姉妹
ルキア・フラウィアは天才であった。出来損ないの姉とは違い、いつも周囲から褒めそやされ、評価され、次期当主は確実だと目されていた。
『流石だルキア。それにしても姉のユリアは、まったく・・・』
彼女らの両親はいつもルキアだけを褒めてユリアを貶していた。それは服装、食事、教育、部屋などの格差にも繋がっていった。
『ねえ、ユリア』
『な、なに、ルキア』
『服を脱いで、股を開きなさい』
だからルキアが自分の双子の姉を軽蔑し、さらには凌辱し始めたことも自然だったのかもしれない。少なくともこんな環境で、まともな人格は形成されない。
これまでユリアはほとんど、ルキアに反抗することはなかった。だからか彼女はいつの間にか、ユリアを自分の意のままに扱える物だと考えるようになった。
ルキアはそれで、ますます増長するようになった。
彼女は滅多に挫折することはなかった。だからその増長はとどまることを知らなかった。
だから彼女は今でも忘れない。乾いた土埃がただよう、あの闘技場でのことを。
『はあ、はあ、』
『終わりでいいかい。ルキア先輩』
才気の煥発。神話の鳥と同じ名を持った少女。
手も足も出なかった。同学年の誰よりも優秀なルキアは、まさか年下に負けるなどと露ほども思っていなかったのに。
『うぐっ、えぐっ、』
ルキアは泣いた。増長した心を、粉々に打ち砕かれた。
・・・そして彼女は誰にも負けないくらい、強くなると決めた。
学園高等部に上がる頃には、信じられないほどルキアは強くなっていた。中等部、高等部に上がるにつれて優秀な同期も増えていったが、彼女はその誰より力を付けていた。
いつしか彼女を負かしたアウィスの魔力量を抜いた時、再び彼女は自信を取り戻していた。
・・・ところで自信とは必ずしも、良いモノだとは限らない。アウィスのような、『人』を高く評価するがゆえの自信の高さなら良いのだが、ルキアの自信は人を点数付けして比べた結果付いたものだ。
ルキアの執着はアウィスもだが、特に双子の姉のユリアに向けられた。彼女は自身の方が上だと似た存在に示すためか、あるいは他の理由ゆえか、手を変え品を変え、彼女がより恥を覚え、惨めに感じるように毎晩凌辱しつづけた。
良心の呵責はなかった。
肥大化した自信と植え付けられた価値観は、ユリアという弱者を慮ることはなかった。
子供でも、赤子でも、あるいは動物でも知っている世界の理というべきか。
弱ければ奪われ、強ければ多くの物を手にすることができる。
再度、ルキアは天才である。
一度目の挫折は彼女に、向上心を齎した。ならば二度目の挫折は彼女に、何を齎すのだろうか・・・。
(なんなのよ、コイツ)
ルキアは割れた天空を見上げながら、体を震わせていた。
(なんなのよ、この化け物は!)
