海のような青の瞳がツルギを透徹する。肩ほどまでの金の髪が微かに風に揺れる。どこか神秘的な美しさを湛えた彼女は、しかしどこか悲しそうな顔をしていた。
「連想されたのはスピラでなく私自身。・・・スピラはね、私のせいで歪んでしまったのさ」
「どういう、ことだ?」
「あの子はね、私と比べられ続けて、あるいは比べ続けて腐ってしまったんだよ」
このとき、ツルギの頭にはルキアとユリアのことが浮かんでいた。
「妹は、何をやっても私の劣化でしかなかった。頭脳も力も容姿も、どれも私の方が優れていた」
なるほど、それは苦痛だろう。身近。
「スピラが頑張っても成績はせいぜい学年3位か4位くらいどまり。一方私は、特別の努力を行うことなくいつも1位にいた。妹はそれなりに魔力も多かったけれど、私との対比で、彼女を褒める者はいなかった。いたとしてもそれは、どこか寒々しかった」
「・・・」
「顔立ちが似ているというのも良くない。似ているが私の方が美しかったから、本来彼女に向けられるべき羨望は私に注がれていた」
妹の髪が短いのも、もしかしたら私と違うようになりたかったからなのかもしれない。とアウィスはうわごとのようにつぶやいた。
それでもツルギはユリアという、似たような境遇でも善人であり続けた少女を知っている。
これだけ聞くと、ユリアが腐らなかったのを見るに責められるべきはやはりスピラであろう。
・・・ただルキアとアウィスでは、決定的に違うことがある。
「そして何の因果か、私は明らかに善の側にいた。ルサンチマンを抱く弱者の最後の手段である、精神の勝利すら私は許さなかった」
善。かつてツルギがどうでもいいと放り捨てたその規範は、彼女たちにとっては刃であった。
ふとツルギは、アウィスの下唇からぽたぽたと、血が流れていることに気が付いた。
「血が出ているぞ」
彼はハンカチーフを差し出す。
「・・・すまない、でも大丈夫。1分もあれば塞がる」
「お前が何の呵責もなしにその話をできる人間だったのなら、スピラはもう少し歪んでいなかった」
「・・・」
「と、お前は思っているのだろう?」
ツルギは知っている。生まれつきのモノかあるいはそれ以外か、この世にはなぜか歪む人間となぜか歪まない人間がいるということを。
「お前は神にでもなったつもりか。それはどう見てもお前の責ではない。そこまで気にしていたら、人間は生きられなくなるぞ」
「ああ、分かっている。・・・でもさ、」
アウィスはふぅとため息を吐いて、
「でも妹が歪んだのは確実に、私がいたからなんだよ」
「・・・」
「私が妹の為に弱くなることを許容していたのなら、妹はもう少し楽だったはずなんだよ」
「だがお前はすでに、汚名を受けた。それにお前が努力をせず、また明らかに本気を出していないのも、」
「足りていないのさ。私は弱い私を、許容できなかったからね」
暗い表情でそう吐露するアウィスに、ツルギはこれ以上何も言うことができなかった。
彼女はすべてを理解したうえで、その上で自分を許せていなかったのだ。
「・・・」
「・・・」
ツルギはしばらく何も言うことができず、二人は黙然として目的地に向かっていく。
(・・・嫌な、雰囲気だな)
何度か慰めの言葉を探したが、人生経験が少なく対人経験に乏しいツルギは、うまく言葉を見つけることができなかった。
まあもっとも、それらが豊富であったとして、詭弁は彼女に通じないだろうが。
・・・ああ、そうだ。アウィスを慰める言葉は全て、詭弁になる。彼女は厳然たる事実に対して、苦しんでいるのだから。
「・・・」
「・・・」
苦しいな、とツルギは思った。あるいは善だのなんだのは、人間を苦しめ迷わせるためにあるんじゃないかと、そんなことさえ思えてきた。
そうして二人が何を話すでもなく歩いている。
・・・すると、ちょうどそこに、この重い雰囲気を壊してくれそうな二人がやってきた。
「あら、アウィスとツルギじゃない!」
「こ、こんにちは、ツルギさん、アウィスさん」
「む?」
「おや」
アウィスらが右斜め前を見ると、そこには赤髪の少女と青髪の少女が立っていた。ルキア・フラウィアとユリア・フラウィアである。
「なんでこんなところにいるんだ?」
「遊びよ遊び。学園には娯楽が少ないのよね」
「ふむ」
「よかったらアンタらも一緒に遊ばない?」
ツルギはちらりとアウィスの方を見る。
「喜んで」
「良かったです。ルキアが友達全員に土壇場でキャンセルされたときは、どうなるかと思いました」
「あっ、ちょっ、お姉ちゃんそれは言わないでよ!」
「先輩はつくづく人望がないね」
顔を真っ赤にしてパタパタしているルキアを、彼女らはほほえましそうに見ている。
「・・・ん?ちょっと待て、ユリアがお姉ちゃん?」
「何よ」
「アウィス、お前ユリアより年下なのか?」
「ああ、そうさ」
ちらりとツルギはユリアの方を見る。身長はルキアより低いし、何より姉の威厳もへったくれもない。
「・・・いやまあ、ルキアもガキといえばガキだから、そんなもんなのか?」
