怒れる剣王
場面は移って、ツルギは見知らぬ寮の廊下に立ち尽くしていた。
「・・・どこへ、行ったんだ」
はぁはぁと肩で息を吐きながら、ツルギは辺りを見渡している。走る足音でここまでは追えたが、ここで彼はユリアを見失ってしまっていた。
「ちくしょう、なんで俺はこうも遅いんだ。なんで俺は、こうも・・・、」
彼の脳裏には、涙のユリアの姿が映っていた。あの涙は、晴らされないといけない。
「・・・アウィスや『師匠』だったら。きっとアイツの悩みを見抜いて、笑顔にすることができたんだろうな」
自分でもびっくりするような、か細い声だった。
「なんで俺は、こうも・・・」
と、ここでツルギは入居者名が書かれた表札を発見した。いくつかを比べてみると苗字順に並んでいる。
「ユリア・・・、フラウィア」
フだから随分奥だ。ツルギはそう思うや否や、重い脚に無理を打って駆け出していた。
ユリアはベッドの上で、静かに俯いて座っていた。そこにルキアがやってくる。
「ユリア、そう落ち込まないの」
「・・・ルキア。本当に私は、先生になれないのかな」
「ええ、諦めなさい。アンタにはどうせ無理よ」
彼女はユリアのベッドの縁に座ると、紅茶を口に含んだ。
「アンタに何かが、できた試しはないでしょう。教師だなんてそんな下賤な職業について、中でも落ちこぼれたら家格はどうするつもりなのよ」
「それは、」
「おとなしくアンタは家にいなさい。せっかく今代のフラウィア家は、私のおかげで高い評価を得ているんだから」
ユリアは魔法の才能に乏しい。対してルキアは天才だ。
魔法の才能が最重要視されるこの世界で、この差は致命的であった。それこそ妹のルキアが、次期当主とされるくらいには。
立場が違う。二人は姉妹だが、ユリアはルキアの命に逆らうことはできなかった。思えばユリアのこのおどおどした性格も、妹に卑下され続けて形成されたモノだった。
「・・・ねえ、ルキア」
「何よ」
「私、先生になりたい」
「・・・珍しく、食い下がるわね。でもダメよ」
ただこの時ばかりは、ユリアはいつもと違っていた。ふと彼女の脳裏に、彼に言われたことが浮かんでくる。
『凄いなお前。教師とか向いているんじゃないか?』
『教えないと決めていたが、困っているお前を見て思わず助けちまったんだろ?』
『お前は誰よりも、教師になるべき人間だよ』
「ねえ、ルキア」
「・・・何よ?言っておくけれど、私今イラついているからね?」
ギロリと彼女の赤の瞳が、ユリアをとらえる。いつもならこれで、話は終わりだっただろう。
(・・・怖い)
だがもうユリアは知っていた。自分が誰かの、為になれるということを。
「私、先生になるよ」
「・・・」
ルキアは、はあとため息を吐いて、彼女の方に歩み寄る。
ビクンとユリアの体が震えるが、しかし彼女も懸命に睨み返す。
「まったく、可愛い姉の頼みだからと言って、アンタを学園に入れさせてあげたこと自体、間違いだったみたいね」
「あうっ、!」
彼女はユリアの髪を掴むと、無理矢理彼女を地面に押し倒した。
「アンタがこれから一生私に逆らえないよう、体に刻み付けてあげるわ」
「やめて、」
「やめない。これは躾けよ、不出来な姉への」
ルキアは姉の制服の襟をつかむと、ビリっと音を立てて破いた。
「やだ、」
ユリアが恐怖で瞳から涙を流す。
さらにルキアは、シャツのボタンに手を掛ける。思わず遠ざけようと、ユリアが彼女の手を掴むと、
「・・・何を、してるのかしら?」
ボグッと高い音がして、ユリアの腹が殴られる。胃の中のものを吐き出しそうになる。激痛が走る。
そうしてルキアは無機質な表情のまま、馬乗りになってユリアの顔を何度も殴りつける。
ドゴッ、バキッ、ドゴッ、ドゴッ、
・・・しばらくして、音が鳴りやむころにはすっかりユリアは怯え切ってしまっていた。
「痛い、痛いよ、」
ルキアの目があるのも憚らず、泣きながらパンパンに腫れて出血した頬を押える。肌が切れて、青く腫れる。惨めな姿だった。
そんな姉の頭を、ルキアは優しく撫でて、