目の前の黒髪の男の剣が、紅く輝く。鋭い瞳で、彼が睨みつけてくる。
「心の準備は、できたか?」
「くうっ、」
ルキアはそれなりに、強者というモノを見てきている。アウィスだけではない、高名な騎士団長や帝国の竜人、果ては魔族の王すらも遠目とはいえ見たことがある。
(でもこいつは、それらとも明らかに違う)
全天を覆っていたことから、おそらく今日の雲は高層雲であっただろう。上空7000mに浮かぶとされている灰の海は、しかし一撃で二つに分かたれた。
地平の果てまで続く、割れた雲海。それはさながら神の奇跡の如く。
不気味に揺らめく、黒髪の怪物。
彼が一歩足を踏み出すたびに、彼女の足が一歩後ろに下がる。
「暴力は嫌いなんだがな。俺がなんであるのか、いやがおうにも思い出させる」
「ぐっ、円結界!」
「無駄だ」
ゆっくりとツルギが剣を振り下ろすと、透明な壁は豆腐を切るように両断された。
これでルキアとツルギの距離は、なくなった。
「・・・何なのよ、アンタ」
ルキアは絶望したように、割れた天を見上げながら呟く。
「いくら魔法があるとはいえ、それでもありえない!そもそもアンタには魔力すらない!アンタはいったい、何者なのよ!?」
「決まっている」
さらにツルギは、剣を振るった。今度は肉をえぐるように。
「痛いい゛っ!!」
「俺はただの、化け物だ」
下がりに下がって、部屋の端まで到達してしまったルキアは遅い彼の剣も避けることができず、右肩から胸にかけて切り裂かれてしまう。
噴水のように、血が噴き出る。
(そう言えばアウィスは確か、星龍の血を国王に献上して許されたんだっけ)
顔を痛苦に歪めながら、心を諦めに沈めながら、ルキアはふと思い出していた。
(コイツの正体は、もしかして、)
そう考えた瞬間、ルキアの背筋を先ほどまでとは比べ物にならないほどの恐怖が駆け上った。
勝てるはずがない、そして生き残れるはずもない。超大国を滅ぼした怪物を相手に、ただの一個人が。あるいは人類が。
「どうした、反撃してこないのか」
ルキアはもはや、戦意を喪失していた。生存の意志はあれども、戦おうとは微塵も思えなかった。
「お願い、許して、」
「ダメだ。お前は殺す」
「いやっ!!」
と、ツルギがそこで剣を鞘にしまった。
一瞬だけ、許してくれるの?とルキアは期待して・・・、さらに深く、絶望した。
「終わりにするか」
右足を前に出して、左ひざを地面と平行にした構え。抜剣術。それを食らったらどうなるかは、容易に想像がついた。
「ごめんなさいっ!!許して、お金ならたくさんあげるから!」
「・・・」
この期に及んで出てくる命乞いがそんなものであることに、ツルギは失望した。
「遺言はそれだけか?」
「えっ、?あ、・・・あの、もうユリアのことをイジメないから!姉を大切にするから、だからっ!!」
「よく言えた。では死ね」
ツルギが剣を迸らせる。
ああ、とルキアはこれ以上後ろに下がることが出来ず、諦めて見つめていた。
(・・・なんで、こんなことに、)
魔力こそが、暴力こそが、価値こそが絶対のルキアには分からなかった。たとえ相手が弱い人でも傷つけてはいけないという、単純で当たり前のことが。
人の嫌がることをしてはいけないという、当然の理が。
赤い髪が風に揺れる。剣が迫る。
そうしてルキアは、両断されようとして・・・、
「待って!!」
ユリアが今までで一番大きな声で、そう叫んだ。ツルギの動きがピタッと止まる。
「なんだ?」
「お願い、ルキアを殺さないでください!」
「・・・ユリ、ア?」
ルキアは訳がわからず、茫然とした表情でユリアのことを見つめていた。
と、そこで今までの復讐に惨たらしく殺してと、そうお願いするのかと考えて、
「ルキアは私の、大切な妹なの!」
・・・。
ルキアは頭が、真っ白になるような衝撃を受けた。
大切な妹。まさか、許すとでも、言っているのか?
しかしツルギは首を振った。
「ダメだ。コイツはどうせ、喉元を過ぎたら熱さを忘れる。禍根は断っておく」
「っつ!!」
ユリアが顔を歪める。ツルギは気にせず剣を抜こうとする。
どこまでも冷徹に、殺意に満ち満ちて。
しかしその次の瞬間、ユリアはツルギに飛び掛かっていた。
「やめて、ルキアは私が、殺させないっ!!」
「ぐっ。何故だ、!?」
彼女はジタバタと暴れて、なんとかツルギの動きを妨害しようとしている。ツルギは彼女を押しのけると共に、繭を顰めて、
「お前はさんざんに、ルキアに虐められてきたんだろうが!なぜ邪魔をする!!」
「わああああっ!!ルキア、逃げてッ!!!」
「ぐっ、大けがまでさせられてるのに、どうかしてるんじゃないのか!?」
ルキアですらも諦めた化け物を相手に、それより遥かに弱いユリアは怯むことなく、しかも自分の為でなく襲い掛かっていた。
(・・・ああ、そうなの)
ルキアは思う。散々な扱いをしてきた姉のことを。それでも許すと言ってくれている、姉のことを。
(本当に弱かったのは、私の方だったのね・・・!!)
