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この作品には 〔ボーイズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

縞馬のナイフ

作者: サブロー



「佐伯さんって、将来絶対禿げないですよね」


 午後の始業まであとわずかというところで、右隣に座る佐伯さんにそう声を掛けたら、思いのほか穏やかな微笑みで返された。縁なし眼鏡の向こうで、両目が困ったように細められる。


「いきなり何の話ですか」


 佐伯さんは両目の大きさが違う。右目がくっきりとした二重で、左目は一重。仕事中は、おれの方から見ると一重まぶたの横顔が見えるから、その性格のとおり穏やかな人に見える。右側から見るとちょっと厳しそうな顔。それでいて、正面から見ればあまり違和感がない。ちょっとした騙し絵みたいだ。


「髪の毛のね、密度が濃いじゃないですか。絶対禿げない髪質ですよ」

「そうですかねぇ」

「絶対そうですって。お父さんとかお爺さんとかどうです? 禿げてないでしょ」

「そう言われてみればそうですねぇ」 


 俺の問いにのんびりと答えて、佐伯さんは自分の後頭部を軽く掻いた。真っ黒で硬そうな髪は量が多くて、几帳面に後ろに流されている。四十になったばかりだというが、佐伯さんはところどころ白髪が目立つせいで年齢よりも老けて見える。以前それを指摘したら、「染めるのも手間がかかりますからねぇ」とやんわりと言われた。


 無礼でガサツな俺を、佐伯さんが叱ることは滅多にない。一応、上司と部下の関係ではあるから仕事のミスを嗜められることはあるけれど、佐伯さんの注意はスポンジで軽くぽこぽこやられているみたいな感覚で、どれだけ言われても嫌な気持ちにはならない。


 俺がもう一押し力説しようと思ったところで、始業のチャイムが鳴った。午後の仕事を始めなければならない。俺は佐伯さんに右手を差し出して、愛想良く笑ってみせた。


「佐伯さん。また借りてもいいですか」

「はいはい」


 口元を緩ませながら、佐伯さんはデスクの引き出しから黒い長方形の箱を取り出した。角が擦れて白くなった蓋を取り、そのまま俺に箱ごと差し出してくる。


「どうぞ」


 中には銀色のペーパーナイフが収まっていた。ナイフの部分は鏡のように磨き上げられ、持ち手が六角形になっている。使い込まれているせいで、元々持ち手に描かれていたであろう模様はすっかり薄くなっていた。


「お借りします」


 恭しく頭を下げてから、俺はペーパーナイフを箱から取り出した。大きさはそれほどでもだが、すずでできたそれはずしりと重い。この頼もしい重さを、俺は気に入っていた。


 俺の机の隅には、昼前に受け取った郵便物が重なっていた。ペーパーレスのこのご時世でも、外部からは容赦なく封書が送りつけられてくる。

 初めから総務課宛のものや、宛先の課が明記されていないものは、俺か佐伯さんが封を切って中身を確認する。俺は一番上に載っていた白い横長の封筒を左手で取り、封をされた口のわずかな隙間に、ナイフの切先を潜り込ませた。


 錫の重みに任せるように、そのまま刃を向こうへと滑らせる。繊維を断ち切る微かな感触が指先に伝わり、小気味良い音が耳に届いた。そして、完全に接着面は分離して、ナイフはスパッと抜けて行った。この瞬間が、痺れるくらいに好きだ。


 封書の中身なんてそっちのけで、きれいに開かれた断面を眺めて惚れ惚れと言う。


「気分が良い……」

「それは良かったです」


 佐伯さんがくすくすと笑いを漏らした。掠れたその笑い声は、紙を裂く音に少しだけ似ている。





 佐伯さんがいる総務課で席を並べて働くようになったのは、去年の四月からだ。それまで俺は、この会社の営業マンだった。物怖じしない性格が功を奏して、俺は若手でもそこそこの成績を残していた。