「ほらユリア、分かったでしょ?ごめんなさいは?」
「ごめんなさい、ごめんなさい、」
「そう怯えないの。従順にしていれば、優しくしてあげるから」
そう言うとルキアは再び、ユリアのシャツのボタンに手を掛けた。
ビクンとユリアは震えるが、もう抵抗はしない。弱者の意志など、暴力の前には何でもない。
果たして彼女はもう、折れてしまっていた。
「ふふっ、可愛らしいわね」
「えぐっ、」
「あ、そうだ」
と、ルキアはボタンを外す手を止めると、ベッドの下に手を入れた。そして少しごそごそして、
「じゃーん!ペット用の首輪、買ってきたのよ」
「ルキア、それで何する気なの」
「決まっているじゃない」
ルキアは笑顔を浮かべて、
「これでアンタを裸で散歩させるのよ」
「え、あ・・・、」
「前々からアンタに、外で色々と、させてみたかったのよね」
ユリアの目から、生気が失われる。絶望に頭が真っ白になる。
一生このまま、ルキアの奴隷のように生きるのだろうか。
夢を否定されすべてを奪われ、彼女の欲望の吐け先として生きるのだろうか。
すべてが昏かった。
弱いということは、こうも。
そうしてカチャカチャと音を立てて、ルキアは首輪をユリアの首に回した。
二人の関係を如実に表す、鉄環を。
・・・何が、いけなかったのだろう。なぜ人は、生きたいように生きられないのだろう。
夢を見ていたかった。夢を叶えたかった。
ただそんな願いは、いつだって悪い人間によって踏みにじられる。
そのままルキアは、金具を嵌めようとして・・・、
ピン、ポーン。
誰からだろうか、チャイムが鳴った。
出るかどうか、ルキアは一瞬だけ悩む。
「・・・まあ無視するのが」
ピンポンピンポンピンポーン。
「うるっさいわね!!」
仕方がなくルキアは彼女から首輪を外す。
「ユリア、他人が見れるように傷を治しておきなさい」
「・・・はい、『シャイニーヒール』」
光が彼女の顔を包むと、出血と腫れは大分マシになった。ユリアの拙い魔法では表面の見た目を治すことしかできないから痛みはあるが、泣きはらしただけのように見えるだろう。
・・・余談だが、ルキアは前回ユリアに制裁を加えた時、治すのを禁じていた。
「それにしても・・・、」
ルキアはため息をつくと、ドアの方へ向かっていった。
「誰よ!」
「ツルギだ、ユリアはいるか・・・って、この声は」
「・・・ツルギ?」
ルキアは怪訝そうな顔をしながらも、仕方なくドアを開ける。
するといつもどおりの仏頂面の青年が入ってきた。細身の彼は、変わらず幽鬼のようで。
ルキアは腰に手を当てながら、彼の方を向いて、
「何の用よ」
「いや、なに、急にユリアが泣いて逃げ出したからな。どうしたんだって、聞きに来たんだ」
と、そこでツルギはベッドの上で涙を流しているユリアを発見した。顔はなぜか腫れ、ベッドは所々赤く濡れている。
「・・・本当に、どうしたんだ。話くらい聞かせてくれ」
そうしてツルギは彼女の方に歩み寄ろうとして・・・、
「ユリアに近づかないで。これは私たち家族の問題よ」
「・・・家族の問題なわけが、ないだろう。将来の悩みじゃあないのか。というかあの怪我はなんだ、」
彼の中に、これをルキアがやったという発想はなかった。彼が鈍いからというのもあるが、それ以上にそれはあまりにも、残酷すぎるから。
ツルギは心配そうな顔で、ユリアの顔を見つめる。
「ユリア、アンタからも言い聞かせなさい」
「あっ、えっと、ツルギ、さん」
「ん?」
ユリアは無理矢理に言葉を絞り出して、
「私なんかが先生になれるはずがないから、その、だからいいんです」
「・・・」
「私、何やってもダメなの。実は勉強もできる方じゃないんです。それにツルギさんに教えられたのは、きっとたまたま相性が良かったからで、だから、」
震えた声のユリア。絶望と痛みのせいで、彼女の心は完全に折れてしまっていた。
しかしツルギは彼女につかつかと歩み寄って・・・、手を握った。
「もし仮にたまたま俺と相性がよかったからうまく教えられたんだとして、でもそれでも問題などない」
