第7話
「覚えてなさい! バカ男!!」
チェリーナは部屋に戻ると金切り声とともに、門を望む窓に向かってクッションを投げた。
「よくも騙したわね!」
チェリーナはキッと壁に寄るメイド達を振り返ると、ソフィアめがけてクッションを投げた。
一打目は力が弱く届かなかったので、二打目は一歩近づいて確実に当ててきた。
兇器になる物なら避けていたが、クッションなので甘んじて受けてやった。
顔面にヒットしたことで気が済んだチェリーナは、肩で息をしながらソフィアをにらんだ。
「私は、伯母から聞いたままをお伝えしただけです」
「言い訳は許さないわ! 出ていきなさい! あのジメジメした貧乏屋敷に帰るがいいわ!」
喜んで、と、心の中で答えながらお辞儀した。
「それと、お給金をもらえるとは思わないことね!」
お金持ちになりそこねたわね! キャハハ! と高笑いされながら、ソフィアは廊下に出た。
こんな目に遭ってお給金をもらえないの? とソフィアは素直にがっかりした。
しかし、こんなに早く帰れることになって嬉しかった。
やるべきことはやったし、上手くいったし、帰ろう。
晴れ晴れした気持ちでエンリカに事情を話し、チェリーナの部屋から戻ってきたふたりにも別れの挨拶をした。
「ごめんなさい。お嬢様を怒らせて迷惑をかけてしまって」
「いいのよ。部屋を追い出されて、早く戻ってこれたし」
「それに、クラリオン伯爵が帰って行った時のお嬢様の顔、最高に間抜けで笑えたわ」
お給仕をしながらしっかり見物していたふたりはクスクス笑い、エンリカが見たかったと呟いた。
♢♢♢♢♢♢♢
ソフィアは次に、執事部屋に行った。
無事たどり着きノックして名乗ると、セグレトはすぐに出て丁寧に招き入れてくれた。
顔色は相変わらず悪かったが、この前より全体に力があるように見えた。
机の前に戻ったセグレトと目が合った。
メイドの身ではなく、自分自身のことをじっと見られている気がして、ソフィアはドキリとした胸を抑えるように少しうつむいた。
そして、ひと呼吸してから報告した。
「屋敷を出ることになりました」
もう?と言いたげに、セグレトは目を見開いた。
「もう?」
「はい……」
口にも出されて、ソフィアは思わず苦笑いを返した。
「お嬢様を、怒らせてしまいまして」
ソフィアのさばさばした口調で、セグレトは察した。
「わざとでは?」
ソフィアはセグレトから視線をそらせた。
復讐したなど知られたくなかった。認めようかどうしようか迷ったが、思い切って言った。
「はい。チェリーナ様の流した噂によって、私が長年仕えてきたラナロ子爵のお嬢様が傷つけられたので、やり返しました」
「やり返した……今夜のパーティーか。 チェリーナ様はクラリオン伯爵のことをひどく貶していたのに、急に彼のためのパーティーなどおかしいと思っていた。伯爵はすぐに帰ってしまったな……」
お客様達も立腹しながらすぐお帰りになって、また、お嬢様がなにかしてしまったかと聞きそうになって、セグレトは一度口を固く引き結んだ。
「伯爵がまた振り向かず……それで、お嬢様はお怒りなんだろう?」
「はい。思いを寄せる方に去られる、苦しみと悲しみを知ってほしかったのですが……お嬢様とチェリーナ様では、お心の作りが違うようです」
クラリオン伯爵への復讐に燃えるようなチェリーナの言動を思い出し、ソフィアは無念と憂いのため息をついた。
伯爵に何事もなければいいが、それが無理なら今度は逃げられればいいがと思った。
お嬢様のことしか頭になく、伯爵にまた迷惑がかかる事態にしてしまったかと、復讐を少し後悔した。
気を揉むソフィアを、セグレトは落ち着いて見ていた。
やり返したと聞いた時は少し戦慄したが、後悔しているような表情を見てほっとして言った。
「お嬢様は勝ち気な方だ。このままにはしないだろうが、もうすぐ、伯爵のことを考えていられる状況ではなくなるはずだ」
ソフィアは目を見開いて、セグレトの顔を見あげた。
「ギャレオン氏に資金を渡してきた。やはり、旦那様が任を解かれるまでは待てないそうだ」
セグレトは一瞬悲しみに囚われた後、硬く厳しい表情をソフィアに向けた。
「少し探ってみたが、正確な決行日はわからなかった。だが、一週間以内に決行されるのは間違いない。君はお屋敷に戻り次第、この事を子爵に伝えてくれ」
「子爵に?」
「子爵から、王の耳にも届けてほしい。そうなれば、ギルド周辺の警備が強化され、焼き討ちを防げるかもしれない」
焼き討ちを防ぐ? ソフィアは注意深く耳を傾けた。
「焼き討ちが行われなくとも、伯爵の管理する貿易ギルドがそこまでの問題を抱えていることは、もはや王の知ることになっているから、必ず、伯爵になにか処罰を下すはずだ」
「被害を出さずに、問題を解決できるかもしれないのですね?」
希望に輝くソフィアの瞳に、セグレトは微笑みうなずいた。
「正確な日付がわからないから、完全には防げないかもしれないが、警備兵がいれば被害を少なくはできるだろう。それに、子爵からお伝えして今回の件で手柄を立てておけば、ただ伯爵の巻き添えになるよりはいいはず……全ては王のご判断次第だが……」
「ありがとうございます。子爵のことまで、ご配慮くださって」
ソフィアは心を込めてお辞儀した。
「お嬢様のためにも、子爵をお守りせねばと思ったんだ」
ふたりは仲間として、笑顔を交わした。
「計画実行の前に、あなたが屋敷を出れてよかった……お嬢様にお見舞いをお伝えください」
「ありがとうございます」
セグレトの微笑みに、ソフィアも微笑み返した。
彼の平和的な考えを聞き胸が温かくなった。
それから、セグレトのことが心配になって、両手を胸に当てた。
「セグレトさんも、無事に屋敷から逃げてください。絶対ですよ?」
「ありがとう、わかった」
笑ってうなずいたセグレトを、信じるしかなかった。
ソフィアが部屋を出た後もずっと、セグレトは扉を見つめていた。
初めて会った時のソフィアはメイド特有の無表情で、職務に対する厳しさと、伯爵を手伝う自分への反抗心が顔に出ていて、こちらも無感情無関心でいた。
しかし、子爵のお嬢様と自分にまで向けられた思いやりに、この屋敷に来てから心に受けた傷が癒やされた。
主人のために復讐するほどの忠義心も、やはり羨ましかった。
お嬢様の心の傷が癒やされるのを願い、その後を知るためと理由をつけつつ、ソフィアにぜひもう一度会いたいと思った。