第4話
ソフィアがラナロ伯爵家のメイドとなった日。
大部屋でベッドを割り当てられたソフィアは、早速メイド服に着替えた。
子爵家のメイド服はエプロンにフリルがついて可愛かったがここのにはなく、ホワイトブリムもなく、黒いワンピースとシンプルなエプロン。清潔だが質素な感じだった。
メイドはソフィアを入れて5人だった。
奥様が若いメイド嫌いで、姿を見せないようにしろとのお達しまで受けた。奥様の目がないのは有り難い。好きにさせてもらおう。
メイドを采配管理するハウスキーパー、エンリカはソフィアの母と同年代だが、わずか数年前に雇われた人だった。金で割り切ったシビアな考えをする人で有名だ。
「あなたも、お嬢様に無理やりここに来るように言われたの? お気の毒に」
エンリカは無表情であっさりと言った。それから、ソフィアの役割についての説明をこう締めくくった。
「私はなぜだか、お会いしてすぐにお嬢様に嫌われてしまったわ。今では、お嬢様に近づくことも禁止されていますから、お嬢様のこと一切はあなたに任せます」
エンリカの切れ長の目とへの字口の無表情は、厳しいことを言ってきそうな感じがした。言うことを聞かなそうな雰囲気もある。それでチェリーナは接近禁止命令を出したんだと確信した。
チェリーナに会えなくなるのはまずい。エンリカの厳しさは年齢が出す厳格さかもしれないが、私も表情や態度には充分気をつけなければ。
ソフィアは早速チェリーナの部屋に通され、豪華絢爛でいて可愛い部屋の長椅子に座る彼女に挨拶した。
「今日からお世話を担当させていただきます。ソフィアと申します」
「よろしくね」
チェリーナは長椅子に体を預けたまま、お辞儀するソフィアを見上げて笑った。
ふわふわキラキラした金髪をなびかせて、ピンクのドレスを着て笑顔を見せる姿には可愛さがある。これだけなら……
「ふふ、屋敷も私の部屋も、今までいたところより広くて綺麗でビックリしたでしょ?」
「はい、とても」
いきなりの自慢も想定内。だけど、予想通り過ぎて笑ってしまいそう。無表情でいるように充分気をつけなくちゃ。
気を引き締めているソフィアに、チェリーナは勝ち誇ったような笑顔を向けた。
「あの娘、どんなご様子かしら?」
またもや予想通りな質問に失笑をこらえて、ソフィアは無機質なメイドとして答えた。
「毎日、泣いていらっしゃいます。あのご様子では、もう一生お部屋から出られないかもしれません」
「ふふん。ずっと出てこなくていいわ」
ピキピキしつつも、ソフィアはいつもの無表情をキープできたが、怒りが体から溢れてしまいそうだった。
しかし、上手く体に押し込めることができた。メイドは空気の変化に敏感だが、壁際に控えて様子を見ているメイドふたりは石像のように動かなかった。
チェリーナは満足そうにニコニコしていた。
この令嬢の勝ち誇った顔はこれで見納めにしたい。
さっさと言うことを言って、お嬢様と私から興味をなくさせましょ。
「以前のお屋敷のお嬢様は、お気の毒でした。音も葉もない噂のせいで全てを失ってしまいました」
「子爵の娘ごときが、クラリオン様に相手にされる訳ないものね。本当にお気の毒」
いい返しをありがと。お礼に良い事を教えてあげる。
「はい。クラリオン様は、チェリーナ様にお心を寄せつつありましたから」
「えっ?」
チェリーナは驚きに目を見開いたが、何度もつれなくされているので、ソフィアを見る顔つきには疑いの色が濃かった。
信じこませなきゃ。
ソフィアはその意識を今一度強くして、揺るぎない口調で一気に攻めた。
「私の伯母が、クラリオン様のお屋敷で働いています。この度の噂に驚いて、母のところへ来て話していました。『クラリオン様は伯爵になられたばかりで女性に構っている暇はないし、なにより、最近はチェリーナ様のことを気にしていらっしゃるようだった。身持ちの固い方だから、ついついご好意につれなくさなっていたけど、私にはわかる。後少しだった』と、残念がっていました」
「後少し……」
チェリーナは自分の冒した過ちに震えた。
後少しなんて、もちろん、嘘。
真実の伯母は「ついに、クラリオン様もチェリーナ様に目をつけられた。今が大事な時なのに」と嘆き、噂を流されてからは「やられた。お気をつけなさるように言ったのに、クラリオン様は誠実ゆえに正直な反応しかできなかったの」と、さらに嘆いていた。
「後少しという時に、あのようなスキャンダルが」
「もういいわ。下がりなさい、みんなよ」
動揺を隠しきれないチェリーナに、ソフィアはお辞儀して部屋を出た。
上手く信じ込ませたかとほっと息を吐いた。
これで、お嬢様から気をそらすことができた。
せいぜい、叶わぬ恋にもう一度身を焦がすがいいわ。
「なぜ、あんな嘘をついたの?」
メイド達が後ろからソフィアに詰め寄った。
このふたり、私より若いのに、あのお嬢様のお世話によく耐えていること。
「クラリオン伯爵が、お嬢様に好意を寄せていらしたなんて、嘘でしょう」
ふたりとも、嘘とわかりきっていると言いたげだ。
ソフィアは声を低くして言った。
「ええ、嘘よ。ラナロ子爵のお嬢様が、チェリーナ様の流した噂でどんな目に遭ったか知っているでしょ? 私は、チェリーナ様に復讐するつもりなの。邪魔しないでね」
ふたりはギョッとしたが、すぐに面白がる笑みをみせた。
「そんな人が現れないかと、話していたんです」
「邪魔はしません」
「ありがとう。そうだわ。ふたりとも、新しい雇い主を探した方がいいわよ」
「え?」
ソフィアはふたりに少し顔を寄せ、声を潜めた。
「ラナロ伯爵が管理している貿易ギルドを、焼き討ちする話が持ち上がっているの。近いうち、伯爵の立場は危なくなるわ」
「やっぱりね。貿易関係者からの訴えがよく来てて、伯爵は全部無視してた。きっと怨まれていると屋敷のみんなで噂していたのよ」
「お給料がよくて我慢してたけど、早く出ましょ」
うなずき合うふたりに、ソフィアは安堵した。
「みんなにも、教えてあげなきゃ」
「復讐のことは、秘密にしてね」
「わかったわ」
「あの人達なら、大丈夫だと思うけど」
ソフィアも大丈夫だろうと思い、エンリカの部屋に向かうふたりについて行った。