あるいはツルギという絶対的強者を前にしたからこそ分かった。
人間という弱い生き物なのに、怪物を前にしても輝くような強さを持った、ユリアのことを。
ああ、そうだ。本当の強さというのは、それよりも強い者を前にしたところで褪せることはないのだ。
優しさという、本当の強さは。
・・・そこまで分かったとき、ルキアは自然と立ち上がっていた。
「・・・お姉ちゃん、もう、いいの」
「ルキア、」
「ごめんなさい。今まで虐めてしまって、本当にごめんなさい」
ユリアは気が付いた。ルキアは生きることを諦めたのでなく、生きることを放棄したことに。
ルキアは生きているよりは、死にたかった。
「ツルギ、さあ殺しなさい」
ルキアは彼の方を見ることもなく、そう言う。
「・・・ああ、ハナからそのつもりだ」
ツルギは冷たい黒い瞳で、彼女を見つめて、
「うあああああ!!」
「ッツ!?」
しかしユリアに、押し倒された。起き上がろうとするツルギの両手を、ユリアはぐぐぐと掴んで離さない。
「ルキアっ、逃げてっ!!」
「私はもう、死んだっていいのよ!」
「死んでいいはずないじゃない!!」
「チッ、」
ツルギが手首を内側に曲げて、掴んでくるユリアの腕を指で貫く。
「あぐっ、」
鮮血が噴き出た。腕を貫かれる痛みは、相当なモノだろう。
しかしユリアが彼の手を離すことはなかった。
「お願い、ルキア!!私は貴女に、生きて欲しいの!!」
「・・・なんで、そこまで、」
茫然として、ルキアがそんなことを聞く。
ユリアは泣き出しそうな声で、しかし一瞬のためらいもなく、
「私はあなたの、お姉ちゃんなんだよっ!!」
その言葉を聞いた瞬間、ルキアの瞳から、大粒の涙が流れだしていた。
「なんで、なんでアンタはそんなに、優しいのよ・・・!!」
ルキアが顔を歪めて叫ぶ。
「私はアンタを今までずっと、虐めてきたのに、苦しめてきたのに、」
「でも今のあなたは、反省しているっ!!」
「ッツ!!!!」
そのままユリアは、ツルギを強く睨みつけた。
「ツルギさん、もうやめてください!」
「ばかな、コイツを妹だという理由だけで、許すのか!?頭がおかしいんじゃないのか!?」
ツルギには、血縁関係の重要性は分からなかった。ただそれでも、目の前のユリアが常軌を逸していることは理解できた。
ただ彼女は、首を振って、
「それは理由の、半分です。言いましたよね、私は先生になりたいんです」
「くっ、!?」
「誰かが心の底から反省したのなら、あとは許してあげないといけない。たとえ世界のすべてが敵になっても、私だけは誰かの味方でいてあげなければいけない」
そう、とユリアは言って、
「それが私の理想とする、先生の姿だから」
「『切れろ』!!」
彼がそう言った瞬間、ユリアの頬がざっくりと切れた。ぼたぼたと血が、流れ出してくる。
ツルギは決意のこもった瞳で、彼女を見つめて、
「お前を傷つけてでも、ここでルキアを始末しておかないといけない。そうしないとお前はまた、この女に傷つけられる!」
「・・・痛く、ありませんよ」
「!?」
しかしツルギに切られてなお、彼女が彼を離すことはなかった。手首の時とは違う、常人なら意識すら怪しくなるほどに深い斬撃だ。
ツルギもルキアも、ユリアという一見気弱に見える少女の信念を甘く見ていた。
「くっ、」
ツルギはおもいっきり彼女の腹を蹴りぬいて、なんとか拘束から逃れる。
そして立ち上がってルキアを殺そうとするが、また彼女が立ちふさがる。
「通しません」
「お前は・・・」
「ここだけは絶対に、通しません!!」
「・・・お前は、本当に」
ユリアは強く、ツルギを睨みつける。ツルギの持つ剣を掴んで離さない。
