悩み
「・・・ってなことが、あったんだよ」
「申し訳ないけれど、その原因は私にも分かりかねるね」
夜、ツルギはなぜユリアが走って逃げていったのか、アウィスに相談していた。しかし彼女もこの情報量では判断は下せなかった。
「ああ、でも」
「でも?」
「一つ思い当たる節がある」
「・・・聞かせろ」
アウィスは斜め上を見るように首を曲げると、片目を瞑って、
「しばしばユリア・フラウィアが落ちこぼれだと言われているのを聞く」
「・・・そう、なのか?」
「ああ。公爵家の令嬢にしては、魔力量がかなり少ないからね。」
「・・・。・・・?」
と、ここでツルギは怪訝そうに眉を顰めた。
「待て、公爵家の令嬢を馬鹿にできる奴などいるのか?」
「そこが謎でね」
アウィスはお手上げだと言った風に、片目をゆっくりと瞑る。コイツのこの癖、状況に関わらずと彼は少し思った。
「そもそも私は別学年の事情に明るくない。興味がなかったから」
「そうか。・・・ところで魔力量の多寡と家柄、どっちの方が重要なんだ?」
「程度にもよるし、環境にもよるし、人にもよるね。例えば私は第一王子からは恭しく扱われているけれど、それより家格が下のルキアに対等に思われているかな」
勿論ルキアの方が私と実力が近いというのもあるが、実際は性格的な面が大きいねとアウィスは語った。
「それじゃあユリアが他の奴からバカにされている可能性は、本当にあるのか。いやだが、わざわざあんな良い奴を馬鹿に意味が、」
「意味なんて必要ないよ。人は呼吸をするように弱者を傷つけ差別する」
なるほどツルギも少ない対人経験の中で、そういう人間は腐るほど見てきた。
パンを盗んで逃走した浮浪者が、逃走時に馬車に轢かれて亡くなった。ある人はそれを当然だと語り、いい気味だと笑った。
死ぬほどのことか?・・・人は人を、無意識に憎んでいる。
公園で子供たちがよってたかって、ある子どもに暴力を振るっているのを見たことがある。
その理由はなんだ?・・・人は人を、無意識に憎んでいる。
人は鬱憤を晴らしたいのだ。目障りで憎らしい、他人を攻撃することによって。
その他人が社会的にであれ肉体的にであれ道徳的にであれ、弱者であれば都合はいい。
あるいは善人とは、人を憎むことのない者なのかもしれない。
ツルギはこの不確かな世界で確かな生きる指針を得るために、『善』の正体を探し求めていた。
・・・閑話休題。
「ああ、とはいえユリア先輩は公爵家の令嬢。それに最上級生だ」
「・・・というと?」
「実際はごく一部の変な人間が、誹謗しているだけの可能性が高いね。身分の高い者や金持ちを憎んでいる者は多いんだよ」
なるほど、それで能力の低いユリアが標的になったのかとツルギは納得する。
「『俺は能力でここまでのし上がったのに、無能なアイツはなんで初めから公爵なんだよ』って感じか?」
「ああ。それでユリア先輩の魔力量にだけ目を付けて、誹謗して自尊心を満たしているというわけだ。・・・いや、これはもはや中傷かな」
そうだ、他の人間は魔力量で勝負しようとしている者が多いのかもしれないが、ユリアの土俵は教育だ。
ならば彼女の魔力量を瑕疵とするのは、誹謗というより中傷に近いと言いたいのだろう。
「・・・まったく、そんな下らないことでアイツの自尊心を傷つけるとはな」
「私にとっても、この仮説が本当なら些か不快だね。先輩が不憫なのはもちろん、どうせ人間など、上に行こうと努力する以外で上には行けな・・・、忘れてくれ」
『上』という言葉が気に入らなかったのだろう。
だからツルギは話を変えて、
「それで、お前はユリアがどこにいるか知っているか?」
「生憎と。まあすぐには解決しない複雑な問題だ、君の生活もある。それとなく出会った時に聞けばいいと思うよ」
「・・・だができる限り解決は急いだほうが、」
「止めておけ。それがたとえいい方向だとしても、急激すぎる変化は人間にとって毒なんだ。人間とは連続性の生き物だよ」
ツルギはアウィスの言っていることの意味が、よく分からなかった。・・・よく分からなかったが、善人に近いような気がする彼女の言うことだ。
たぶん正しいのだろう。
「・・・分かったよ」
「それは何より」
仕方がないからツルギはいろんな授業に出てみて、そこでユリアに近づくことにした。
・・・ただここで、アウィスは魔力を持たないか弱いツルギの身を考えてこう言っただけで、ユリアのことを考えるなら即座に動いた方がいいに違いはなかった。
善人であれ何であれ、より身近な人間を優先するのは当然の理である。多くの人間を愛せようが、誰を憎むこともなかろうが、その愛に多寡があることに違いはない。
大げさなたとえだが大切な家族と地球の裏側の人間とで、その生死を同列に扱う者はただの狂人であろう。
ツルギはある意味騙されてしまっていた。
結局『善』だのなんだの、安易な指針に頼ってしまっていたことがツルギの失敗と言える。
