初めての勉強
「・・・で、あるからしてこれは~~~」
「ふむ」
「むにゃ、むにゃ、むっ!?」
「居眠りとは感心しないね。君は何回寝るんだ」
収容可能人数200人越の大講義室で、ツルギとアウィスは魔法学に関する講義を受けていた。
引っぱたかれたツルギは、ごしごしと真っ赤に腫れた目を擦った後、
「俺は頭を使うのが苦手でな、小難しい話を聞いていられんのだ」
「その割に君は洞察力、観察力共に光るものがあるようだけれど」
「そっちは慣れてるからな」
慣れているから、なるほどそれは真理だとアウィスは思った。新情報を大量に詰め込まれても情報の処理に追われ、創造的に思考を働かせる余地も、学問の実世界との関連を見出す余地も、また他の学問と関連付けて自らの世界を築く余地もなくつまらないだろう。
勉学は初学者に対してその無数の趣や面白さの一つをも出し惜しみ、ゆえにほぼすべての人間から嫌われていた。
「とはいえそれでも、学ぼうとしないことには前進はないよ」
「俺はそもそも、勉強をするつもりでここに来たわけじゃないからな」
彼の言っていることは、筋は通っている。ただアウィスにとって、目の前にある進歩のためのチャンスを捨てたその姿は好ましくなかった。
(・・・とはいえどうしたものかね。私はあいにくと、できない者を説得する言葉を持たない)
アウィスは『分からない』が分かるようになる喜びを知らなかった。『分からない』それ自体の苦しみも実感したことがなかった。
彼女にとって学問とは、元からぼんやりと形が見えている物の形を定めることに過ぎないのだ。そんな彼女がどうして、勉学を強要することができようか。
それにもう黄昏時で、電灯のない古めかしい講義室の中は寝るのにちょうどよかった。
辺りを見渡すと、居眠りしている学生は一人や二人ではない。
(まあ勉強は学生の義務というが、こういう義務は強制すべきモノではないからね)
だから彼女は仕方がなく、講義に戻ろうとして、
「あの~~」
「む?」
唐突に、ツルギの隣に座っていた少女が話しかけてきた。
「何だ?」
ツルギは目の前の少女を一瞥した。
空のような色をした青い髪に青い髪。豊満な体にそこまで高くない身長、優しそうな顔つきは、どこか安心感を覚えさせる。
「い、いえ、すみません、えっと、その、」
むう?とツルギが怪訝そうな顔をする。ひどく気弱そうな少女であった。
「何の用だ?はっきり言え」
「えーと、ツルギさん、でしたよね?」
「ああ」
「ツルギさんは・・・、授業についていけていないから寝てしまうんだと、思うんです」
「まあ、だろうな」
と、そこで矢庭に少女はバッグの中に手を入れた。
ごそごそ。ごそごそ。
「・・・?」
「あった!」
しばらくして少女は、そこから一冊のノートを取り出した。
「これまでの、魔法詠唱学の講義をまとめたノートです!良かったら、見てください!」
「ありがたい。・・・が、どうせ俺では分からんぞ」
「えーと、結構分かりやすく書いたつもりです!」
テンぱっているな、とアウィスは感じた。
(確かあの子は教師志望のユリア・フラウィアだったかな?)
高位貴族で教師を志望する者は少ない、というかほぼいないから、公爵家のユリアが教師になろうとしていることは学生の間でそれなりに有名であった。
(噂では落ちこぼれだと聞くけれど、)
アウィスは横目でちらりとノートを一瞥して・・・、舌を翻した。
「ど、どうですか、分かりますか・・・?」
ユリアがそんなことを、心配そうにツルギに聞く。ツルギは最初のページと睨めっこして、・・・
「ほう、」
いくらかして、次のページに進んだ。そしてまた、しばらくそのページを見た後に、次のページに視線を移す。
ツルギは興味深そうに頷いていた。
「・・・凄いな、俺でも分かる」
「本当ですか!?」
「ああ」
パァーっとユリアが顔を明るくする。その表情は、先ほどまでの気弱の少女のものとは、思えないくらいに嬉しそうだった。
ただアウィスは、喜ぶのも当然だろうと思った。
(よく整理されたノートだ。理路整然と、そしてなにより分かりやすく)
難しい用語には平易な文での説明がついていて、簡単ゆえにしばしば教科書などでは省略される解説も1から10まで書かれている。
(もちろんすべてが書かれた教科書など、それなりにできる者にとっては毒でしかない。論理と論理の行間を読む練習にもならないし、今までに学んだことを応用するのにも向かないからだ)
要するにそのノートは、できない者に向けて作られたモノであった。・・・当然だが『できない者』にはこんなノートを作ることはできない。
(努力、したのだろうね。落ちこぼれというのも、この魔力量のせいで言われているだけか)
おそらくユリアは生まれつき、勉強ができる人間というわけではないのだろう。『できない者』に向けたノートはその気になったらアウィスでも作れるが、作る気にはなれない。