「アンタ今、私たちどっちに対しても失礼なこと考えているでしょ。言っておくけれど、18歳の女の子なんてこんなもんよ」
「いやでもアウィスとか、」
「そいつはややこしくなるから置いときなさい」
「でもアウィスさんは、大人の魅力があってカッコいいですよね」
と、ここでユリアはにっこりと微笑んで、きらきらした瞳で彼女を見つめた。
「いつだって冷静で落ち着いていて、それでも情に厚いギャップがイイんです」
「なんだレズか?」
「そういうわけじゃないんですが、そのー、私にとってアウィスさんはアイドルみたいなものなんです」
「こいつ、女の子だけでファンクラブができるくらい女子に人気なのよ」
「なるほど?レズか?」
「実際は男好きなのにねー」
「その話は、もうよしてくれないかい」
「なによー、うりうりー!」
性格ゆえか友人が少ないルキアは、アウィスとユリアによく懐いていた。
女三人寄れば姦しいとは言うが、嫌なうるささではないな、とツルギは思いながら静観している。ちなみに大人数での会話に入る方法を、ツルギは知らなかった。
「ルキア!アウィスさんがあんなこと、するはずがないよ」
「でも本人が認めているわよ」
「えっ?」
「恥ずかしながらね。どうも私には淫蕩の気があるようだ」
「そんな、アウィスさん・・・?」
「まあだけれどそんなことはどうでもいい。ところで、今からどこに行く予定なんだい?」
「カフェとかどうかしら」
「いいね」
と、そこでこっそりとユリアがツルギに近寄ってきた。
「ツルギさん」
「む、何だ?」
「ツルギさんはその、えっと、アウィスさんにそういう目的で、買われたのでしょうか」
「断じて違う」
ツルギが即座に否定すると、彼女はほっと一息ついた。
「そうですよね。ツルギさんは強いから、目的はそっちですよね」
「厳密には違うが、まあそうだな」
実際はツルギが付きまとっているだけである。
と、ここまで言ってユリアは、ツルギの手をそっと握ってきた。む?と思いながらも彼はとりあえず握り返す。
「なん、」
だ。と言おうとして、ツルギは彼女の顔を見た。
「えへへ、」
優しそうな瞳と少し幼さを残した顔立ちが特徴的な彼女は、しかし愁眉を湛えていた。
ゆっくりとユリアは、綺麗な蒼の髪をかき上げる。その何でもないはずの動作までもが、どこか色を帯びていて、
「どうした?顔が赤いが体調でも悪いのか?」
「いっ、いえ!なんでもないです!!」
「?」
ぱたぱたしながら俯くユリア。
ふとツルギはアウィスとルキアに、呆れられていることに気が付いた。
「・・・何だ?」
「君はまあ、いや、気づいていないのなら言うべきではないのだろうけれど」
「前言撤回、アンタ頭悪いわ」
「本当に、何なんだ?」
ツルギは自分だけが状況を把握していないことを知って、少し嫌な気分になる。
・・・と、ここでルキアが何かに気づいてか顔を上げた。
「あら、着いたわよ」
「おや」
「安物だけれど、ここのパンは美味しいのよね」
安物、本当か?とツルギは疑問視しながら店内を見る。中には育ちのよさそうな、いかにも上流階級といった者ばかりがいた。
(・・・そういえばコイツは、こうみえて上級貴族か)
類は友を呼ぶというが、確かにアウィスには高位の貴族でもない限り近づきがたいだろう。ツルギはふと、自分の異質さを自覚した。
(噂にならんといいがな。奴らにバレると少々マズイ)
そんなことを思いながら入っていくと、早速店員がやってきた。
「い、いらっしゃいませ。四名様で、間違いないでしょうか」
「見れば分かるでしょ。とっとと案内しなさいよ」
「はっ、はいっ!」
彼は四人を席に案内すると、そそくさと消えていった。侯爵に公爵、いくら高級店と言えどこのクラスの客には慣れていないのだろう。
(しっかし、コイツ本当に横柄で高圧的だな)
「何よ、じろじろと」
「いや、お前普通にクズだよな」
「悪いかしら」
「悪いんじゃないのか?」
そんなことを言いながらもツルギはぺらぺらとメニューを捲っている。やはりというかなんというか、値段は辟易するほどに高かった。
「まあ俺が払うわけじゃない。・・・おっ、このミートソーススパゲッティとやらも旨そうだな」
「パスタが気に入ったようだね。この間初めて食べたようだけれど、」
「まあな、帝国は緯度が高いうえ大陸性気候であまりに寒いから、小麦粉を使った料理が少ないんだよ。大抵イモとかだ」
と、それを聞いたユリアが彼の方を見つめて、
「ツルギさん、実は私料理得意なので、何か今度作ってあげましょうか?」
「む?お前ら貴族も料理なんてするのか?」
「私がユリアの料理、好きだったからねー」
「なるほどな。それじゃ頼んでもいいか?」
「・・・喜んで!」
ユリアは嬉しそうに微笑んだ。
ツルギはそれを見て、なぜこんなにコイツは嬉しそうなんだと疑問に思った。
(・・いや待て、メルカトルから聞いたことがあるぞ。人間は仲良くなりたい相手には笑顔を見せるそうだ、それか?)