それは決して、善でも正しいことでもない。
彼が彼女を見ることがないまま、5日が経過してしまった・・・。
あの日から一週間、魔法学の講義にて。
ツルギが今日もいないんじゃないかとヒヤヒヤしながら辺りを見回していると、後列の方にユリアが座っていた。
彼女の姿を認めると、彼はまっすぐに彼女の方に向かう。
「よお、ユリア」
「・・・ツルギ、さん」
変わらず表情は暗かった。怪我をしたのか頬にガーゼを当てている。まあ怪我など大して珍しい世界ではない、ツルギは気にせずに歩み寄って、
「まあそう暗い顔をするな」
ツルギはさも当然のように、彼女の横に座る。
と、そこでユリアは突然にノートをしまって、
「今日は何も、教えませんから」
「・・・」
「私の隣にいても、いいことはありませんよ。あそこにいるアウィスさんの方に向かったらどうですか?」
「・・・。」
ツルギは何を言うでもなく、教科書を開いた。そして少しして講義が始まった。
「~~~で、あるかして・・・、」
ツルギは手を動かしながら講義を聞いている。ユリアはふと、今度は彼が講義に着いてこられていることに気が付く。
「・・・」
―――ツルギは一瞬だけ、ユリアが嬉しそうに目を細めたことを見逃さなかった。
「魔法にはそれぞれ級が定められていて、新しくつくられた魔法もこの枠組みの中に入れられますが・・・、」
「ふむ、ふむ、」
彼の開いているノートは、すでに右の厚さと左の厚さがそう変わらなかった。綺麗な、おそらく女性のモノと思われる赤い字で説明も書かれている。
(・・・やっぱり、私は必要なかったんだ。だって彼にはあの、アウィスさんがいるもの)
ユリアは、悲しむと同時にほっとした。
講義の時間は、過ぎていく・・・。
講義の終わり際、ツルギは困惑していた。知識の空隙というかなんというか、どうしても分からない問題があったのだ。
彼の地頭は良い。ただそれでも、『なぜ魔法の規模にはその日の天気も関わってくる』のか分からなかった。
(メンタル面の問題か?それとも雨の日は魔力粒子が地面に流されるとか、いや、仮説の域を出ないな)
妥当な仮説はいくらでも出てくる。しかし確たる答えは出てこない。ツルギは唸って、腕を組んで、しかしやはり分からない。
(・・・マズイ、これ以上は講義に着いていけなくなる)
仕方がないから、理解は一旦放棄して先に進もうとして、
「太陽光が散乱する際に、光エネルギーの一部が魔力に変換されるからですよ」
「む?」
「太陽光はそのまま地表に降り注いだら地表が焼けるくらいには大きいエネルギーを持っています。有名な神話に、太陽に近づきすぎて焼けて墜落した神鳥がいるでしょう?」
「ああ、」
「そんな多量の光エネルギーが全て、魔力に変わるんです。魔法の規模も変わりますよ」
見かねたのかユリアが、そんなことを言ってきた。なるほど、とツルギは頷く。
ちなみにツルギが科学にそこそこ詳しいことを、ユリアは把握していた。
「ん?この話は今教授が話していることにも関係しているな?」
「ええ。なのでこれが分からなかったら、この先も理解できません」
「ふむ・・・」
これは助けられたな、と彼は思う。思ってまた、講義に戻る。
「で、あるからして・・・」
これ以降、難しいところはなかった。
少ししてカーン、カーンと授業の終了を告げる鐘の音がなった。
・・・。
本日最後の授業だからか、既に生徒の大半は颯爽と帰ってしまっている。
ツルギはふむ、ふむ、と小さくつぶやいたのちノートを閉じた。
「なあ、ユリア」
彼はそして、彼女に話しかけた。
「なんでしょうか」
「なんであのとき、逃げたんだ?」
「・・・」
ユリアは答えない。空気が一気に暗くなったのを感じた。ただツルギは、そのまま彼女の方を向くことなく、呟くような声で、
「なんであのとき、お前は泣いたんだ?」
「・・・」
「黙っていてくれるなよ。俺はお前の助けになりたいんだ」
ツルギにしては珍しく、わざと柔らかくした声だった。・・・珍しくというよりかは、初めてだったかもしれない。
ユリアはゆっくり口を開いて、
「・・・私は先生には、なれないからです」
「なんでだ?」
「・・・どうせ私が先生にならなくても、何も変わらない。貴方にアウィスさんがいたように、他の先生がどうにかしてくれます、だから、」
「む?」
ツルギは彼女の発言を間違っているように感じた。なぜなら、
「アウィスに教えてもらったが、アイツとの勉強はつまらなかったぞ?」
「・・・ッツ!!」
「分かりやすくはあるんだがな、奴の教え方はどうも性に合わん」
仮にアウィスであったのなら、さっきの説明は『太陽光のエネルギーが魔力になるのさ』ぐらいで終わらせていただろう。それでツルギは理解できる。
彼女は多くの、それこそほぼすべての教師がそうであるように、勉強の説明は相手に分かりやすくだけを心掛けていた。