「・・・え?」
想定外の発言に、ユリアが目を丸くする。
「実はな、俺は何をやってもダメだったんだ」
「・・・?」
自分もダメだから、ユリアもダメでいいと言ってくれているのだろうか、と彼女は考える。
しかし少し後になって分かるが、それは違った。
彼はユリアがそんな妥協に妥協を重ねたなあなあの考えでなく、しっかりと教師になれる素質を持っていることを知っていた。
「何をやっても楽しくない。いや、楽しいということがどういうことなのか、知りすらしなかった」
メルカトルやアウィスと共にいて、気は安らいだ。だけれど彼らと共に、楽しんだことはなかった。
『師匠』も同じだ。
「俺はさ、誰かを傷つけることしかできない化け物だった。生きる目的や理由はあっても、生きることそれ自体のすばらしさは実感できていなかった」
でもな、と言ってツルギはユリアの目を見つめる。
「初めてだったんだよ。お前から勉強を教わって、あのとき初めて俺は楽しさを感じることができたんだ」
「あっ、えっ、」
「俺はよくは分からないが、先生ってのは生徒を導く職業なんだろ?」
ツルギはニイと唇を歪めて、屈託のない笑顔を浮かべていた。
「ならお前はやっぱり先生になるべきだよ。確かにお前は、俺を救ったんだ」
「あ・・・」
「ああ、くそ、なんだか気恥ずかしいな」
気が付くと、涙が流れていた。さっきまでとは違う、暖かい涙。
ツルギは前とは違う、気恥ずかしくて言えなかった本音で彼女に語っていた。
そうツルギは彼女に、先生になってほしかったのだ。
ユリアは思わず、彼に聞いてしまう。
「本当に?本当に私なんかが、先生になれるの?」
「ああ、俺が保証する。お前は絶対に、最高の先生になれるよ。・・・ユリア先生」
先生。それが敬称であることを、ツルギは知っていた。
ただそれでもツルギは、確かに彼女に敬意を表して、
「―――はあ、」
その時ドンっと、地面を踏み抜く音が聞こえた。
「・・・ルキア?」
「そう、アンタだったのね。私の姉に、変なことを吹き込んだのは」
「・・・・・?」
ツルギは状況が、理解できていなかった。なぜこの状況で、ルキアが怒るのか。・・・実際は、見ないふりをしていただけかもしれない。
瞬間、ユリアの顔が強張った。
「ツルギ、逃げて!」
「・・・?なんだ、ユリア。お前らはどういう、」
「ユリア、見ていなさい。アンタの行動が誰かの助けになることなんて、絶対にないことを」
「だから、何を!」
その時ルキアは、金色の剣を抜いた。・・・まさか、とツルギが気づいた時、彼は息をするのも忘れていた。
嫌な予感に、震駭する。
「皮肉な話よね、ユリアの教えで育った生徒が、そのせいで死ぬだなんて」
「・・・なんで、ユリアが少し褒められただけであんなに喜んだのか、疑問に思っていた。なんで、あんなに自分への評価が低いのか、おかしいと思っていた」
この先を、聞いてはならない。
ツルギは聞かなければならないことを聞こうとして、躊躇って、しかし聞かなければいけなくて、躊躇って、躊躇って、
「もしかしてお前が、ユリアを否定していたのか」
聞いて、しまった。ユリアみたいな善人に、そんな不幸なことがあってたまるかと思って、
「ええ、そうよ」
「お前ぇっ!!」
ツルギは拳を振り上げて、
「焼き焦げろ、上級炎魔法、叢炎」
「ぐっ、!?」
バチバチとなにかが焦げる嫌な音がして、ツルギが吹き飛ばされた。
「ぐああ!!」
「ツルギさん!」
見ると彼の腹部を中心に、赤子の拳ほどの赤く焼け爛れた部分が何か所もできていた。ユリアは顔を真っ青にして、ツルギに駆け寄る。
「ツルギさん、しっかりしてください、ツルギさん!!」
「ああ、残念よ」
ルキアは一歩ずつ、歩み寄ってくる。
「姉の友達を、殺さなきゃいけないなんてね」
その顔はどこまでも冷たく、残酷であった。
しかしツルギの肩を揺するユリアを、彼は安心させるように、
「大丈夫だ、ユリア」
「大丈夫って、そんなはず!」
「いや、これが意外と、そこまで痛くはないんだ」
