裏・前
表舞台の裏側
シュローメ・リリ・ピサンバナスは家族が嫌いである。
長子相続が原則のこの国で、長子を贔屓してしまう傾向は仕方ない。
だが、両親である国王夫婦の態度は度を越していた。
「ジゼールは将来、この国を背負うのよ。今の内しか我儘出来ないのだから」
「大目に見てくれ、シュローメ」
姉ジゼールが癇癪で暴れる度に、こちらが悪者にされる。こちらが煮え湯を飲まされる。
そんな日々が続けば、両親でも嫌いになる。
姉に関しては、生理的嫌悪と憎悪しかない。
「何よその目! 気持ち悪い目でアタクシを見ないで!」
ヒステリックな叫びと共に、閉じた扇が振り下ろされた。
顔を狙ったそれを腕で庇うが、当たった部分が痛い。青色に変色しているだろうと思いつつ、感情のない声で謝罪する。
腕を押さえるシュローメに満足したのか、鼻を鳴らしてカツカツと足音も高らかに去っていく。
シュローメは左目の色素が薄いらしく、緑色ではなく赤色だ。
姉にはそれが不気味らしく、会う度に怒鳴られては暴力を振るわれる。
感情のまま手を出すなど、幼いとはいえ貴族令嬢としては失格だ。まともにマナー講習を受けていないだけはある。
生まれつきの色をどうしろと言うのだ。両親に暴力を告げても、たまたま当たったという姉の嘘を信じる。
何度も同じ偶然があるものか。肉親への信頼は失せ、お望み通りに髪を伸ばして隠してあげた。
すると、今度は侍女や侍従へ暴行を始めた。
それも地位が低く、姉の脅しに屈して事実を隠すような相手を見極めて行うのだ。
シュローメの目の色云々だけでなく、低い沸点で誰かしらを虐げたい本質なのだろう。血の繋がりに吐き気を覚えた。
「ねぇ、お姉様を怒らせる傍付きは要らないでしょう? 私付きにしてくださらない?」
侍女長は姉の味方だ。姉を心配する振りをして、配置換えをさせた。怒りで暴行しても取り押さえられる者、何かあれば怯まず報告できる者、そういった侍女や侍従と取り替える。
代えさせた相手は初対面で怯えるものの、まだ薄ら残る傷跡を見せれば納得した。その上で、強い感謝と忠誠を捧げる。
こうして、シュローメは絶対的な味方も得た。
だが、姉も八つ当たり相手が居なくなると漸く気づいたらしい。最後の一人を救う前に、母から注意された。
我儘で周りを困らせるな。姉の方が何倍も酷いだろうと思うが、言っても無駄なので止めた。
それでも、一人で姉の暴力相手は酷い未来しか見えない。早く助けなければと味方達と話していると、別の人物が動いた。
その侍女の恋人で、アルトという騎士だ。
頻繁に姉を訪れては、社交辞令で褒める。見え見えのお世辞だと言うのに、姉の機嫌はしばらく良くなるのだ。
「単純なお姉様」
恋人の為に、理不尽な権力者に媚びを売る。アルトが嫌悪感を隠しているとはいえ、真に受けて喜ぶ姉が馬鹿らしい。
あの様子なら暫くは持つ。そう考え、シュローメは自分がしたい事を始めた。
その内の一つが、王立図書館の裏庭を借りて花を育てる事だ。
大輪華姫と呼ばれる姉と対比し、地味なシュローメを小輪だと馬鹿にする噂がある。
小ぶりの花は数多く咲いて美しいのに失礼だ。馬鹿な噂を嘘だと証明するべく、誰もが利用して見る機会がある場所に、小ぶりの花を咲かせる事にした。
たっぷりと水をあげ、懸命に世話をする。一人で作業していたからだろうか。何故か、花は茶色く変色し枯れていく。
「どうして……」
隠れた目から涙が零れた。最後の一株も枯れかけ、桶に水を入れ、元気になれと与えようとした時だ。
「ちょっと待って!」
後ろから声をかけられて、大きく体が跳ねた。
振り返れば、少し息を荒らげて少年が駆け寄って来ている。同じか、少し上。橙の髪と黄色の目が綺麗で、見蕩れた。
「駄目だよ、そんなに水をあげちゃ!」
「ど、どうしてですの? 花なのだから、水は沢山ある方がいいのでは?」
「限度があるんだよ。あげすぎると、お花の根っこが腐っちゃうんだ」
世話をするからと簡素な格好だからか、少年は気軽に話しかけてくる。嫌な気分にはならない。
それよりも、少年の言葉がやけにこびり付く。
水をあげすぎた花は根が腐る。愛情を与えられすぎて根本からねじ曲がった姉が思い浮かび、酷く納得した。
「そうでしたの。わざわざありがとうございます。詳しいのですね?」
「いいんだよ。俺の祖母が植物好きで、俺も興味があるんだ。これ、沢山の花が咲く品種だよね?」