ただユリアはツルギが無駄な、とまでは言わないが必須ではない説明を好んでいることを、見抜いていた。
「適材適所とは言うが、まさにそうだな。お前は教師として優れているよ。それこそアウィスより」
「・・・アウィス、さんより。」
「それに、そんなのは本当は対して重要じゃない」
「?」
そんなのは重要じゃないとは、どういうことだろうか。
不思議そうに首をかしげる青髪の少女に、ツルギはまた笑いかけて、
「教えないと決めていたのに、困っている俺を見て思わず助けちまったんだろ?」
「・・・それはっ、そうですが、」
「やっぱりな」
「ならお前は誰よりも、先生になるべき人間だよ」
ユリアの言葉が、詰まった。
「なあ、」
ツルギは再び問いかけた。
「なんでお前は、苦しんでいるんだ?」
「なんでって、」
「たぶんお前は、先生になることを諦めているんだろう?家のせいか?」
「・・・ええ、私は公爵家の娘ですから」
「そうか。」
夕日が昏く教室を照らす。穏やかな静寂に、人のいなくなった講義室が包まれる。
ツルギはどうにも人間とは、一見くだらなそうなことに拘泥するモノだなと思った。
だが事実、仕方がないのだろう。
(こいつらには無数の関係があり義務がある。生きるということは、自分の現実と向き合うということだ。・・・しがらみを断ち切ることは、難しいのだな)
ならば、
(俺がそのしがらみを、『断ち切って』やる)
ツルギはゆっくりと手を挙げる。ユリアが不思議そうな顔をする。
(『根源回帰、第一段階』)
ツルギの瞳が紅く煌めく。ギイン、ガインと、鉄と鉄がぶつかり合うような音が聞こえてくる。
(剣界侵食、対象概念設定完了、)
空気の質が、明らかに変貌する。おおよそ人智を越えた、なにかが起ころうとしている。
(・・・『師匠』)
そうしてツルギは思い出す。永遠と共に幽玄に揺らめく、白髪の少女を。
(貴女の言っていたことはまだ納得はしかねるが、それでも言おうとしていたことは分かった)
(俺はただ、大切な者の剣であれればいい)
「さあ、剣を振るうとするか」
そのまま彼は、その手を振り下ろそうとして・・・、
ふとユリアの頬の傷が、やけに目に入った。
「・・・待て、」
「?」
「何だその、傷跡は」
怪我をすることなど珍しい事ではない。
「あ、えっと、」
だが彼が尋ねると明らかにうろたえたように、ユリアはきょろきょろとあらぬところを見て、
「その、料理をしているときに、包丁で切ってしまったんです!」
「~~~ッツ!!!」
このときツルギは、自分でもマズイ顔をしていることに気がついていた。ひっと、彼女が叫び声を上げる。
「なあ、ユリア」
「な、なんでしょう・・・?」
「それ、切り傷じゃないだろ」
「!?」
何の因果か、彼にはそれが分かってしまう。
彼は俯きながら、再び、
「なあ、」
「・・・」
「何なんだよ、その傷跡は・・・!」
吐き出すような声だった。なぜ怪我した理由を偽ったのか、それはもう、こういったことに鈍いツルギにとってすら想像に難くなく。
「・・・忘れて、ください」
「・・・!」
ツルギは気づき、後悔した。
考えることを放棄した時点で、より彼女にとって良い選択を選ぼうとしなかった時点で、自分は善などとは程遠いモノであるということを。
「これ以上は、ツルギさんが危ないです。貴方は奴隷・・・、いや、誰でも危ないか。アウィスさんだろうと」
「ユリア!!」
「さようなら」
ユリアはそう言うと立ち上がった。また去るのだろう、あのときのように。
・・・だがあのときとは、明確に違うことが一つあった。
「待てユリア!!」
彼は傷の嘘に気づいた時点で、こうなることも想像していた。彼はバッグのひもを、気づかれないようユリアの足に回していた。
「行かせはしまい!」
最悪転ばせてもいいと、彼はバッグを引っ張って・・・、
「ごめんなさい、」
「ぐ、がっ!!?」
「これ以上貴方を、巻き込めないの」
ドゴッと、鈍い音がした。
「がっ、があっ、」
気付くとツルギは鳩尾を強く、殴打されていた。
想定外の、それこそ本当に想定外の攻撃。まさかこの少女に攻撃されるなどと、誰が想像できようか。
「ぐっ、うっ、」
内臓が破裂したような痛みが走り、一瞬意識が消失する。
腐っても公爵家。ユリアの身体能力は、ツルギのそれを遥かに上回っていた。
「ぐっ、がっ、待て、待てっ・・・!!」
必死に体を起こすが、既にそこにユリアの姿はない。
「・・・なんで、」
ツルギには理解できなかった、わけじゃない。きっと自分を、危険から遠ざけようとしてくれたのだろう。
ドタドタと、まだ向こうから走る足音が聞こえる。
「ああ、ちくしょう、」
「ユリア、俺は強いんだよ。信じてもらえないだろうけれど、この世界の誰より」
気付くとツルギは痛みも忘れて走り出していた。
今度こそは泣いている彼女を、救いだしてやりたいと。