 しかし年度末決算を目前に控えた二月、俺は取引先との飲み会で泥酔し相手方と激しく口論した挙句、帰りに地下鉄の階段から転げ落ち、見事に右足を骨折してしまった。取引先からは愛想を尽かされ、さらには身動きのできなくなった営業マンに、当然ながら会社は冷たかった。


 部署異動の時期に差し掛かっていたこともあり、俺は療養という名目で総務課へと配属になった。一年間の反省期間。同期にはそう揶揄された。

 別に総務の仕事を馬鹿にする気はなかったが、外に出られず社内に篭りきりになる日々を思うとうんざりした。俺は同じところでじっとしているのが大の苦手なのだ。


 思いっきりくさくさしていた俺の右隣の席になったのが、佐伯さんだ。正しく言えば、元々佐伯さんが座っていた席の隣に、俺が来た。


 初めて会ったときは、冴えないおっさんだなぁ、と思った。眼鏡は時代遅れの型でダサいし、モスグリーンのベストは垢抜けなさに拍車をかけているし。褒められるのは贅肉のない身体つきくらいだ。その上、四十そこそこで主任というのは、うちの会社ではかなり出世が遅い部類だった。


 営業課の上司が、佐伯さんのことを「我が社の問題児」と言っていたのを一度耳にしたことがあったが、問題も面白みもなさそうだった。佐伯さんの野暮ったさが、俺自身の立場を改めて思い知らせるパーツのように感じて、初めのうちは気が滅入ったものだ。


 けれど働き始めてひと月もしないうちに、俺は佐伯さんに心を開くことになった。

 佐伯さんは誰に対しても……それこそ俺に対しても丁寧な敬語を使う。しかも俺のことを「北條さん」と「さん」付けで呼ぶのだ。落ち着かない。

 営業では上下の力関係が絶対で、上司からきれいな言葉を使われるのはむず痒かったから、ある日俺は顔をしかめて言った。


「ていうか、タメ口でいいですよ。俺めっちゃ年下ですし」


 佐伯さんは驚いたように、まばたきをした。両目の大きさが違う、と気が付いたのはこのときだったように思う。

 そして佐伯さんは、普段は見せない悪戯っぽい笑みを浮かべて、こう返してきたのだ。


「じゃあ、北條さんもタメ口でいいですよ。僕は大した人間じゃないので」


 思いもかけない応え方に、俺は呆気に取られてしまった。そして、なんだかこの人面白いな、という感想を抱いた。タメ口を使え、と言う大人と初めて出会ったからだ。結局どちらも譲らず、俺たちは敬語で話すことになった。


「相手によって態度とか言葉を変えるのって、面倒でしょう」


 どうして敬語なんですか、と訊いたとき、佐伯さんはそう応えた。「それに僕は平等主義なので」と冗談めかした言葉を付け加えて。

 相手の年齢や立場を、いちいち慮るのが嫌なのだという。礼儀正しいというよりは、極度の面倒くさがりなのかもしれない。


 佐伯さんは基本的に口数の少ない大人しい人だが、たまに真面目な顔でふざけたこと言って、俺を笑わせてくる。そして「どうしたんですか」なんて素知らぬふりをして、ニヤリと笑ってみせるのだ。


 佐伯さんがそうやって遊び心を見せるのは、大抵、俺が苛立っていたり、仕事に集中できていないときだ。俺にだけじゃなく、課内の誰に対してもそういう振る舞いをしている。佐伯さんは出世に興味がないだけで、本当は人の上に立つのが向いている、と俺は思う。


 本気出したら出世できましたよね、と言ってみたことがある。佐伯さんは一瞬黙って、「僕は影が薄いので」とごまかすように笑ってみせた。


「佐伯さんは、影が薄いっていうか、透明感がありすぎるって感じです」


 いまいち納得がいかなくて、俺はそんなよく分からないことを言った。でも、佐伯さんは良くも悪くも透明だ、というのは常日頃から思っていた。さりげなくみんなの力になっているのに、誰からも見られないようにしている。