「……ええ。大輪の花では無いですわ」
「そうだね。でも、どっちも良さがあるから俺は好きだよ!」
ニコッと笑う少年。その笑顔に、胸を貫かれた感覚がした。
優しい少年。顔が熱くなる。声を出そうとすると、胸がつかえて上手く言葉が出ない。
そうしている内に、遠くから大人の声が聞こえた。それを聞いた少年がハッとしてそちらを見る。
「ごめん! 俺、もう行かなきゃ! 綺麗に咲くといいね!」
引き止める間もなく、少年は去っていった。その背中も、顔も、言動行動、全てが鮮明に焼き付く。
胸を押さえると、強く高鳴る鼓動が伝わってきた。
彼に恋した。そう実感した瞬間、甘い感覚で全身が痺れた。
名も知らない少年。着ている服を思い返すと、貴族だろう。
城に帰って両親に調べてくれるよう頼んだが、姉がまた我儘を言ったらしくて後回しにされた。邪魔しかしない姉だ。
両親の権力を諦め、味方達にお願いする。皆、穏やかな性格から人付き合いが広い。
人から人へと聞いていけば、いつかは分かるはずだ。
急く心を抑えながら、出会いの場で世話を続ける。改めて世話の仕方を勉強し、水の量も変えて与える。
努力が実り、残った株に沢山の花が開いた。感動のあまり、涙が零れた。
この感動を彼と分かち会いたくて、数輪だけ取って押し花へ変える。栞にして渡せば喜んでくれるはずだ。
同じ時に、少年の身元が判明した。
ヨハネス・ブロウ。ブロウ伯爵家の長男で、シュローメの一つ上。ブロウ伯爵家は十数年、王家が称えるような功績は上げていない。しかし、王家が叱責するような損失も出していない。
安定した領地運営だ。前当主夫婦がまだ頑張っているらしい。現当主夫婦は欲はあるが手腕がなく、次期当主たるヨハネスに期待をしているという。
降嫁先として問題ない。昨今、政略結婚でも相性は必要だろうと、十歳前後まで婚約を見送る例が多い。その為か、ヨハネスも婚約者が居ないようだ。
急いでブロウ伯爵家に婚姻の申し出をしてもらわなければ。意気揚々と両親の元へ行く。
「ジゼール! どういうつもりだ!?」
「何度も言っているでしょう!? アタクシはアルトと愛し合っているの! 他の奴なんかいらないわよ!」
「なんて事……! 平民の騎士なんかに、惑わされているのね……」
「そうじゃないわよ! お母様こそいい加減分かってちょうだい!」
扉の前で騎士に止められたが、中からの喧騒は十分に聞こえてくる。
いつも以上にヒステリックな姉の声と、咎める父の声と、嘆く母の声。
どうやら、姉の婚約者を王配候補者から選定する話が出て、姉が拒絶したようだ。
アルトの演技を信じきってのめり込んでいる。人を見る目が本当にない。
姉の癇癪はそれからも続いた。
両親は付きっきりで、シュローメが話す暇がない。
一度、父の服を掴んで無理に引き留めた。だが、姉を慰める母に呼ばれ、父は約束だけして去ってしまった。
事が終われば、必ずシュローメの話を聞いて叶える。
言質が取れただけ良かったと、仕方なく大人しく待つ。
姉の婚約者にシュローメの愛しい人が選ばれ、婚約届も出されてしまった。
そう聞いた瞬間の絶望を、シュローメは一生忘れないだろう。
何が必ず叶える、だ。前々からシュローメが望んでいた相手を、勝手に姉なんかに与えた。
騎士と似ているからと言うが、色しかあっていない。
あの騎士は恋人と会うまではそこそこ遊んでいたらしく、女の扱いに長けていた。対して、ヨハネスは実直な様子だった。
纏う雰囲気が全く違う。
それすら分からないとは、両親も見る目がない。
憎い。憎い。憎い。
「大輪の花でも、根が腐っているなら要らないわよね」
シュローメの呟きに、周りにいた侍女や侍従は無言で頷く。
大人しくするのは止めた。肉親の言葉は信用ならない。動かなければ、自分だけ損をする。
覚悟を決めた証に、侍女にお願いして散髪してもらった。
長い前髪を切り、視界が開ける。もう迷わない。
顔合わせから最悪だった姉は、婚約披露パーティーでも最悪を貫いていた。
こちらとしては、愛しいヨハネスと踊らなくて良かったと安堵する。
尤も、ろくに練習していない女だからダンスは避けるとは予想していた。
パーティー後、約束を覚えていた父に呼び出されている。
侍女に頼み、パーティードレスと髪を仕上げ、軽い化粧も施してもらった。重要な物を抱え、両親のいる部屋へと入った。
二人はシュローメの変化に驚いている。