(・・・よい人材だ、ユリア・フラウィア)
そして何よりアウィスの興味を引いたのは、ツルギが面白そうにそのノートを読んでいる所であった。
初学者にも勉学の面白さを実感させる、あるいは面白くさせる。これは勉学から逃げようとしたことの無い、アウィスには決してできないことであった。
(公爵令嬢の君が教師になるのは立場上難しいだろうけれど、私は君が夢をかなえることを祈っているよ)
と、その時授業の終了を告げる鐘が鳴った。教師が教壇でぶつぶつと本日の授業の要点の説明とあいさつをして、その後に生徒たちが散り散りになっていく。
「ユリア先輩」
「えっ、あっ、アウィス様」
「様はよしてくれ、家格で言えば君の方が上だ」
アウィスは片目をゆっくりと瞑って、
「今日はありがとう」
「あ、あえっと、」
「5限目、今日の授業はこれで終わりなわけだけれど、君は何か用事とかはあるかい?」
「い、いえっ」
そうか、とアウィスは微笑んで、
「良かったらツルギに色々と、教えてもらってもいいかい?」
「あっ、喜んでっ!」
「ふふ、ありがたいね」
アウィスは大方、ユリアは人に教えるのが好きなのだろうと判断していた。そして都合よくツルギも、少し勉強に興味が湧いたようだった。
(もしかしたら私は、遠からずして暗殺されるかもしれない。ツルギには恩義があるからね、権力者とのパイプを作っておけば後々良いだろう)
ツルギに金を与えても魔力量のない彼のことだ、いつか奪われるのが関の山だろう。
危険を押してでも彼が学園に来ることを許容したのは、彼の後々の人生を考えてである。
弱者は武力を持たない限り、弱者から抜けることはない。
・・・ともかくも、今はアウィスは自分が邪魔者になると判断した。
「じゃあね、ツルギ、ユリア先輩」
「さようなら、」
「・・・」
ツルギは返事をしなかった。熱中しているのだろう。
アウィスは踵を返して、部屋を出ていった。
「・・・。」
「・・・。」
沈黙が続く。ツルギは黙々と、ノートを見つめている。
「・・・。」
「・・・。」
沈黙が続く。ただその沈黙は、正しい意味での沈黙ではなかった。
「・・・。」
「・・・。」
ある意味でそれは、対話であった気もする。少なくとも中身のない世間話よりはよっぽど、会話であった。
と、4ページ目に差し掛かった辺りでツルギが口を開いた。
「なあ、ユリア」
「はい、なんでしょう」
(今気づいたけどタメ口?)
「この負の相関ってのは、どういう意味なんだ?」
「ああ、それはですね、この辞書を引くといいですよ」
「なるほど」
ユリアは安直に答えを示すことはしない。それぞれの生徒に合わせた、よい教育をすることを目指している。
「ふむふむ、ああ、帝国時代とは言葉も変わっているんだな。当然か」
「ええ?」
(・・・帝国時代?)
「なるほど、相関係数というモノもあるのか。この係数が負になる場合を指すから負の相関というんだな?」
「え、ええ」
ユリアは少しだけ、ツルギの理解の速さと発想の柔軟性に驚いた。
(アウィスさんみたいに人間離れしているわけじゃないけれど、ルキアよりは、たぶん、)
「む、これはどうなってるんだ?なんかおかしい気がするが、」
「あ!・・・すみません、記述が間違えてました」
「これはきっと、~~というのが正解なんだな?」
「ええ!偉いです、今までの内容を確実にモノにできていますね」
「ははっ」
ツルギはなんとなく、小気味がよかった。勉強それ自体が楽しいのか、分かるということが嬉しいのか、もしくはそれ以外に理由があるのかは分からなかったが、とにかく小気味がよかった。
ふと頭に、『師匠』の言っていたことが過る。
『存外人の世は、楽しいものですよ』
当時『楽しい』ということがどういうことなのかは分からなかったが、これが『楽しい』ということなのかと、ツルギは目を見開く。
唐突にツルギは顔を上げて、
「凄いなお前。教師とか向いているんじゃないか?」
「えっ!!?」
それを聞いた瞬間、ユリアは一瞬だけ戸惑って、しかしそのすぐ後に満面の笑みを浮かべた。
・・・しかしそれも少しの間だけ、なぜだか彼女の表情は一気に暗くなった。
「・・・ユリア?どうした?」
ツルギは不思議そうに訊ねた。どうしてそんな、表情をするんだろうかと思って。
「・・・ごめんなさい、」
「ユリア!?」
「ごめんなさいっ!!」
ユリアは泣き出すと、矢庭に立ち上がって教室の外へと走り出して行った。バッグだけを持って、ノートを置いて。
「待て、ユリアっ!どうしたんだ!」
「追いかけないでください!」
ツルギは慌てて立ち上がると、ノートだけを持って彼女を追いかけた。
だがツルギは全力で走っても時速20㎞に満たない。いかに落ちこぼれと言えど、ユリアは魔力がないわけじゃない。
彼の足では彼女の背は、どんどん遠くなるばかりであった・・・。