 佐伯さんは両目を同じくらい大きく見開いた。そして、しみじみと頷きながら、真剣に言った。


「僕はね、北條さんみたいにズケズケ物を言える人って、とても素晴らしいと思うんです」


 褒められたのか、けなされたのかよく分からなかったが、俺はとりあえず真面目な顔を作って「ありがとうございます」と答えておいた。佐伯さんは、表情はあまり変わらなかったけれど、どこか嬉しそうにしていた。


 出会ったころから、佐伯さんは、封書を開けるとき必ずペーパーナイフを使っていた。そんな道具を目にするのも、使う人を見るのも初めてだったから、「なんでステーキ食うときのナイフ使って手紙開けるんですか」と訊いたら、その日いっぱい佐伯さんは肩を震わせていた。


 ペーパーナイフというものを知らなかった自分が恥ずかしくて、ぶっすりと拗ねる俺に、佐伯さんが何度も「すみません」と笑いながら謝ってきたのを覚えている。


 男の割には長く白い指が、銀のナイフを巧みに操る。紙を断つ音の心地良さなんて知らなかった。封筒や包み紙はばりばり破るタイプの俺は、その繊細な動きに何度も目を奪われ、けれど「気取ってますね」なんて失礼なこと言っていた。


「使ってみますか? 結構気分が良いですよ」


 俺の視線に負けたのか、佐伯さんはある日、ペーパーナイフを貸してくれた。きらりと光る刃は、顔が映りそうなほど手入れされていた。自分の髪を染めるのは手間だと感じるのに、ナイフの手入れは苦にならないのが佐伯さんだ。


 紙を裂いてみて、俺は静かな感動を覚えた。確かに気分が良かった。胸にすっと風が通るような気持ち良さ。

 佐伯さんが楽しそうに「これ、錫製なんですよ」と言ってきたけれど、うまく頭の中で漢字が変換できなかった。というか、「錫」という漢字を知らなかった。その場では知ったかぶりをして、帰ってからネットで調べた。見栄っ張りだけど学ぶ意欲があるのは、俺の良いところだ。


 その日を境に、俺はペーパーナイフの切れ味の虜になってしまった。午後一番に、佐伯さんからナイフを借りて封を切る。佐伯さんも嫌な顔をせず貸してくれる。この感触が、癖になってやめられない。


 あらかた中身を確認してから、俺は改めてペーパーナイフを眺めた。アンティークで重厚な作りだ。佐伯さんには似合わない、と初めのうちは思っていたけれど、この見かけによらずどっしりした感触が、意外と合っているのかもしれない。

 ナイフは片刃の部分はかなり鋭く見えるのに、紙だけを断ち切り肌は傷つけないよう調整されているらしい。職人技ってやつだろうか。


 右隣を見てみると、佐伯さんはパソコンに向かって何かを打ち込んでいた。邪魔をするのは気が引けたが、小声で声を掛ける。


「佐伯さん、俺もこれ欲しいんですけど」

「……さすがに、あげるのはだめです」


 画面から目を逸らさずに、佐伯さんはきっぱりと答えた。誤解をされている、と気付いた俺は、「違いますって」と慌てて続ける。


「同じくらいのものが欲しいって意味です。メーカーとか、どこですか? ネットで買えるかな」


 佐伯さんの手が止まった。ふう、と息を漏らしてから、顔がこちらに向く。珍しく視線が泳いでいた。


「分かりません」

「え?」

「昔、もらったものなので」


 佐伯さんにしては、素っ気ない言い方だった。そしてすぐに顔を戻して、キーボードをカタカタさせ始める。欲しい情報が得られないことが不満で、俺はしつこく食い下がった。


「じゃあ、そのくれた人に聞いてみるとか」

「できません」


 今度はぴしゃりと言われた。それ以上の問いを許さない、という拒絶を感じる声の硬さだった。

 佐伯さんにそんな言い方をされたことが、俺は結構ショックだった。そしてこんなことでショックを受ける自分に驚いた。そんなに打たれ弱いつもりはなかったから。営業時代は、どんなに怒鳴られても「うるせぇな」くらいにしか思わなかったのに。


