ニオの記憶
かつては自動車の行きかっていた高速道路を徒歩で行く。ボディアーマーに身を包んでいた二人だが、カイムは司令部から離れると、息苦しいマスクを外した。
「……一応パートナーなわけだから心配するけど、大丈夫なの?」
汗で湿った髪をかき上げつつ、J54と書かれたマスク姿のニオへ目をやる。
「うわっ、なにその目」
「……? さっきと同じだろ」
「いやいや、なんか人殺しの目というか……とにかく鋭くなってるよ」
「ああ、ここはもう戦場だからな。癖だ」
何百度も戦場を渡り歩いてきたカイムには、安全なドームを出た時点で、体が戦うための準備をする。初夏だというのに流す汗も、神への復讐心が宿る瞳も、意識に関係ない反応なのだ。
「とはいえ、本当にマギアを吸っても平気なんだね。どれ、ボクも試してみるか」
「試すって……おい」
マスクを外し始めるニオを止めようとしたが、間に合わず顔が露になる。しかし、一切マギアに侵されるような反応はなかった。
「機械だから平気なのか……? いや、体は人間を模してるとか言ってたよな」
「流石に対策済みだよ。口の中も気管も、なんなら内臓も全部マギアへのコーティングがされてるからね」
「……そこまで、マギアの研究は進んでいたか?」
軌道エレベーターをはじめ、世界中でマギアについては研究されているが、発見から二十年経っても大した進歩はない。やっとボディスーツとマスクが戦闘に耐えうる段階まで進歩したが、その程度だ。
だというのに、ニオはどうだ。抱きとめた時、確かに体は人間と変わりなかった。今こうしてマスクをとっても、普通に呼吸している。
ちょっとしたコーティングでどうこうなるとは、カイムには思えなかった。
そんな様子を見てか、ニオは遠くを見るような目で口にした。「記憶はあるか」と。
唐突かつ、カイム自身にとっても答えづらい質問に黙ってしまった。
それを知ってか知らずか、歩きながらニオは話し出す。
「ボクにはないんだ。いつどこで生まれて……っていうのは違うか。正確には誰になんのために造られたのか。それがわからない」
「人類軍に造られたんじゃないのか」
「いや、違うよ。人類軍にそんな知識はないのは調べたからね。まぁ簡潔に話せば、気づいたら、というか起動したら、人類軍の輸送ヘリにいたんだ」
起動という言葉を間違えたあたり、ニオは自らをAIなのか別のなにかなのか迷っているのだろうと、カイムは思う。
「誰が造ってどうやって送り込んだのかは知らないけど、目が覚めた一瞬だけまっさらだったボクの記憶領域には、すぐ今の自我データが形成されてね。それより前のことは何一つ思い出せないんだ」
つまり、どこかの誰かが、人類軍が有しているマギアの知識の上をいった。その知識と、なにを使ったのかは知らないが人体を模す体を造り、人類軍へ潜り込ませた。
(いったい、誰がそんなことを……)
ニオのような人間と遜色ないデータを造り、マギアに適応した体を造るなど、神でもなければ不可能だ。
(その神も、人類とは敵対している。まさか敵に塩を送るようなことはしないだろう)
「仮の身分証明書が手元にあって……って、聞いてる?」
「ん、ああ。すまない、気が抜けていた」
「人が結構重たい話してるんだから、集中して聞いてよね」
「……ああ。よく聞かせてもらう」
「なんか、変に集中されても怖いな……でもまぁ、その後も不思議でね。なぜか人類軍の一員に登録されてたんだ。それで上の人が、カイムのサポートに回れって命令してきた。人間で例えるなら、目が覚めた瞬間に知らないところにいたと思ったら、周りは自分のことを知ってる、とかかな」
「……それは少し、わかる」
カイムの言葉を同情かなにかだと受け取ったニオだが、その顔を見て、眉をひそめた。
「いや、俺のことはいい……」
「ボクの秘密は話すのに、そっちはダンマリっていうのはどうかと思うけど?」
「長く生き伸びたら、いつか話してやる」
肩をすくめたニオは、だから死なないと口にする。しかし、カイムの言葉の真意はもう一つある。
今までとは全く違う戦場に、違和感が大きくなりつつあるのだ。
生き延びるのはニオもそうだが、カイムが生きていなければ話せない。そして今回の戦場は特別故に、忘れかけていた「死」を思い返していた。同時に、決着がつくとも、少なからず思っている。
そもそも、この戦場渡りということ自体が、神の用意した「舞台」のようなのだ。その上でカイムは戦い続けている。
(この舞台を生き残り、神を気取る奴を見つけだすことができれば……)
復讐の業火も収まるかもしれない。憶測とはいえ、今までとは違う戦場へ向けて気を入れなおすと、渋谷への道を急ぐ。
(弄んだことは、必ず後悔させてやる)
その心に、常に復讐の炎を揺らしながら。