ポタポタと、血が流れていくが気にもしない。
「・・・」
「・・・」
彼らは睨み合う。お互いの信念をぶつけるように。片方はユリアを守るために、片方は妹を守るために。
「・・・」
「・・・」
何が正しいのか。どうするのが正解なのか。
おそらくその、絶対的な答えなどは存在しない。
「・・・」
「・・・」
だからこれは、説得や議論などではない。信念のぶつけ合いなのだ。
どちらのことを優先するかという、それだけでしかない。
「・・・」
ツルギはここで威圧するために、殺気を発する。おおよそ人間では耐えられるはずも無い、怪物の殺気。
空間が凍てついていく。
「・・・」
ただユリアも、必死に瞳で訴えかける。
言葉などなくとも、それは言葉以上に雄弁であった。
・・・。
・・・・・。
・・・そうして、しばらく睨み合って。
「・・・・・はあ、」
しかしツルギは根負けしたように、剣を納めた。
「分かったよ、ユリア」
「・・・ツルギさん、」
と、そこでツルギは再び彼女らを強く睨みつけた。
「だけどよ、またお前が傷つけられているのを見たら、そのときはもう躊躇しない」
・・・そう言うと、ツルギは踵を返して両断されたドアの外に出ていった。
しばらくその足音を、聞き続ける。
コツ、コツ。コツ、コツ。
・・・しばらくして、音は静かな世界に溶けていった。
「・・・ふう、」
ようやくユリアが一息をつく、一息をついて、
「ごめんなさい、お姉ちゃん!!」
振り返るとルキアが彼女に向けて、頭を地につけていた。
「私、今まであなたを、あなたを、」
彼女の声は、震えて続きが出ない。
・・・だからユリアは、彼女を起こすと優しく抱きしめてあげた。
「いいんだよ、ルキア」
「うっ、」
その声にはただ、優しさだけがあった。ルキアを暖かく包み込む、慈愛だけが。
「ルキア、」
「・・・お姉ちゃん、」
「反省出来て、偉いね」
それを聞いてルキアは、堰を切ったように、瞳の奥から涙がとめどなくあふれ出した。
「うわあああああぁん!!」
ポタポタと、ユリアの肩に暖かいモノが零れてきた。
・・・ユリアは、ルキアが自分に対して歪んではいるが、愛情のようなものを持っていることを知っていた。
ツルギには言わなかったが。
実は姉だからというのも、先生になりたいからというのも、彼女を許した最大の理由ではない。
理解されないだろうから、もしくは気恥ずかしいから言えなかったけれど、結局ユリアも、ルキアのことが大好きだったのだ。
割れた天井から僅かに、青白い光が入ってくる。
春のどこか湿った、けれど暖かい風が吹いてくる。
お互いがわずかに見えるだけの暗闇の中、二人は優しく抱き合っていた。
いつまでもいつまでも、二人で抱き合っていた・・・。
一方ツルギは、火傷の痛みをこらえながら廊下を歩いていた。
「ユリアがなぜルキアを許したのか、話を聞いても頭で理解はできるが、心では理解できんな」
善人とは他人を・・・、いや、今回はその下らないラベリングのせいで失敗したんだったか。
アウィスはそれなりに普遍的な意味で善人と言えるだろうが、ここに善悪はない。
善悪ではなくて、きっとここには想いと人間だけがある。
ユリアはユリアなりの考えでルキアを許した。自分は自分なりの考えでルキアを許した。
「結果はたぶん、いい方向に向かったのだろう。ならそれでいい」
ツルギはもう、つまらない『正しさ』や『善』に興味はなかった。
「アイツらが仲直りできたようで、よかった」
彼は最初にユリアに止められた時点で、ルキアを殺す気を失っていた。
そうした方がいいと、自分の頭で考えて。
人間として生きると決めて、十余年。彼はこの日、確かに人間として成長していた。