 総務の仕事をやっている間に、平和ボケしたのかもしれない。さすがにそれ以上突っ込むことはできなくて、黙って箱にペーパーナイフを収めていると、横からぼそりと声がした。


「……もう連絡を取れないので、聞けません」

「あ、はい」


 俺はそれだけ返事をして、黒箱を佐伯さんに差し出した。佐伯さんが無言で受け取り、引き出しにしまう。その後に続く言葉はなかった。


 俺は過去最高に失礼なことをしたのだと自覚する。いくらなんでも、こんな「ズケズケ」は、佐伯さんも望んでいない。

 その後しばらく気まずい空気が流れたが、終業のころには、佐伯さんはすっかり元の穏やかさを取り戻していた。










 俺は結構しつこい性格だった。

 佐伯さんに拒絶されたものの、やっぱり自分でもペーパーナイフが欲しかった。佐伯さんのように、長く付き合っていける道具を持つことが、大人の証であるような気がした。そんな考え自体がもう子どもっぽいのだけれど、俺の頭には、いつもペーパーナイフのことだけがあった。


 家に帰るといつも、ネットで佐伯さんのものと似たナイフを探した。けれどどれもこれも、写真用に輝いているようには見えるが、ピンと来ない。錫製のものも探してみたが、佐伯さんのペーパーナイフと同じ商品はどこにもなかった。そもそも、ネットで買えるようなものではないのかもしれない。それに、ネットでは手触りも重さも分からない。


 俺は休日のたび、ペーパーナイフを探し求めるようになった。彼女は営業時代にはいたが、総務課に移ってしばらくして振られた。給料が低くなったからだと思う。でも、休日に身軽になれたのは、悪いことではない。


 俺の放浪は続いたが、なかなかこれというものに出会えなかった。試しに手に持ってみても、重々しい感触が、そもそも自分に似合っていない気がした。


 「自分らしさ」が何なのか俺は知らない。物怖じしないところ。ズケズケ物を言うところ。でもそんなのは、結局は俺の自信のなさの現れだ。


 競い合う場所から離れて分かった。俺は自分を信用していない。何者でもない自分を大きく見せたくて、攻撃される前に、相手より大きな声を出しているだけ。相手を黙らせて、自分が勝ったような錯覚に陥っていた。本当は、誰にも傷つけられたくない一心でビクビクしているのに、それを悟られないよう無神経なふりをしている。それを考えたら、凛々しく見目の良いペーパーナイフは買えなかった。

 

 そんなことを続けて年が明けたころ、俺は一本のペーパーナイフを買った。






「……これです」


 昼休み、俺は佐伯さんに買ったばかりのペーパーナイフをお披露目していた。初めて取引先に乗り込んだときよりも緊張して、胃がキリキリと痛む。

 コトリと音を立ててデスクの上に置いたそれを、佐伯さんは眼鏡を直してじっくりと眺めていた。


「木製ですか。良いですね」


 木製の、ペーパーナイフ。ナイフの部分は包丁に似た形になっていて、持ち手の先には木彫りのシマウマが付いている。日曜日の昨日、散歩がてらに近所で開かれていた蚤の市に立ち寄ったときに見つけたのだ。アフリカからの直輸入なのだと言われた。なぜ立ち止まったのか、理由は自分でも分からない。ただ目を惹かれて、衝動的に買ってしまった。


「機能的には、アレだと思うんですけど。見た瞬間、これかなって……」


 言い訳をするように、ぽつぽつと言った。俺はこんなに口の回らない人間だっただろうか。でも、佐伯さんの錫のペーパーナイフに比べると、あまりにも格が違って気後れした。

 けれど佐伯さんは、顔を上げて眼鏡を直し、力強く言った。


「一目惚れできるというのは、感性が若い証拠です」


 佐伯さんの口から、一目惚れ、という色めいた単語が出たことに驚いた。この人から、恋愛の香りを感じたことはない。どこか乾いている人だ。好きだとか嫌いだとか、粘り気のある感情からは遠いところにいると思っていた。