メルカトルのそれが商人の知識なのか、人間関係全般に当てはめられるものなのかは分からなかったが、とはいえどちらも通じている所はあるだろう。
だからツルギも仏頂面を少しだけ崩して、微かに微笑んだ。
「・・・!!」
しかしそれを見た瞬間、ユリアは俯いてしまった。
てっきり友誼の言葉であれ率直な感想であれ、何か言ってくるだろうと考えていた彼は、一瞬置いて首をかしげる。
(・・・よく、分からん)
ツルギはなんとももやもやした。もっともルキアはため息をついて、アウィスは片目をゆっくりと瞑って、
「しっかしユリアも、いばらの道よね」
「そうかい?むしろ私は、ライバルができにくいから楽だと思うけれど」
「確かにそれもそうね」
「・・・」
二人の言っていることがよく分からないからまたすぐに仏頂面に戻って、メニューを見始める。
すると後ろの方に、ドリンクもあった。
「柑橘系の飲み物が多いな」
「・・・急に話を変えるなぁ。まあこの国は日照時間が長く、降雨量が少ないからね」
「レモンジュースも頼むか」
「あっ、私はソーダで。おいそこの、早く来なさい!」
「カフェなのに誰も茶を頼まないね。まあ私も甘いものを飲みたい気分なのだけれど」
そんなこんなでさらに料理も注文して、十分後。
超特急で運ばれてきた料理を、彼らは昼ごはんとして食べていた。
「ふむ、学園のより美味いな」
「そりゃそうでしょ。学園のシェフは優れているけれど、アンタがこの前食べてたのとは値段が違うわよ」
ルキアは大きなパンを頬張りながら、しかしハッキリした滑舌でそんなことを言う。
一方アウィスは水を飲んで、片目をゆっくりと瞑っていた。
「ふむ、良い水だ」
「水に良いも悪いもあるのかしら?」
「淡白なモノが好きな私にとってはね。先輩には分からないだろうけど」
「むっ、なんか嫌な言い方ね」
「お返しさ」
「ルキアは意外と、繊細な舌を持っているのですけどね・・・」
「えっ、嘘だろう」
とある春の、暖かな昼下がり。
賑やかなこの空間は、なんとなく居心地が良かった。
辺りを見回すと、周りの人々もどこか楽しそうに談笑に興じている。
「しかし、この後はどこに行こうか」
「闘技場でも行かないかしら?今日ウーゴ騎士団長が聖王国の誰かと戦うらしいわよ」
「あっ、私もそれ、少し気になっていたんです」
「とはいえこんな大人数で見に行くものかな」
「なによ、みんないたほうが盛り上がるじゃない。賭けで負けた奴が今日のおごりね」
「ルキア、ギャンブルはだめだよ」
わいわい、がやがや。
ツルギはまたも、どう会話に入ればいいのかが分からなくなってしまった。ただまあ、入れないのなら眺めていればいいかとも思った。
「・・・」
この時間は、いつまで続くのだろうか。
人間は永遠ではない。当然のことだ。
今はまだあまり影響が出ていないが、着実に戦火はこの国に迫ってきている。
今はまだ悲劇には至っていないが、アウィスは何者かに命を狙われている。
そして今はまだ時が来ていないが、・・・いつしか彼女らはツルギを置いて、天へと旅立つ。
「・・・」
それに彼は、何を思ったのだろうか。余人には分かることではない。ただそれは、永遠の命を持たずとも、きっとすべての人間にとっての至大の問題であった。




