第1話
私はソフィア。
グローリア王国ラナロ子爵家のお嬢様専属メイド。
私は生まれた時から、ラナロ子爵家に仕えてきた。
私の母は10代まで令嬢だったが家が没落し、縁戚であるこのラナロ子爵家に姉と共にメイドとして引き取られた。
幸い、お嬢様のお父様とお母様は優しく、最初は母達をメイドとして扱うのに躊躇するほどだった。
そこで、すでに運命を受け入れていた母達が進んでメイドの仕事をこなした。今では、母は奥様に代わって屋敷を管理するハウスキーパーに、伯母は別のお屋敷のハウスキーパーになっている。
私は、幼い頃から母を手伝ってきた。
小さなメイドさんとよく言われ、年頃になってからは、一人娘のお嬢様専属のメイドになった。
成りたての頃は、メイドでいるのが嫌だった。お嬢様と自分を比較していたから。
けれど、母から、お嬢様が幸せでいるお手伝いができて嬉しいでしょう?その気持ちに誇りを持ちなさいと教えられて、メイドの自覚が芽生えた。
お嬢様が美しくいることが、私の幸せ。
お嬢様が褒められることは、私の喜び。
お嬢様が悲しむことが、私の不幸。
お嬢様が傷つけられることは、私の怒り。
お嬢様は私の誇り。
私の誇りはズタボロに傷つけられた。
目の前では、お嬢様が静かに泣いている。
もう何時間、そうして窓辺に座っているかわからない。
気品漂う整ったお顔は歪み、白い肌は青くなったり赤くなったり変貌して涙で荒れてきている。艶のあった蜜色の長い髪はパサついてきて、梳かそうとしても「もういいの、もういいの」と拒否されてしまう。ドレスを着せようにも「こんな明るい色のドレスなんて、もう着られない」と拒否されて、寝間着にショールを羽織っているという有様だった。
お嬢様の変わり様は、あまりにショックだ。
けれど、冷静に向き合わなければ。
お嬢様は、婚約破棄されてしまったのだから、この状態は無理もないこと。
突然の婚約破棄の原因は、お嬢様の浮気
なわけがなく、ラナロ伯爵家の令嬢チェリーナの嫉妬。
ラナロ伯爵とラナロ子爵は本家と分家。
チェリーナとお嬢様は従姉妹。「分家の娘の分際で、私の気に入ってる人と結婚するなんて許せない! フフ、見てなさい……」とでも思ったのか。
チェリーナがしでかしたことは、お嬢様と他の男性との浮気の捏造。
浮気相手にされたのは、若き伯爵レオン・クラリオン
彼を知っている者なら一度は目を奪われる、美しい人。
伯爵に成りたてで、その地位に相応しい者になろうとする立ち居振る舞いも、人々の好感を集めている。
清廉潔白で、人の女に手を出すなどあり得ないと、誰もがわかる人。
なぜ、そんな人をスキャンダルの相手に選んだのかと呆れるところだけれど、それはチェリーナがクラリオン伯爵につれなくされたから。
同じ伯爵といっても、チェリーナの家の方が王に目をかけられていた。王に任命された貿易管理の役についてから、多額の金を王に収めつつ莫大な財を成し始めているのだ。
チェリーナもそのことを鼻にかけ、思い上がっている。
自分が相手にされないなど、あり得ないということだろう。
そして、子爵に過ぎないお嬢様の元婚約者ルギア・ラントは気に入ってるだけ、本命はクラリオン伯爵だそうで。
本気の男につれなくされて、怒り心頭したのだ。
それにしても、本命と他の女の浮気を捏造するとは、考えられない愚かな行為に思えるけれど、子爵のお嬢様と伯爵のクラリオン様では結ばれないと思っているのだろうか。ましてや、事実無根でも噂を流された者同士、今後一切接近するはずはないと踏んでいるのかもしれない。
チェリーナが伯爵の清廉潔白さと、お嬢様の奥ゆかしい性格を知っていればこそ……そんなおふたりが浮気するなど、あり得ないとわかりそうなものだが、スキャンダル大好きな貴族達にはわからなかったのだ。
貴族も貴族だが、問題はチェリーナだ。
メイド界隈に流れるチェリーナの評判は最悪。わがままで男に目がなく、人の物を取るのが大好き、何人ものご令嬢が泣かされてきたという。
ああいう娘が、名のある貴族の婦人になると厄介だと、皆戦々恐々としていた。
私も初めて会った時から、嫌な印象しかなかった。
本家の娘とはいえ、お嬢様に礼儀もなく、あからさまに見下した態度を取っていた。同い年だから、どんなことでも少しでも上でいたいのだろうか。
それでいて、男がそばに来た途端、なよなよとした態度に豹変して、甘ったるい子供のような話し方になる。
その調子で、口汚く卑しく聞こえるはずの浮気話も、上手くラント子爵の耳に吹き込んだのだろう。
現に、ラント子爵はチェリーナがいかに自分を心配してくれたかをお嬢様にひけらかし、今もチェリーナの元に入り浸っているという。
愚かな人。
自分との結婚を無邪気に喜んでいたお嬢様を、なんの疑いもなく浮気したと信じて婚約破棄するなんて。
ある意味、純粋なのかもしれないけど。
もう、お嬢様とは関わらないでいただきたいです。
お可哀想なお嬢様。
いけない、私が泣いてはお嬢様をまた悲しませる。
今は歯を食いしばり堪えるしかない。
この胸の痛みなど、お嬢様の苦しみに比べればなんともない。
あらぬ噂を流され、いきなり婚約破棄され。
クラリオン伯爵が「彼女とは社交界でご挨拶する程度、ふたりきりになったことはない」と声明を出すと、勝ち誇った顔でやって来たチェリーナに「やっぱり、子爵の娘が相手にされるわけがないのよ。これからは、誤解されないようにもっと慎みなさい」と指をさされ、何重もの屈辱と悲しみを受けた。
チェリーナがお帰りの際は、窓から放り出してやろうかと思ったが、なんとか堪えたものだ。
それもこれも、お嬢様のため。
お嬢様……
チェリーナに言われなくとも慎み深く、ささやかでも幸せだった人生は、めちゃくちゃにされてしまった。
私の人生も。
私もベッドに泣き伏し、食事も喉を通らなくなっていたが、天の救いか、チェリーナに会う機会が与えられた。
機会をくれたのは、他ならぬチェリーナ。
私はチェリーナに復讐しに行く。
お嬢様は奥ゆかしい性格が祟って、なにもできない。
チェリーナとの関係も少なからず、性格に悪影響を及ぼしているのだ。
今までは、チェリーナを前に萎縮するお嬢様を見ていることしかできず、もどかしかった。
今はもう、もどかしがっている必要はない。
私、行って参ります。