 でも、佐伯さんは知っているのだ。一目惚れだとか、恋人だとか、そういうものを。勝手に決めつけていた佐伯さんの像が揺らいだことに、俺はひどく動揺していた。


「手に取ってみてもいいですか」

「あ、はい」


 佐伯さんは興味深々で、木製のナイフを大事そうに持ち上げた。裏表とじっくり見られて、俺は落ち着かなかった。妙な汗が掌にじわりと浮かぶ。


 持ち手に付いたシマウマには、裏表にしっかりと模様が施されている。そして、顔も。

 右目にはしっかりとまつ毛が描かれているが、左目は作り手が描き忘れてしまったのか、まつ毛がない。そのアンバランスさが魅力なのだと、店主は言っていた。


 ——佐伯さんみたいじゃないですか。


 そんな言葉が出かかって、慌てて押しとどめた。

 なんだそれ。馬面だってバカにしてるみたいじゃないか。佐伯さんは馬面じゃない。でも、両目の大きさが違う。だから、似ていると思った。


 似ていることがなぜ買う理由になるのか。その答えを出してはいけない気がした。似ているから買った、なんて言ったら佐伯さんはどう思うだろう。アンバランスさが魅力。一目惚れ。色んな言葉をぶつけられたせいで、自分でも何が何だか分からなくなってくる。


 佐伯さんは気付いてしまうだろうか。気付いてしまったら、笑ってくれるだろうか。それとも。


「とても素敵です。手の馴染みも良い」


 佐伯さんはシマウマの顔には触れなかった。落胆と安堵が同時にやって来る。なぜ自分がそんな感情を抱くのか戸惑った。ありがとうございます、と佐伯さんが木製のペーパーナイフを俺の机に置く。自分で手に持ってみると、驚くほど軽い。

 午後の始業を知らせるチャイムが鳴った。


「今日は量が多いので、分けましょう」


 週明けは郵便物が多い。俺たちは封書をちょうど半分ずつに分けた。佐伯さんが錫のペーパーナイフを取り出す。佐伯さんには錫が似合う。磨き上げられた刃が蛍光灯の光を反射させた。


 佐伯さんによく似合うものを、知っている人がいる。佐伯さんは、今もそれを使っている。連絡も取れないくせに。


 俺は木製のナイフで封を切った。ざくざくと刃を前後に動かすと、紙は断ち切れていく。佐伯さんのナイフとはまた違う心地良さだ。でも、気分は良くなかった。掌の中の軽さに満足しているはずなのに、隣で光る鈍色が目にうるさい。


「ペーパーナイフくれるなんて、佐伯さんの彼女って渋い趣味してたんですね」


 意地の悪い言葉だった。ズケズケとかではなく、相手を明確に不快にさせようとする、不躾な言い方だった。

 口に出した瞬間、俺は後悔していた。なんでこんなことを言ったのか。手元に伝わる感触を味わっても、ごまかせない苦みが胸に広がる。


「……半分あたりで、半分はずれです」


 無駄のない動きで封を切りながら、佐伯さんは言った。え、と声を漏らした俺を、佐伯さんは見ようとしなかった。

 冷たい光が視界にちらつき、冬の朝の空気を思い出した。冴えていて、気が引き締まって、肺が凍りそうな。


「渋い趣味の恋人だった、というのは当たってます」


 俺は手を止めて佐伯さんの横顔を見つめていた。ここからは一重まぶたの穏やかな顔に見える。でも、反対側に回れば、その顔つきが険しいものに見えることを、俺は知っている。


「でも、彼女ではないです」


 そう言って鈍色の切先が紙を断ち切ったとき、これまで聞いたことがないような、鋭い音がした。









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