「熱傷深度、って知っているかしら」
ユリアを安心させようとするツルギに、あるいはユリアに淡々と語りかける。
「人間の皮膚は表皮、真皮、皮下組織の三層になっていて、火傷の度合いは火傷がどこまで届いているかによって評価されるわ」
「何を、」
「一部は真皮という浅い部分までで、一部は皮下組織という深い部分まで達しているのだけれど、今痛みの原因となっているのは真皮までの浅い火傷よ」
「!?」
肉が深くえぐれて、ドス黒く変色している箇所があるのに、そこは痛みがないのだと彼女は語る。
「痛くないけれど神経組織が壊死するのと、痛いけれど治るかもしれないの、どっちが幸せなのかしらね」
「~~~ッツ!!」
と、ここでユリアが二人の間に割って入ってきた。
「ルキア、やめて!」
「あら」
ユリアは地面に膝をついて、頭が着くほど深々と頭を下げている。体はぷるぷると震えていた。
「お願いです、ツルギさんを殺さないで、私いい子になるから、いうことを聞くから!」
「あら、それじゃあもう学校には行かないって、教師なんか夢見ないって約束できるかしら?」
「約束します!私は、」
先生になんてならない。
そう言おうとしたところで、ツルギがユリアの肩を掴んで、起き上がらせていた。
「やめろ、そんなことを、言うな」
「・・・ツルギ、さん」
ツルギの顔色は真っ青になり、額からは汗を滝のように流している。呼吸は不規則に早くなり遅くなり、明らかに無事ではない。
にも関わらずツルギは、ユリアの目を確かに見つめていた。
「アンタは俺とは違う。お前は誰かを救うことができる奴だ」
「でも、貴方は、!」
「なあ、ユリア」
ツルギは無理矢理に、笑顔を作った。唇はぷるぷると、ゆがんでいたけれど
「またお前に、色々なことを教えてほしいんだ」
「~~~~~ッ!!」
ユリアは声にならない絶叫をした。
しかしこのときルキアは、目に残忍な光を湛えていた。
「せっかく許してあげようと思ったのに。この間もたまたま拾って、今回も拾いかけた命をどぶに捨てるのね、いいわ」
「やめて!!」
「やめない。今度はもっと、『浅い』火傷になるよう炙ってあげるわ。助けは来ない。この寮は防音設備と魔法がしっかりしているから。喚いて呻いて、そして死ね」
そうしてルキアは魔法を唱えようとして・・・。
「ッツ!!?」
五体をバラバラに切り刻まれるような錯覚に、身を竦めた。
「なに、今の、」
「なあ、お前は何だって、ユリアを下に見ているんだ?」
突然された質問。ツルギは痛みのためか俯いていて、その表情は読み取れない。
ただそれでもその質問に、ルキアは間髪入れず、
「決まっているじゃない、ユリアに何の魔法の才能もないからよ」
「・・・そうか。なんで魔法の才能がないと、駄目なんだ」
「それも決まっているわ、この世界では力こそが絶対だからよ」
そうか。・・・そうか、とツルギは呟いた。
「誰かを助ける、そんな力はどうでもいいのか?」
「だからそれも、魔法で」
「それはただの暴力だ。誰かを傷つけることしかできない。アウィスは使いたがらなかった」
ギィンギィンと、剣と剣がぶつかり合うような音が聞こえてくる。
「まあだがお前にとっては、そんな下らない力が至上のものなんだろうな。他人を支配し、自らの欲望を押し通し、自らの身だけを守る力が」
「黙って聞いていれば、奴隷風情が、」
ルキアが苛立って、止めを刺そうとして・・・、
キン、と甲高い音が鳴った。
「なっ!!?」
「ああ、怒りを感じるよ。ユリアに暴力を振るうお前に、そして暴力を振るうことしかできない自分に」
「ツルギ、さん・・・?」
「でも今は、これでいい」
屋根が両断され、そこから覗いた夜天に聳える雲が二つに割れる。北の果てから、南の果てまで、ずっと。
「ユリアから何も学ばなかったお前にも分かるよう、俺らの論理で教えてやる。―――暴力はな、振るったら振り返されるんだ」
夜の風が、ルキアの頬を吹き抜ける。春なのに凍えるような、死を思わせるような冷たい風だった。




